2008年12月24日水曜日

ウスリースク便り(144)


   (今年も阿南高専の学生の協力をお願いします。)

 〇 帰国

 今日、5年生の二クラスに文法、語彙、聴解、漢字の
試験を行い、採点、評価を終えて、明日帰国することに
なりました。2月1日(日)にウスリースクに戻ります。

 漢字の試験は,『みんなの日本語Ⅱ』の41課~44課ま
での、読みのテストです。
例)この部屋は ちょっと くらいですね。
電気をつけ、ましょう。 (へや) (でんき)

 文法の試験は、42課~45課までです。
例)お酒を ( のみ ) すぎました。 (のみます)
  この コーヒーは (  )すぎます。(こい)

 語彙の試験も42課~45課までです。
例)試験の 前なので 学生は みんな (熱心に) 勉強しています。
  (ねっしんに、やさしく、はやく、みじかく)の中から正しいものを
  選ぶ。
  雪の日は すべり(やすい) です。
  (たい、にくい、やすい、ます)の中から正しいものを選ぶ。

 聴解問題は、特に範囲を決めずに行いました。
例) 先週の土曜日 田中さんの 家へ 遊びに 行きました。
   バスで 30分 かかりました。
 問)いつ 田中さんの 家へ 行きましたか。

 学生は1月にAyako先生の、口頭試問を受けます。試験終了後、希望者は
日本の学生に年賀状を書きました。(6名)また、韓国語履修のウーリヤさんが
私の妻に 韓国語で 年賀状を書いてくれました。

 12月25日(木)~2月1日(日)まで帰国のためブログを休みます。

2008年12月19日金曜日

ウスリースク便り(143)



 〇 補講

 きょう、4年ぶりに正月を日本で迎えるべく、補講を
行いました。5年生の中国語科の学生は、金曜日が論文
執筆日で、休みでしたが、登校してもらいました。

 今年は、12月31日(水)まで授業があります。教務
主任の許可をもらって、13時20分に333教室に行く
とレーナ先生が入ってきました。

 教務主任の許可をもらっていて、ザチョット(合格・不
合格を判定のテスト)を行うことになっているとのこと
です。ここで、どちらに優先権があるか争ってもしょうが
ないので、あっさり時間と教室を譲り待つことにしました。

 補講は、11月30日に自宅で、韓国語科の学生におこ
なったものと同じ内容です。前回は自宅での補講があっさ
り認められたのですが、今回は大学の教室で行うように言
われました。

 中国語専攻の学生は、一人も日本の寿司を食べたことが
ないということで、いつものように、ちらし寿司と巻きず
しを作って食べてもらいました。

 幸い、金曜日は授業が入っていないので、午前中2時間
かけて、準備をし大きなリュックサックと袋に食材をつめ
て、大学に持ち込みました。

 ちらし寿司には、鮭、イクラ、錦糸卵、にんじん、鶏肉
のりをそえて食べてもらいました。また、巻きずしは、学
生一人ひとりに、好きな食材を選んでもらい、巻いてもら
いました。

 ちらし寿司に用いた食材の他に、きゅうり、コーン、ト
マト、ハム、ふりかけ、キャベツなど好きな食材を選んで
巻いてもらいました。7人で2合のちらしずしと3合の巻
きずしを食べつくしました。

 ちなみに、飲み物は、学生が買って持って来てくれた、
オレンジ・ジュースでした。ポットに入れてお茶を持って
行けばよかったのですが、うっかり忘れてしまいました。

 中国語専攻の学生にとっては初めての経験でとても喜ん
でいました。準備は大変でしたが、こういう補講も楽しい
ものです。
 

2008年12月18日木曜日

ウスリースク便り(142)


           (大型スーパーに駐車する車の90%は日本車)

 〇 日本車輸入禁止

 きのうの授業で、ロシアが2009年1月13日から
日本車(右ハンドル車)の輸入禁止に踏み切ることを、
学生から聞きました。また、中古車(5年以内)の税金
も5%値上がりするとのことです。

 ロシア政府は過去3年間、自動車(右ハンドル車)の
輸入を禁止する法案を下院に提出してきましたが、その
つど否決されてきました。

 昨年は、ウラジオストクでこの法案に反対するデモ
を見ましたが、今年も11月中旬に同じようなデモが
あったと聞いています。

 ロシアでは、プーチン首相の出身地であるサンクト・
ぺテルススブルグに外国から多くの自動車工場が進出
してきました。ロシア国内でのメーカーに対する配慮
から、とうとう日本車の輸入禁止に踏み切りました。

 これまでも7年以上経過した中古車を対象に、輸入
関税を引き上げたり、国内の自動車産業保護のため
中古車の解体部品の関税引き上げを行ってきました。

また、公共機関の輸送手段であるバスやバス路線を走
る乗り降り自由のマイクロバスは、だいぶ前に、右ハ
ンドル車の輸入を禁止しました。

 ウラジオストクやウスリースクでは、バスや大型ト
ラックを除けば90%は日本車です。4年前にウスリ
ースクに来たた時に、何台日本車が続くか、数えてみ
たことがあります。30台続いたところで、ばかばか
しいので止めてしまいました。

 ウラジオストクでは、中古車市場関連の職について
いる人が10万に近くいるといわれています。ウスリー
スクでも、豊かな生活を送っている人の中には、中古
自動車の輸入販売にかかわっている人が多いのです。

 インフレ、物価高、ルーブル安、石油価格の下落、
輸出減の中で、日本からの中古自動車輸入販売にかか
わっている人たちの悲鳴が聞こえてきそうです。

2008年12月17日水曜日

ウスリースク便り(141)


            (中国語科3年生による寸劇)

 〇 日本クラブ

 きょうは、ウスリースク市内の高校卒業予定者
に、ウスリースク教育大学に来てもらい、日本語科
の紹介、日本文化の紹介をしました。

 今年度、日本語専攻の学生を募集したのですが、
高校卒業時に課せられた全国統一テストの結果、
(数学・英語)大学への推薦が受けられない学生が
いて、定員に達しませんでした。

 今年度からは、全国統一の入学試験(ロシア語・
英語)が始まり、さらに入学者の減少が予想される
ために、早めに高校生に、日本語科をアピールしよ
うということです。

 参加者は、父母を含めて30名ほどでした。3年
生による『カチカチ山』の上演、スライドによる文
化活動の紹介(書道・日本料理・囲碁・折り紙・ス
ピーチ・コンテスト)と漢字(象形文字)の説明が
ありました。

 最後に、高校生の参加者に、分かりやすい漢字と
いうことで、〔大〕と〔小〕を書いてもらいました。
初めて、筆を持ち、墨をつけて半紙に大きな字を書
くことが面白かったようです。30分の予定が一時
間を越えてしまいました。

 来年度、きょうの日本クラブの参加者の中から、
日本語専攻の学生が現れるといいのですが。

2008年12月15日月曜日

ウスリースク便り(140)


       (ウスリースク市唯一の映画館・ロシア)

 〇 映画とビデオ

 きょう、 7;00の気温 マイナス 8℃
     15;00の気温 マイナス 1℃
 きのう  7;00の気温 マイナス10℃
     15;00の気温 マイナス 2℃ 
 おととい 7;00の気温 マイナス13℃
     15;00の気温 マイナス 5℃

 3日間とも快晴で太陽が出ているのに、気温は
マイナスという典型的な冬型の天気になってきま
した。

 きょうは、午後12時から、ウスリースク市の
唯一の映画館であるロシアで映画を見てきました。
Деньб когда земля остановилась
(邦題・地球が静止する日)というキアヌリーブ
ス主演の今話題の映画です。12時から始まった
時の観客は30人たらずでした。

 料金は日本円で300円で、ロシア語に吹き替
えられたものです。特撮が見せ場になっているよ
うですが、話もこれといって目新しい所も無い、
平凡な作品でした。

 このところブログを休んでいたのは、日本から
送ってもらった、ビデオを見ていて夜遅くなった
ためです。

 中国市場で購入したビデオデッキは、日本、中
国、ロシアのどの国のビデオでも見れるというも
のですが、なかなか作動してくれません。

 一度作動した時に、5本~6本の作品を見てし
まわないと次にいつ見れるか分からないからです。

 この4日間で、『流星の絆』、『ジャッジ』、
『キャットストリート』の3作品、18本分を見
てしまいました。

 桐朋高校バスケットボール部のキャプテンだった
西島秀明君が立派な俳優になっているのに、びっく
りしました。

2008年12月10日水曜日

ウスリースク便り(129)


     (写真左 K.ターニヤ 写真右 C.ターニヤ)

 〇 日本語が勉強できてよかったです

 12月7日{日)にウラジオストクで、日本語能力検定試験が
行われました。ウスリースク教育大学からは3級と4級の受験者
が10名ほどいました。

 試験会場となったウラジオストクの国立極東大学までは2時間
以上かかるので、朝暗いうちに家を出て7;40分発の長距離バ
スに乗らなければならりません。

 試験は15;00ころまでかかりましたから、学生が、ウスリー
スクの家や寮に戻る頃には真っ暗になっていたでしょう。よくで
きなかった学生やマークシートの記入ミスがあった学生は、寒さ
が身にこたえたことと思います。

 私は、2級受験生の監督をしました。受験生は20名で、ただ
一人男子学生がまじっていました。彼は2時限目の聴解試験で致
命的なミスをしました。

 聴解問題は、問題が終わるごとにマークシートに答えをマーク
していかなければなりません。彼は、答えを問題用紙の方に書い
ておいて、問題が終了してから答えをマークをし始めました。

 3題ほどマークし終わった所で制限時間がきてしまいました。
試験終了後、ロシア人の先生のところに来て、答案をマークした
いと言ってきましたが、勿論断られました。

 まれに、4級・3級の試験を受けずに2級から試験を受け始め
る学生がいいて、その中にはとても優秀な学生がいるそうです。
 
 彼が優秀な学生であったかどうかは、わかりませんが、3時限
目の試験は受けないで帰りました。マークシートの練習を一度は
してから受験したいものです。

 1時限目が、文字・語彙(100点)、2時限目が聴解{10
0点)、3時限目が読解・文法{200点)で、60%以上とる
と合格です。かりに聴解問題が0点でも、他の二科目で240点
以上得点できればいいのですが。ショックは大きかったのでしょ
う。

 本校から3級試験に。C.ターニヤさんとK.ターニヤさんの
二人が受験する予定で、6週間一緒に受験勉強をしてきました。
 C.ターニヤさんは過去の問題練習でで2回とも、80%をこ
えていました。全ロシアの大学生の韓国語弁論大会で2位になり
その副賞として、「10日間の旅行」が贈られ、日本語の試験日
と重なってしまいました。

 試験と旅行が重なることは1か月前に分かったそうですが、何
もいわずに、変わらずに受験勉強を続けていました。旅行の2日
前になって、韓国旅行へ出発することを申し出てきました。

 「日本語能力試験が受けられないで、残念ですね。」というと、
彼女の答えは、「ええ、でも日本語がたくさん勉強できて、よかっ
たです。」
というものでした。

 K.ターニヤさんも過去の練習問題では70%を越えていたので
是非合格してほしいと願っています。

2008年12月9日火曜日

ウスリースク便り(128)

 〇 余りにもロシア的な(6)

 きょう、大学に行くと秘書のオルガさんから郵便物が中央郵
便局に届いているので取りに行くようにとのことでした。

 前同僚のKen先生が、日本のテレビドラマと映画を録画した
DVDを送ってくれたのです。

 郵便局に行くと、前に5人の人が並んでいました。郵便物を
受け取る場所は、小荷物を送る場所と同じ所にあります。

 ロシアで荷物を送るときには、郵便局で売っているダンボー
ルの箱を購入して、その場で中身を確認してもらってから梱包
して送らなければなりません。

 送っていいものかどうかを窓口で、チェックするのです。大
きな荷物を送ろうとしていた老婦人は、用紙4枚に必要事項を
書くように言われていました。(同じものを2枚)

 このため、一人最低5分はかかることになります。小荷物を
受け取るのにかかった時間はわずか2分だったのですが、28
分も待たされたことになります。

 以前は、コンピューターに必要事項を入力した後で、ノート
にも同じことを記入していたのですが、今回はノート記入は見ら
れませんでした。一応の進歩と言えるのでしょうか。

2008年12月5日金曜日

ウスリースク便り(127)


           (森も雪化粧)

 O 少子化と大学応募者減

 日本と同様ロシアでも少子化は大きな問題です。
91年のソ連崩壊時には、ロシアの人口は、1億
4900万人から1億4200万に減少しました。
2007年には50万人の人口減少がありました。

 当時のプーチン大統領は、少子化はロシアに
とって最重要の問題と位置づけて、様々な対策を
指示し、その成果もあってか、モスクワではソ連
崩壊後最大数の出生数を記録するなど明るい面も
あらわれてきています。

 3人目の子どもが出産後3年経過した時には、
25万ル-ブル{現在約100万円)を受け取れる
とか、ウリヤノフスク州のように、『愛し合って
子どもを作ろう」という祝日を作り、独立記念日
に出産した夫婦にアパートを贈るなどというのも
話題になりました。

 地方都市での人口減少は著しく、大学への進学
者も毎年減っています。昨年はシュコラの卒業生
に対して、英語と数学の全国統一試験が実施され
、試験の結果によって大学への推薦者が減りまし
た。

 今年度から、大学進学者に対して、ロシア語と
英語の全国統一試験が実施されるそうです。モス
クワのような大都会では小学年の低学年から英語
を実施していますが、ウスリースクのような小都
市のシュコラでは、英語教育は余り盛んではあり
ません。

 このため、今年度は去年よりさらに大学進学者
が減少することが予想されます。その対策の一環
として、17日{水)にシュコラの卒業予定者を
大学に招待して、日本語を専攻しようとする学生
を勧誘することになりました。

 時間が30分と限られているので、書道と茶道
のデモンストレーションを行うことにし、私が、
書道の担当ということになりました。

 その他、弁論大会の暗誦部門の優勝者の紹介や
私が自宅でちらし寿司とのり巻きを作っていると
ころの写真展示を行うことになりました。

 昨日降った雪は20cm位積もり、朝には凍結
していました。これから本格的な寒さを迎えます
が、今年は雪が積もるのが例年より50日近く、
遅かったのでたすかります。

2008年12月4日木曜日

ウスリースク便り(124)


      (雪の中のロシア正教教会)

 〇 余暇 (DVDを見る)

 今朝10時ごろから降りだした雨が午後からは
雪に変わり、夜まで降り続いたために20cm近い
積雪になっています。このままこの雪が凍結して
本格的な寒さがやって来ます。

 スキーやスケートは寒くてとてもやる気になれ
ません。2年前の冬に中国人留学生と一緒に屋外
リンクに連れて行ってもらったことがありました
が、体がすぐに冷え切ってバスの中で震えていた
ことがありました。

 冬の一番の楽しみはDVD鑑賞です。ロシアで
はまだ知的領有権の保護が守られておらず、いわ
ゆる海賊版がDVD店や町の通で売られています。

 今購入したばかりのDVDが2本あります。一
本が550円で映画が8本入っています。半分が
封切られたばかりの新作です。

 先日見たばかりの、Макс пэин や 007の
新作も入っています。007はモーターボートや
最後の格闘の場面など大幅にカットされています
が粗筋はわかります。

 正規のDVD店で売られているものには、シール
が張ってあり、1本2000円~3000円するも
のもあります。

 また海賊版は、外国語の上からロシア語をかぶせ
てあるので聞きにくい所があります。またロシア語
以外の言語は入っていないので英語や日本語で聞く
ことが出来ないため分かりにくいところがあります。

 1本の値段が100円しないのですから、これく
らいのことは覚悟しなければなりません。なおロシ
アでは、映画はすべてロシア語に吹き返られていま
す。




























dvd)

2008年12月3日水曜日

ウスリースク便り(123)

 〇 ルーブル安

 きょう、ウスリースクの銀行に100ドルを持って
ルーブルに換えてもらいに行きました。100ドルが
手数料コミで2700ルーブルになりました。

 今年の7月に帰国する際にルーブルをドルに換え
た時は、2350ルーブルで100ドルでしたから、
ずいぶん安くなりました。

 この銀行は、ウスリースクで唯一円との交換もで
きるという表示があるのですが、いつ行っても円が
置いてあったことはありません。きょうは、100
00円をルーブルに換えると2800ルーブルとい
う表示がありました。

 現在、ロシア経済はインフレ(今年も去年に続き
10%以上の物価上昇率)、原油価格の低下{7月
より30%以上の値下がり}、証券市場の値下がり
(指数RTSで50%以下)という3重苦にあります。

 また、8月上旬のグルジア紛争後、多くの外国資
本がロシア市場を見捨てて海外に流出しました。ロ
シア証券市場の50%から80%が外国資本と言わ
れていましたから、相当な額が引きあげられたよう
です。

 対円では1ドルが95円近くになったドルが、対
ルーブルでは逆に高くなっていることを見ると、い
かにルーブルが安くなっているかがわかります。7
月の帰国の際には、10000円をルーブルに換え
るとわずか2200ルーブルだったのですが、、。

 銀行というのに、両替をするのに、パスポートの
提示を求められることもなく、計算書や領収書の類
も一切ありませんでした。不可解なことがよくある
ロシアでも、銀行が何もださいというのは、初めて
のことでした。

 

 


 

2008年12月1日月曜日

ウスリースク便り(122)


        {雪のウスリースク)

 〇 余りにもロシア的な(5)
        誕生日祝い
 

 早いもので、きょうからもう12月です。
29日(土)の朝に降った雪も、日中の暖か
さで{午後2時現在8℃)ほとんど融けてし
まいました

 きのうは、私の誕生日で女子学生がお祝い
に来てくれました。と言っても、正確には12
月30日の授業の補講ということになります。

 お祝いに、黄色と白の菊の花とお茶と、蜂
蜜を持ってきてくれました。日本では、菊の
花は余り贈り物にはしませんが、ロシアでは
ふつうのことです。

 菊はロシア語で、хризантема フリザン
テーマといいます。英語でchrysanthemum
ですかと言ったらすぐに分かりました。

 メニューは、チラシ寿司とのり巻きでした。
飲み物、野菜、肉、魚、果物、調味料などを
見て{34品目)日本語と一致させる問題をや
りました。

 意外なことに学生にとって、一番難しかった
のは、「ウオッカ」と「とうもろこし」でした。
ウオッカはロシア語と発音が異なることと、と
うもろこしは発音が難しいためのようです。

 今日大学へ行くと、オルガさんから誕生日祝
いということで、封筒をいただきました。中に
110ルーブルの現金が入っていました。

 一昨年までは誕生日カードとプレゼントをも
らってうれしかったものですが、昨年からは
現金にかわりました。(今年は誕生日カードも
はいっていませんでした。)

 日本語と英語の教員が12名いるので、それ
ぞれの誕生日前に100ルーブル集めて誕生日に
現金を贈るのです。

 日本人の感覚では、現金で贈るぐらいなら誕
生日祝いを廃止してしかるべきだと思うのです
が、、、、、、、。

 一昨年教員会議で1時間近く議論して、誕生
日祝いや会合のために毎月100ルーブル集める
ことに決まりました。

 その時、誰が集めるか決めなかったために、
実行にうつされることなく、誕生日や会合の直
前に現金を集めています。

 これまた、余りにもロシア的といえます。

2008年11月28日金曜日

ウスリースク便り(121)

 〇 余りにもロシア的な{授業内容の変更要求)

 11月12日{水)の英語科・日本語科の教員会議のあとで
5年生のカリキュラムが大学の設置基準と一致していないので、
改訂するように突然言われました。

 現在5年生は『みんなの日本語・初級II』{スリエーネット
ワーク)を使用していて5年生の終了時に50課まで終えるこ
とになっています。

 5年生の終了時に日本語能力試験3級に合格できることを
目標にしています。過去2年間は、これに従ってやって来て
何の問題も指摘されなかったのですが、、、、、。

 『みんなの日本語』の内容が、大学生の知的欲求に答
えられる物がないとの理由です。3年生と、4年生の教材
もロシア人日本語教師の自主教材によってテーマ別内容
(旅行・健康・料理など)に変更されてきました。

 テーマ別はいいのですが、文法事項や難易度などを全く
無視しているので(難易度の判断もできないのかもしれ
ませんが)、『みんなの日本語』の18課と36課が続
けて出てきたりします。

 ロシア人日本語教師の日本語運用能力が足りないために、
驚くほど間違えや、ミスプリントがあります。使用前に必
ず日本人教師のチェックを受けるように言っていても、
事前に教材を持ってくることは殆どありません。

 それでいて、その教材の内容に過度なほどの自信を持って
いるのも驚きです。こちらが誤りを指摘しても、「本に出て
います。」となかなか訂正に応じません。昨年度使用した教
材と試験もチェック箇所を訂正しないまま使用していること
があります。

 5年生は、日本文学を教材として扱うように指示されま
した。日本文学を読むにしても、基本的な語彙や文法を
習得していないと読むのに時間がかかりすぎるので、日本
文学2コマ、『みんなの日本語』2コマにわけ12月から
実施することになりました。

 突然の変更要求でAyako先生は睡眠時間を半分に削って
教材準備に取り組んでいます。年度の途中から突然カリキュ
ラムの変更要求があるとは、これまた、余りにもロシア的
と言えるでしょう。

2008年11月27日木曜日

ウスリースク便り(120)

 〇 余りにもロシア的な(インタヴュー)

 4年生のニーカさん{韓国語専攻)から、お母さんが
ウスリースクの新聞社の記者をしていて、先生の記事を
載せたいので、午後3時からインタヴューしたいという
話がありました。

 ニーカさんは第二外国語として英語を履修していて、
授業での接点はないのですが、去年の韓国語科の文化
祭で知り合いました。(英語がとても上手です。)

 彼女は、韓国語の寸劇、合唱、踊り、太鼓など4部門
で大活躍で、そのうち3部門で表彰を受けました。その
後も、私が韓国料理のコンテストの審査委員などをして
交流が深まりました。

 9月に再会した時に、韓国で行われた小学生のキャン
プにリーダーとして参加し、日本の子どもたちとの交流
がとても楽しかったということを聞きました。

 彼女は、学内の新聞の編集委員をしていて、才色兼備
の目立った存在です。去年イルクーツクで行われたシベ
リア地区の弁論大会では3位の成績を収めました。

 3時に日本語科にインタヴューに現れたのは、新聞
記者のお母さんではなくニーカさん本人でした。仕事
の都合で、お母さんから、20項目の質問を頼まれた
そうです。

 日本での経歴、家族、趣味、余暇の過ごし方、外国
旅行、ウスリースク市の印象、ロシアの大学生への
注文、ロシア人の子どもの印象やウスリースク市長に
非言いたいこと等をきかれました。

 新聞記者のお母さんにインタヴューを受けても答えた
内容は同じだったかも知れませんし、確かに取材を受け
てはいるのですが、、、、、。
 
 これぞまさにロシア的といえるかもしれません。

2008年11月26日水曜日

ウスリースク便り(119)

 〇 余りにもロシア的な(2)

 きょう、教務主任のスベータさんのところに行って
12月30日(火)の補講として、11月30日{日)
に、自宅で5年生に日本料理を教えたいと申し出まし
た。

 この日は私の誕生日で、誕生日パーティを自宅でや
ることになっており、ちらし寿司と巻き寿司を作るこ
とになっていました。料理の作り方や、食材を日本語
で勉強しようというものです。

 また、12月29日{月)の補講を、12月4日(木)
の4時限目に実施したいことを申しでました。木曜日は
5年生は論文執筆日になっていて、本来は登校しないの
ですが、日本語能力試験の直前に総まとめを行うのに都
合の良い日です。

 この申し出は、すぐに認められました。学生に連絡
すると年末に授業に出てこないですむのと、パーティー
が授業の振り替えになるのでとても喜んでいました。

 最近は、日本の大学で授業時間の確保が厳格になった
そうです。以前の日本の大学では授業が簡単に休講にな
り補講をすることはほとんどなかったのですが。
 教員の自宅で、英語のレシピでイギリス料理を作った
としても補講としては認めてもらえないのではないで
しょうか。

 いま、ウスリースクの映画館で、『オーチン・ルース
キー・ディテクティブ』というコメディーを上映してい
ます。余りにもロシア的な探偵
いうような意味でしょうか。明日は授業がない日なので、
見てこようと思っています。

2008年11月25日火曜日

ウスリースク便り(118)

 〇 余りにもロシア的な 

 きのう、日本語科主任のターニヤ先生と話す機会が
あり、今年の終業日がいつになるか聞いたところ、
『分からない。』と言う返事が返ってきました。

 きょう、学部長の所に行って同じことを質問すると
同じ答えが返ってきました。12月28日{日)まで
に帰りたいので、「航空券を購入したい」と言うと、
すぐに許可が下りました。

 昨年は、12月30日まで授業があったために帰国
が年が明けてからになりました。

 今年度は9月1週目の月曜日から始まったので、
12月26日{金)で授業が終わり、2月2日{月)
から新年度が始まるという返事をを期待していたの
ですが。

 12月11日(木)には、分かるのでその後に聞
きに来るように言われました。この時期になっても
終業の日が決まっていないのは、日本の学校では考
えられないことです。

 年間の大まかな予定は決まっていても、細部の日
程は決まっていないで3週間くらい前に翌月の日程
を決めているようです。教員や学生の間から苦情が
出るようなこともないようです。

 ロシアでは、大切なことが突然当日になって言われ
ルことがよくあります。12月の予定が3週間前にな
らないと決まらないというのは、まだいいほうなのか
も知れません。

 火曜日に祝日があると、土曜日に授業を行って、日・
月・火の3連休を作ることがあります。この場合でも
2日前に突然言われることがあります。「良く言えば
柔軟性に富む」、悪く言えば「いいかげん」というこ
とになります。


 終業日がいつであろうが、学部長の即断で終業日前
に帰国出来ることになりました。28日{日)の新潟
行きの航空券はすでに売り切れていたので、帰国は
さらに早まり、25日(木)になりました。

 補講さえ行えば、いつ休みをとってもいいのは、確
かに柔軟性に富んでいて歓迎するところではあります。

2008年11月24日月曜日

ウスリースク便り(117)

 〇 余暇(5) 囲碁 

 1ヶ月に二回、ウラジオストクにある海洋国立大学に
碁の指導に行っています。東洋学部の七階にあって、碁
会所という立派な日本語の看板もかかっています。

 会長のアレクセイさんはまだ20代の若さですが、碁
にかける情熱は熱いものがあり、ロシアの若者への碁の
普及に情熱を燃やしています。

 毎週、火、木,土の三日間の他、日曜日も月に2回
囲碁クラブを開いています。碁の指導のためいろいろ
職も変わったようですが、現在は海洋国立大学のコン
ピューターのエンジニアをやっています。

 日本なら5・6段で打てるだけの実力者で、対局や
指導をしていない時も、韓国のプロ棋士の対局を並べて
勉強しています。一昨年外務省の招待で日本棋院を訪れ
安部九段に3子で対局した時の碁が専門の新聞に掲載さ
れました。

 去年、アレクセイさんと結婚した副会長のエレーナさ
んも、仕事の忙しい時を除いて毎回顔を出します。彼女
は、日本のアニメの愛好者で『ヒカルの碁』を読んでか
ら碁に興味をもったそうで、日本なら初段で十分に打て
る実力です。

 二人は囲碁の普及にとても熱心で、海洋大学の囲碁ク
ラブの他、51番学校の小学生の指導も週に2回学校
へ行って教えています。このため、会員はほとんどが
10代の学生で、女の子の多いのも特徴です。

 先月から、8歳の小学生の男の子が二人通ってきて
います。ロシアでの指導法を見ていると、碁の基本的
なルール、
 ① 黒・白が相互に打つ。
 ② 呼吸点を囲むと相手の石を取ることが出来る。
 ③ 着手禁止点がある。
 ④ 劫(こう)という特別なルールがある。」
を教えると、あとは19路盤を使って実戦をいます。

 2~3ヶ月すると、碁が打てるようになっています。
石の生き死にや、欠け目も実戦を通して学んでいきま
す。

 現在、中・高校生で初段クラスが3名出てきている
のでこれからが楽しみです。ちなみに、囲碁の用語、
挨拶などはすべて日本語でやっています。

2008年11月21日金曜日

ウスリースク便り(116)

 〇 初雪

 今朝、7時に目を覚まして窓の外を見ると、サッカー
グラウンドが雪で真っ白になっていました。今年初めて
の雪ですが、例年と違って3~4cmの積雪でした。

 温度計を見ると、マイナス8℃をさしていました。以
前にも書いたことがありますが、ウスリースクでは雪の
降った日は寒くない日です。雪が降るのはマイナス5℃
前後ですから冬の日としては暖かいわけです。

 今日は、正午には5℃くらいまで気温が上昇したため、
沼と川の凍結した部分に積もった雪以外は全部とけてし
まいました。例年に比べて1ヶ月遅れの初雪でした。

 今日は、午後から、大学教職員のレントゲン検査があ
りました。レントゲン撮影は毎年教職員は義務づけられ
ていますが、学生も毎年受けているそうです。

 4年前に来た時の検査は、大学から遠く離れた病院に
行って受けましたが、機械が古く検査台に乗って首を
乗せると、乗っている台のほうが動いて高さを調節する
ので、怖かった記憶があります。病院と言っても、暗く
て汚かったので、自分が病気になってもとても通う気が
しませんでした。

 今日のレントゲン撮影の場所は、大学から徒歩1分の
ところにできた検査場で、レントゲン撮影の機械も最新
のもので、日本の大学病院と変わらないものでした。

 受付と撮影を1日の女性がやっていましたが、検査も
スムーズに行われました。ロシア社会では非効率的な人
員配置をよく目にしますが、今回はそれが全くありませ
んでした。

 ちなみにロシア語でもレントゲンですが、ドイツ人の
名前からきているのでしょう。


 

2008年11月20日木曜日

ウスリースク便り(115)

 〇 豆腐料理

 日本列島も寒波が襲っていて、特に日本海側は冬の
寒さだということです。ウスリースクでも、今週初め
から冷え込み、今朝8時の気温がマイナス15℃でし
た。快晴だというのに、午後2時の気温が0℃とあが
らず、午前中に干した洗濯物が凍っていました。

 すっかり真冬の天候になりましたが、凍結した雪が
今年は無いので、歩くのが楽なので助かります。しば
らくおとなしかったネズミがまた、餌を食べ始め、子
ねずみが2匹粘着シートにかかっていました。

 日曜日に中国市場に買い物に行き、食料品を中心に
買い物をしました。その時買った豆腐が、毎日のよう
に食べていてもたべきれないので、きょうはマーボド
ーフ豆腐もどきを作ってみました。

 豆腐は中国市場に行かなければ手に入らないので、
買い物に行った時は、いつも一丁かって帰ります。
売っているのは木綿豆腐で、日本の豆腐の5~6倍の
大きさがあります。値段は、160円くらいなので、
他の日本製の食料品と比べるとお買い得です。

 缶詰めの牛肉と、日本から持っていった四川豆
板醤で簡単にマーボードーフができあがりました。
味噌汁は、日本から持っていったマルコメ味噌と
カットわかめで豆腐の味噌汁、きゅうりとトマト
を切ってサラダに、20分で夕食ができあがりま
した。

 一人で生活していると、豆腐一丁を食べきるのも
大変です。毎日何かの料理に使っていたのですが、
食べきるのに5日間もかかりました。

2008年11月18日火曜日

ウスリースク便り(114)


        (5年生 韓国語専攻)

 O 求婚される

 いよいよ厳しい寒さがやって来ました。夕方6時から
7時まで、『英語クラブ』に参加して、バスを待ってい
る間、ずいぶん冷え込んで来ました。家に着いて寒暖計
を見るとマイナス12℃でした。これだけ気温が下がる
と雪は降りません。

 昨日の5年生{韓国語専攻)の授業で、ウーリヤさんか
ら、「先生、いつ結婚しますか?」ときかれました。

 私   「いつがいいですか?」
 ウーリヤ「私は、2月に韓国に行きますから、2月が
      いいです。」
 私   「2月でいいですよ。でも東京に妻がいます
      から、きいてみます。

 他の学生は過ちに気がつき、笑い出しました。日本語
で言った後で、ロシア語で同じことを言うとウーリヤさ
んも間違いに気がつき笑い出しました。結婚試験を取
り違えたのです。

 ウーリヤさんは韓国への留学試験に合格して奨学金を
もらい、1年間留学することになりました。韓国に行く
前に5年生の卒業試験を受けて、帰国後、国家試験を受
けるだけにしたかったようです。

 現在5人のクラスが、後期からは4人になってします。
2年生のクラスも11月から5人いた学生が2人退学し
て3人になってしまいました。

 人数の少ないのはいいのですが、1時限目の8;00
からの授業は1人になる恐れがでてきました。大きな教
室で一人だけの学生を相手にして行う授業もつらいもの
があります。

 今日の授業からウーリヤさんを、『マヤ ウーリヤ』
{私のウーリヤ)と呼んでいますが、学生に受けています。
 
 


 

2008年11月17日月曜日

ウスリースク便り(113)


        アパートの前の沼 {釣り人多し)

 O 初雪いまだ降らず

 天気予報では、15日(土)から16日{日)にかけて、
大雪になるということでしたが、16日の朝に雨が少し
降っただけで、気温も日中は5℃を越えました。

 過去3年間は、10月の18日~20日に初雪が降り、
その初雪がそのまま凍結し、一層寒さを厳しいものにし
ていました。今年は、1ヶ月も寒さが来るのが遅くなって
います。

 今日も午後2時の気温が、5℃で大学からアパートま
で歩いて帰ることができました。午後6時には0℃まで
下がっていました。雪は、湿度が高く地上の気温が、マ
イナス5℃前後の時に降りやすいようです。

 ウスリースクは、冬には気温がマイナス15~20℃
になることが多いので、降雪量は予想していたほど多く
ありません。一度降った雪は凍結して春になるまでとけ
ないので、一層厳しい寒さになります。

 アパートの前の沼が凍結し始めたので、冬はもうすぐ
そこまで来ていることが分かります。例年なら近所の子
どもたちが、スケートや雪上のソリで遊び始めているの
ですが、今年はまだサッカーをして遊んでいます。

 

2008年11月15日土曜日

ウスリースク便り(112)

 O お茶を飲む 

今日は、冷え込み早朝から大雪の降る
可能性もあるということでしたが、時々
小雨が降る程度で気温は午後3時で3℃
もありました。

 散歩がてら、先日の巻き寿司を作った
時の写真を頼みに、大学の近くの写真や
まで出かけました。

 写真が出来上がるまでの1時間を、市
の中心街のネクラソバ通りを歩いている
と40代後半か50代前半と思われるロ
シア人女性から声をかけられました。

 彼女は、この年代のロシア人女性と違
って細身の女性でした。日本から来たこ
とを告げると、思いがけず、片言の日本
語が返ってきました。

ウラジオストクでツーリストの仕事をし
ていた時に日本人の観光客から教えて
もらったとのことでした。

 彼女は英語も少しできるので、ロシア
語と日本語と英語の混ざった奇妙な会話
が続きました。この年代の女性で、英語
が話せる人は、大学以外ではまず会うこ
とはありません。

 しばらく話をしていたのですが、体も
冷えてきたので、近くのカフェーでお茶
を飲みながら話すことになりました。

 読書と音楽が趣味と言うことで、私が
知っている限りのロシアの文学者と作品、
音楽家の名前をあげました。

 ロシア語の発音と違うようで、理解す
るのに少し時間がかかるものもありまし
たが、それぞれの作品に短い感想を述べ
ていました。

 30分ほどでカフェーを出て分かれる
さいに、彼女の電話番号と名前を書いた
メモをもらいました。名前はガーリャさ
んといいます。

 

2008年11月13日木曜日

ウスリースク便り(111)

 O 巻き寿司を作る

 昨日は、3年生{中国語専攻)の学生7人と
レーナ先生が家まで遊びにいてくれました。
授業で、日本の料理を学んだところで、まだ、
寿司を食べたことのない学生に、食べてもらう
という趣旨です。

 ウスリースク市内には、нами という寿司
屋が一軒だけありますが、値段がとても高く、
学生ではとても行くことができません。

 モスクワの寿司店で、日本人の寿司職人の下
で3年間修行を積んだあとで、ウスリースクに
店を持ったとのことで、同じ名前の店がロシア
には数件あるとのことです。

 のり巻きは、学生に好きな具を選んで巻いて
もらいました。用意した具は、鮭、鶏肉、ハム、
たまご、イクラとキャビア{コピー食品)です。

 他に、野菜は、きゅうり、トマト、にんじん、
わらび(市販のもの)と漬物(きゅりうり)を
小さく切って用意しておきました。

 レーナ先生は以前に家に来たことがあり、そ
の時も巻き寿司を作ってもらいました。前の
経験が生きてうまく見本のまき寿司ができました。

 殆どの学生が、まき寿司を作るのは初めてでし
たが予想外に上手にできました。7人の学生の中
で、唯一韓国系ロシア人のヴィーカさんは、お母
さんが、作るということで特に上手にできました。

 自分の好きな具をを選び、自分で作り、食べる
というところが好評で、皆、楽しそうにまき寿司
を作っていました。五合炊いたご飯と、用意した
具は全てなくなりました。

 レーナ先生の持ってきたシャンペンとジュース
で乾杯。学生がおみやげに持ってきたケーキを食
べての2時間は、あっというまに過ぎてしまいま
した。(先生を含め学生7人は全て女性です。)



 

2008年11月11日火曜日

ウスリースク便り(110)

 O ネズミ・ホイホイ

 日本で家ネズミを見たのは30年近く前になる。
学校内に昭和16年に建てられた木造の古い住宅
に住んでいた時に、台所の物置において置いたゴ
キブリ・ホイホイに子ネズミが入っていた。

 日本では珍しくなった、家ネズミもロシアの古い
アパートでは珍しいことではない。去年は、7月の
帰国の際にしかけたゴキブリ・ホイホイに子ネズミ
が5匹もかかっていた。

 今年は、8月に来た時には、子ネズミは一匹も
かかっていなかった。ひょっとしたら、ネズミも
学習能力があるのかもしれない。

 9月の初めにおいて置いた殺鼠剤『デスモア』を
食べ始め、4~5日間食べ続けていた。今の殺鼠剤
は徐々にネズミの視覚を奪っていくようで、明るい
所へ出てきて死ぬようだ。

 台所に置いておいた、アース製薬のチューバイ
チューという強力粘着シートに子ネズミが5匹も
かかって死んでいた。

 しばらく殺鼠剤がなくならないでいたが、11月
の初めからまた食べ始めた。子ネズミの大きさから
判断すると、2ヶ月ごとに子どもを生んでいること
になる。

 食べた分だけ補充していたところ、5日間程食べ
続けたあとで、二枚の粘着シートに親ネズミ一匹と
子ネズミが四匹かかっていた(折りたたんで捨て
るだけでよいので、屍骸の処理も簡単で助かる)。

 その後えさがなくなっていないことから、殆ど駆
除できたようだ。親ネズミが一匹しかかかっていな
い所を見ると、他の場所に移動した可能性もある。

 ネズミに学習能力があるとすれば、来年は別の殺
鼠剤と粘着シートを用意しなければならないのだが、
当のネズミは死んでいるのだから、、、、、、。

 

2008年11月8日土曜日

ウスリースク便り(109)


(中央公園を通り大学まで30分の散歩コース)

 O  余暇(3) 散歩

 11月に入っても、暖かい日が続いていました。
日中は,15℃~18℃まで気温が上昇し、この
時期には珍しく、帽子やマフラーなしで過ごして
いました。

 風もなく、まさに散歩には絶好の日が続いてい
ました。10月の初めから、11月5日までは授
業がなく、家にいる時間が長くなっていました。

健康維持のために、毎日1時間は歩くようにして
います。散歩は、私にとって需要名余暇となって
います。

 毎日歩いていると、歩くのが当たり前になって、
歩かないでいることが苦痛になってきます。ジョ
ギングやマラソンを毎日、している人の気持ちが
分かるようになりました。

 昨日は、日本では立冬に当たるとのことですが
ウスリースクでも寒冷前線の発達とともに、急激
に気温が下がり、日中でも5℃を越えませんでし
た。冬が真近に迫ってきていることが分かります。

 寒さが厳しくなり、雪が降り凍結すると散歩を
するのが難しくなります。例年ならば、10月
20日前後に降る雪が20cm位積もり、そのまま
凍結して、歩くのが大変です。

 幸い、ウスリースク市は、ほとんどが平地なの
で、気をつけて歩けば転倒の危険はありません。

 2週間に一度碁の指導に行くウラジオストク市は
坂が多く、除雪もしていない場所が多いので、道路
を歩く場合は細心の注意が必要です。

 2年前の冬には、3回大転倒をしてしまい、その
うちの1回は尾てい骨を強打して、痛みが2ヶ月も
続きました。

 ロシアの50代、60代の婦人が極端に太ってい
るのも長い冬の間、運動不足と脂肪の摂取過多から
きていることを考えると、厳しい冬の間もできるだ
け歩くようにしたいものです。


 

 

2008年11月6日木曜日

ウスリースク便り(108)


        学内日本語コンテストの司会をする二人のターニヤ

 O 授業再開 

 11月4日(火)が祝日{和解の日・旧10月革命記念日)で
あったために、5日{水)から、5年生の授業が始まりました。

 10月は、2年生の唯一の授業が、5年生の教育実習にあてら
れたために、持ち時間0という異例の事態になり、少々暇を
もてあましていました。

 最初の授業のためもあってか、全員出席の他に、1年留年
したナターシャさんも、飛び入りで授業に参加して、全部で
6人になりました。

 授業は、『みんなの日本語』37課・38課の文法事項の復習、
漢字の読み方の復習と、昨年度の『日本語能力試験4級』の
問題練習を行いました。全員60%以上で合格しました。

 このクラスの C.ターニヤさんとK.ターニヤさんは、
この12月に3級の試験を受験することになっていて、現在
試験勉強中ということもあって、95%、93%という正
解率でした。

 C.ターニヤさんは、今年10月にウラジオストクで行われた
全ロシア韓国語弁論大会で2位になった学生で、日本語でも
5年生で一番優秀な学生です。

 英語も堪能で、一昨年私が英語で行った日本経済の授業で
は、同時通訳をしてくれました。私のほうは授業前日、1時間
くらいかけて準備したものです。

 一般に第二外国語で日本語を履修している学生は、英語が
苦手な学生が多いのですが、彼女は、中・高の学校の授業だ
けで、同時通訳が出来るレベルまで達したことがわかりまし
た。

 日本語の敬語法は、49課、50課に出てくるため、試験には
未習のまま受験することになるのですが、韓国語と似ている
ので、特に問題は無いといって言っています。




 

2008年11月2日日曜日

ウスリースク便り(107)

 O 小春日和

 過去3年間は、10月の中旬に初雪が20cmくらい
降り、それが凍結して厳しい寒さになっていました。
今年は暖冬で、午後2時の気温が18度まであがりまし
た。

 たまった衣類と寝具を洗濯し、久しぶりにメソジスト
教会に足を運びました。新しくソウルから来た牧師さん
がウスリースク教育大学でロシア語を勉強しています。

 ビザの件で国際部に来ていたときに知り合いになり
ました。英語が話せるので、国際部に英語の話せる職
員がいなかったための苦労話でもりあがりました。

 また、この教会には日本語履修者で卒業生のヴァレ
ンティーナさんがいるので、何回か行ったことがあり
ました。

 ヴァレンティーナさんは、ウスリースク市の奨学金
をもらい、11月3日から3ヶ月間ソウルのコンピュー
ターの学校でコンピューター・デザインを学ぶことに
なりました。

 ウスリースク市からは4名が選ばれたとのことで、
韓国とロシアの交流はとても盛んです。大学で行われ
る、韓国語専攻の学生による文化祭には、韓国系の
会社が資金を援助したり、表彰式にも深くかかわって
います。

 本大学の韓国語科はレベルが高いと聞いていました
が、昨年度はヴァレンティーナさんがシベリア地区の
弁論大会で優勝しました。

 今年は、5年生のターニヤさんが,全ロシアの弁論
大会で2位になり、関係者が大変喜んでいます。

 ターニヤさんは英語も堪能で、私の日本経済の授業
で、同時通訳をしてくれました。日本語も5年生の学
生の中で、飛びぬけて優秀です。

ロシア人の学生には珍しく、復習を毎日していて、前
に学習したことは、殆ど覚えています。書道にも興味
を持っていて、とても良い字を書きます。

2008年11月1日土曜日

ウスリースク便り(106)

 O ワーキングビザ取得

 きょう、大学の国際部でワーキングビザを
受け取ることができました。2009年8月
31日まで有効のビザです。領事館の方から
は、大学教員用のビザはなくなったと聞いて
心配していたのですが。

    виза

М-VI No.16////
обыкновенная
многократная
япония

хирота
синго
30.11.19-- муж
преподователв
угпи

となっていました。ウスリースク国立教育
大学の教員としてマルチビザが取れていま
した。

 今年は、ウラジオストクの日本語教師への
ビザ発給が厳しく、9月に来られた3人の先生
は、3ヶ月の学術交流のビザで来ています。

 10月末に二人の先生が来られましたが、
ビザがおりなかった人もいると聞いています。
一時帰国を決意して、航空券を購入しようと
決めていた前日に、ビザ発行の連絡を受けた
ことは幸運でした。ロシアでは、航空券の
キャンセルには相当のお金がかかるそうです。

2008年10月31日金曜日

ウスリースク便り(105)

 O ロシア自転車横断旅行

 4月下旬に、富山県伏木港からウラジオストクに
入った、栗原直人さが、目的地のポルトガルに着き、
ロスアンジェルスの自宅に無事に戻られたことを、
紹介しました。心配された、ロシアからのラトビア
入国も何の問題も無かったとのことです。

 下記のアドレスに、旅行中の写真が載っている
のでご紹介します。(本人の了解済みです。)

http://picasaweb.google.com/naotokurihara

ロシア   (4.25)
 ラトビア (7.31)
リトアニア      (8.01)
 ポーランド (8.04)
 ドイツ        (8.15)
 オランダ       (8.24)     
 ベルギー       (8.28)
 フランス       (8.30)      
 スペイン       (9.11)
 ポルトガル      (9.10)

 (     )の中の数字は入国日です。

2008年10月30日木曜日

ウスリースク便り104

 O 銀行振り込み

 新しいモデムと交換した後、4日間はインターネット
が使用できたのですが、その後サーバーとつながらなく
なり、ブログ、メールなどがかけませんでした。

 大学のコンピューター係りの人がやっと来てくれて、
状況を連絡しておいたため、わずか数分で回復しました。
繋がらなっかた原因は不明とのこと。

 今月から、給料が銀行振り込みになりました。3月
に大学から連絡があり、銀行のカードを渡すので、
パスポートを持って至急大学へ来るようにとの連絡を
もらってから、6ヶ月が経過しています。

 銀行振込みになったためか、給料の明細票をもらう
ことができました。1ヶ月、17775ルーブルで、
そこから、税金と保険で、13%引かれていて、手取
り15000ルーブルになります。

 家賃、電気代、暖房費、水道・湯道代、電話代、ごみ
収集代、インターネット使用料、修繕費積み立てなどが
全て大学の負担なので、十分生活していくことが出来ま
す。

 日本からの航空運賃などは、でませんが、今年から
8月分に相当する額が、生活費という名目ででる様に
なりました。6月末に、3か月分の給料に相当する額を
受け取ることができ航空券もそれで購入できました。

 ロシアでは、独占事業のためもあってか、航空運賃
が割高で、ウラジオストクから新潟まで13500pも
します。この金額で、日本では、ビジネスクラスの席を
購入することが出来ます。

 今は、円高ということなので、クレジット・カードで
航空券を購入したいのですが、6月には、市内で唯一
クレジットカードの使える、旅行代理店が機械の故障の
ため、カードが使用できませんでした。

 明日、新しいワーキングビザが取得できるので、12
月末の航空券を購入して来ます。28日(木)の座席が
あるといいのですが。

2008年10月24日金曜日

ウスリースク便り(103)

 O ビザ更新

 8月中旬にウスリースクに来て、ワーキングビザ
更新の申請をしたところ、10月30日(木)までの
2ヶ月間の延長しか認められませんでした。

 ワーキングビザの許可を待っていたのですが、モス
クワの内務省からの許可がなかなか下りずに、30日
に一時帰国の覚悟をきめていました。

 23日(木)に、ビザの許可が下りた旨の連絡が入り
今朝、非エイズ検査証明書取得のため、血液検査研究所
へ行ってきました。料金は492ルブールと、昨年より
100ルーブル以上あがっていました。

 検査が終わり、いつ証明書をもらえるか聞くと、28日
(火)の朝8時以降という答えが返ってきて、月曜日の発
行は無理とのことでした。

 大学へ戻り、国際部に行って、証明書発行はは火曜日以
降になることを伝えました。ビザ担当のタマラさんの話で
は、月曜日の午前中にウラジオスクにいって、申請しなけ
ればいけないとのこと。

 1週間前に、私が、写真と非エイズ検査証明書を準備し
ておくべきか否か聞いたところ、『何もする必要はないか
ら、ただ待っていなさい。』と言ったのもタマラさんでし
た。

 国際部長のバトゥーク氏が来るのを30分ほど待って、
血液検査研究所の責任者に電話をしてもらい、証明書の
発行を急ぐように頼んでもらいました。

 すると、「すぐに証明書を書くので、すぐに研究所まで
取りに来なさい」という返事が返ってきました。血液検査
を受けて一時間半後に、非エイズ検査証明書を発行しても
らうことができました。

 ワーキングビザの総量規制をしていることと、大学教員
の特別枠がなくなったのも、ビザが取りにくくなった一因
のようです。ウラジオストクの日本語教師もビザの件では
ずいぶん苦労したそうです。

2008年10月23日木曜日

ウスリースク便り

 O ルーブル安

 きょう、ウスリースクの銀行に行って、300ドルを
ルーブルに交換してもらいました。7950ルーブルに
なりました。100ドルが2650ルーブルになる計算
です。

 6月末に日本に帰る時は、100ドルが2350ルー
ブルでしたから、その時と比べると100ドルにつき、
300ルーブル安くなったことになります。

 4年前にロシアに来てから、ずっと対ドルではルーブ
ル高が続いてきました。グルジアでの戦争が始まってか
らは、ルーブル安が続いています。

 ロシアへ投資していた金融資本が、戦争に嫌気をさして
資金を引き上げ始めたからのようで、現在もその流れは、
かわっていないようです。

 この一年間の物価の上昇も著しく、特に乳製品は10
%以上値上がりしたそうです。公共料金の値上がりもあり
一般市民の生活にも深刻な影響があrっようです。

 私が、日本で購入して持っているドイチェ・ロシア債は
{ドイツの銀行がロシア株などに投資)今。どうなってい
ることでしょうか。一時は、いい配当が続いていたのです
が。政治と経済が密接に関連していることが、わかります。

                      廣田慎吾

ウスリースク便り(101)

 O 栗原直人さん無事帰国

 5月の初めに、ロスアンジェルスから来た日本人で、
自転車でロシアを横断し、ポルトガルのリスボンを目指
す栗原直人さんのことを書きました。

 栗原さんからメールをいただいていたのですが、1か月
間、ブログが書けなかったの紹介が遅れました。9月に
ポルトガルに着き、10月に無事にL.A.に帰られたとの
ことです。

 このブログも、コンピューター会社を経営している
栗原さんが開いていってくれたものです。日本に帰国
中と、モデム交換とセットにかかった1か月の中断を
除いて、週に4~5回書いていたため100回に達し
ました。

 栗原さんの撮った写真がインターネットで見れるの
ですが、本人の了解をとった上で紹介させてもらいます。

 私はすっかり忘れていたのですが、一つだけ栗原さん
に教えたロシア語があり、ロシア滞在中とても役に立った
いうことです。

 栗原さんに、 Можно? と尋ねてみます。
 

 

2008年10月21日火曜日

ウスリースク便り100

 O モデム交換

 9月19日{金)にインターネットが使えなくなってしまいました。
翌週22日{月)に国際部長バトゥーク氏にチェックを依頼しました。
29日{月)になってもチェックに来ないので、再度依頼。

 コンピューター部門の担当者のところに行き、催促。若い担当者は
直接の上司からの指示がなかったため、動けなかったとのこと。
10月3日(土)にチェックに来て、モデムの不具合による故障と判明。

 大学で、交換用のモデムを購入してくれるかどうかを検討してくれる
とのこと。翌週の会議で検討してすぐに、交換してくれるとものと思い
待っていても、連絡なし。

 14日に問い合わせて見ると、大学で購入することが決まり、部品を
注文中とのこと。最終的には20日{月)にモデムを交換しセットして
くれて、やっときょうから使用できるようになりました。

 この間約一ヶ月ガ経過しました。各部門間の連絡が悪く、直属の上司
から指示がないと動けないことや、会議を通して物事を決定するのに時間
がかかりすぎるなど非効率な点が多いためと思われます。

 モデム自体は3000円~4000円で購入できるので、こんなに時間
がかかるなら、自分で支払っても良かったのですが、住居に関するものは
すべて大学の支払いになっているのでいたしかたありません。

 

2008年9月17日水曜日

ウスリースク便り(99)

 O 授業代行終了  

 11日(木)に入院したロシア人日本語教師の
レーナさんが16日(月)に無事に退院しました。
病名は聞いていないのですが、きょうの授業から
復帰するという連絡がありました。

 5年生が教育実習に行っていて授業がなく、週
1コマの授業だったので、授業の代行はむしろ歓
迎だったのですが、また週1に戻ってしまいました。

 日本なら、退院後は何日か自宅で療養し、休養
をとって、体力の回復をまって授業に復帰するの
が普通ですが、退院即授業復帰とは驚きました。

 授業代行の分は、給与がプラスされると聞いて
いたので、もしかすると、病気で授業を休んだ
教師は、その分がカットされるのかもしれません。
 (あとで確かめておきます。)

 今年度卒業した韓国語専攻の卒業生4名の近況
がわかりました。一人も就職していません。

 アンナ   ミッションで海外布教のため待機
 ナースチャ 東京の日本語学校で日本語の勉強
       {7月から3ヶ月間)
 ヴィーカ  10月から東京で日本語の勉強
 ワーリャ  韓国の大学入学の試験の結果待ち

2008年9月16日火曜日

ウスリースク便り(98)

 O 余暇(2) 数独

 3年前にロシアに来たときに、日本から数独の
雑誌を持ってきました。暇な時に時間をつぶすの
に良いと考えたからです。

 数独は、オセロと同じように日本発の人気のパ
ズルで、世界大会も開かれているほどです。縦、
横9個のマスの目の中に、それぞれ1から9まで
の数を入れて〔数が重ならないように)完成する
ものです。

 3年前には、クロスワード・パズルの雑誌の一
部に数独が載せられたものがありましたが、今
ではウスリースクでも7週類の数独専門誌が買
えるようになりました。

 値段も50円~100円位の手ごろな値段です。
ロシア語で судоку と書いて、『スードク』と
読みます。遠距離バスの待合室や、店の売り子
が客待地の間、数独を解いているのをよく見かけ
るようになりました。

 日本の雑誌と同じように、正解を送って、抽選
に当たると賞品がもらえるものもあります。なか
なか難しいものもあって、暇つぶしには絶好です。

 単純さと複雑さが同居しているところに人気が
あるような気がします。ご希望の方はご連絡くだ
さい。帰国の際一部を持ち帰ります。

 

2008年9月15日月曜日

ウスリースク便り(97)


 (写真右から、レーナさんとワレーリヤさん)

 O 授業代行

 12日(金)に大学から電話があり、日本語
教師のレーナさんが緊急入院したために、3年
生の授業を月曜日から代行するよう依頼を受け
ました。

 月曜日は1時限(8:00)からの授業なの
で、20分前に日本語教室に行き、名簿、教材
進度などの連絡物がないかチェックしましたが、
何もありませんでした。

 2年生で既習の構文を用意しておいたので、
復習をかねて自己紹介と会話の練習をしました。
きょうの出席者は、男子学生1名と女子学生7
名の中国語専攻クラスでした。

 1時限目終了後、日本語教室に戻ると、もう
一人の日本語教師のワレーリヤさんが、3年生
で使用している日本語教材を届けてくれました。

 昨年度、レーナさんとワレーリヤさん二人が、
テーマ別に編纂した教材で、第1課は、日本の
料理、食べ物に関するものが集められています。

 文法事項や語彙の難度などを無視して編集し
てあるうえ、ミスプリントや古い日本語も散見
され、かなり手直しする必要がありそうです。

 週1コマの授業が10月3週目まで続く予定
で暇をもてあましていました。週4時間の授業
になりましたが、この程度の時間増はかえって
よかったかもしれません。
 
 9月1日に23歳の誕生日をむかえ、夏休み
に結婚して元気そうだったのですが。レーナさ
んの1日も早い回復を祈っています。

2008年9月12日金曜日

ウスリースク便り(96)


  {ウスリースクのアリーナ前で 2006年2月 マイナス28℃)

 O アイスホッケー 

 ウスリースクの映画館入口にアイスホッケーの
開幕を告げるポスターが張ってあり、12日(木)
20時からウラジオストクとの試合を見に行きま
した。

 試合は試合開始からわずか10分で、ウスリー
スクが3得点、第一ピリオド終了時に7点差も
つけてしまいました。

 2年前にアイスホッケーの試合を見た時は100p
近くした記憶があるのに、今回は30pと安く、
試合も激しいあたりも少なく、スピード感にも欠け
ていました。

 第一ピリオド終了時にユニフォームをよく見る
と、ウスリースク・スパルタクスのユニフォームに
ヴェテランズと書いてあるのが読み取れました。

 9月開幕のアイスホッケー・リーグは40歳以上の
OBリーグだったのです。そういえば、ウラジオス
トクのチームは応援団は一人もいなっかったのも
納得です。

  МКП СОК Ледовая арена УГО

БИЛЕТ

Серия А Но 001505

Орган упраапения Рф

дата 11 время 20 сектор

Цена 30 руъ.00 коп.

{入場券 9月11日 20:00 30p。)

2008年9月10日水曜日

ウスリースク便り(95)

 O 停電

 9月5日(金)にウラジオストクから午後10半頃に
帰宅すると、玄関の電気がつきません。アパートの他の
部屋を見ると、どこの家にも電気が点いていました。

 また近所の子どものいたずらで、ブレーカーが下りて
いるのかチェックすると、どこも以上がありません。そ
の日は、そのままベッドに直行し、すぐに眠ってしまい
ました。(ブレーカーは玄関の外についています。)

 翌日、ブレーカーの所に張ってある修理の電話番号に
電話して、チェックに来てもらいました。修理の人が来
て、作業をしていると隣の女性がでてきて、電気料金が
未払いのために電力会社が電気を止めていったとのこと
でした。

 電気修理の人が、配線をつないでくれて、無事に電気
がつくことになりました。月曜日に国際部でそのことを
話すと、電力会社から大学への連絡は何もなかったとの
ことでした。

 きょう、午前10時に電力会社の訪問があり、この電線
を繋いだのは、誰かというような質問をされました。線は
つないであるが、電気のメーターが作動していなかったと
のことです。

 大学側が電気料金を支払い、電力会社に抗議したらしく、
謝罪のようなっことを何やら言っていました。

 きょう、電力会社から来た人は3人で、1人は40代の
女性で、責任者のように見えました。彼女は、作業がすべ
て終わったときに、書類を出して、確認のサインを求めて
きました。

 あとの2人は、30代の女性と,50代の男性でした。
男性が作業の指示をして、必要な器具や電線を手渡し、女
性が実際の作業をしていました。

 作業そのものは15分ほどのものでしたが、3人の人間
が必要だったか大いに疑問です。ここにもロシア社会の非
効率を見たような気がします。

 土曜日に来て、配線を繋いでいってくれた人と、きょう
来た人たちとの関連も不明のままです。大学が電気料金を
払わなかったら、電気のメーターが止まったまま電気の使
用を続けていけたような気もします。

2008年9月9日火曜日

ウスリースク便り(94)

 O 余暇 (映画) 

 今年度の授業が9月1日{月}から始まりましたが、
今年度前期の担当の授業が、5年生(4コマ)と2年
生{1コマ)の計5コマしか入っていません。

 1コマとは週1回の授業で、1回ガ90分の授業に
なります。現在5年生は教育実習期間で、10月の第
3週にならないと登校してきません。というわけで、
授業開始から6週間は1週間に1回だけの授業です。

 ウスリースクに来てから1ヶ月弱になりますが、こ
の間にウスリースクの映画館で5本の映画を見てしま
いました。

 以前に映画の料金について、書いたことがありまし
たが、映画館は全て座席指定の入れ替え制になってい
て、午前中の第1回に入場すると、料金は60p~
80p{300円~400円)で見ることができます。

 映画の題名は、ロシア語からのもので日本での上映
の際は、別なタイトルがついているかも知れません。

1.危険なバンコック
 ニコラス・ケイジ主演で、長髪の殺し屋を演じるのだ
が、結末にはいささか失望。

2.暗い都市(バットマン)
 バットマン・リターンズの続編か?検事の出世争いが
からんでいるようですが、詳しくはわかりません。
 ジョーカー役のヒース・レジャーは亡くなったとか。

3.バビロン{現在上映中}
 ウラジオストク湾の氷を割って潜水艦が出現。定員
以上に乗り込もうとして、潜水艦に殺到する者を射殺。
ロシアからアメリカに入国するのに想像以上の旅。

4.ミラージュ
 ロシア映画のようで、日本で上映か否かは不明。ロシ
アの若者5人{男性2名、女性3名)と戦争のプロ1名
がイスラム教徒と見られる部族との戦いに巻き込まれる。
 題名は劇中での『これは幻想ではなく戦争だ』から
きているようだ。台詞が聞き取れてうれしかった。

5.ミッドナイト・エクスプレッス
 深夜の地下鉄特急で、連続して行方不明者がでる。被
害者の写真を撮っていたカメラマンが真相に迫る。
 地下鉄内の殺害場面がむごたらしく、見ていられない。
監督名に Takahashi ?とでていたの日本人監督の
作品化。最後の場面は、容易に想像がつく。

2008年9月8日月曜日

ウスリースク便り(93)

 O コトル夫妻

 6日(土)の夜、コトル夫妻宅に招かれました。
コトルさんは、フランス系のアメリカ人で、今年
75歳になりますが、とても元気で若く見えます。

 オレゴン州で歯科医をしていましたが、退職して
今は、モルモン教の布教のために世界各国を回って
いるそうです。

 ロシアでは3ヶ月の観光ビザしか取得できないた
めに、10月からはリトアニア行きそこからまた、
どこか他の国へ行く予定だそうです。

 7月の初めに卒業生のアンナさんに連れられて、
モルモン教会の英語クラブに行った事がありまし
た。9月に入り、暇をもてあましていたので、再
び、英語クラブを訪れたた時に招待されました。

 ハンバーガー、ストロベリー・アイスクリーム、
フルーツ・サラダ、チョコレートケーキとコトル
さんが山登りをする時に食べるという、数種類の
ビスケットとナッツをミックスした特製のつまみ
がだされました。

 アイスクリームやケーキの材料はアメリカから
送ってもらったとのことで、ロシアの店で食べる
物よりは美味しかったのですが、当日の摂取カロ
リーは、普段の日の2倍以上あった気がします。

 これまでに、中東やアフリカのいろいろな国へ
行った時の体験談をユーモアを交えて話してくれ
ました。

 20代{二人)、30代、40代のロシア人女
性と20代のロシア人男性二人と私の6名が招か
れていました。

 食事の前に、「お祈りをするので、よければ、
一緒に祈ってください。」と言われただけで、
それ以外は一切宗教的な話題はありませんでした。

 日本にいた時は、英語を教えることで人を集め
宗教について無理に話をきかせているのではない
かという不信感があったのも事実です。

 ロシア人の参加者の中で、モルモン教を信仰し
ているのは、40代の女性だけのような感じがし
ました。帰りに、ジョン・グりシャム作の The
Appeal {ハードカバー)をお土産にもらいま
した。

2008年9月7日日曜日

ウスリースク便り(92)


 {真冬のウラジオストク港は全面凍結しますが、砕氷船が出て航路は確保されています。
 O 大野御夫妻ウラジオストクへ

 5日(金)に大学のクラブの先輩である大野御夫妻が、
客船『飛鳥』で、ウラジオストクへいらっしゃいました。

 1日に横浜港を出、室蘭へ向い、室蘭から日本海へでて
次の寄港地であるウラジオストクへ朝、着いたものです。
この後、『飛鳥』は富山県の伏木港へむかいました。

 大野さんは、伏木へ疎開していて、現地の小学校へも
一年間通われたそうです。今回の主要な目的の一つもこ
の疎開先を訪ねることにあったそうです。

 午前中、ウラジオストク半日観光に参加されて、「潜水
艦博物館」、「鷹巣展望台」、「与謝野晶子歌碑」、「要
塞博物館」を見学されました。

 午後2時に「潜水艦博物館」の前でお会いし、「旧国営
百貨店・グム」、『ツェントラーり」、「グジェり本店」
「ウラジオストク駅」、「クローバー・ハウス」と回り
小休憩。

 グルジア料理とロシア料理店に行くも、改装中と予約済
みとのことで、ホテル「ヴェルサイユ」の前に新しくでき
たレストランで夕食ということになってしまいました。

 ラソーニック{スープ)とツビオークラのサラダとロシ
アのビールとロシアのケーキくらいしか、ロシア的なもの
を味わっていただけませんでした。申し訳ありません。

 出国の手続きのため、19時に帰船。「飛鳥」を目の前で
見ると予想していた以上に大きく、豪華に見えました。い
つの日にか、ロシアまで「飛鳥」できてみたいものです。
「うみ

ウスリースク便り(92)

ウスリースク便り(92)

2008年9月4日木曜日

ウスリースク便り(91)



 O 国語教科書

 (写真は、ウスリースクの春と冬にとったものです。)

 国語の教科書の1ページ目は、雪に閉ざされた数軒の家の
絵が描かれていて、煙突からは煙がでています。川も凍結
していて、その上に雪がつもっています。

 もう1枚はの絵は、雪がとけて川が流れていて、地肌が
見えていますが、残雪も少し見られます。2枚の絵の下に
季節と月の名前が書かれていて、それを読むことから始ま
ります。

 ЭИМА ( декабрь январь февраль )

ВЕСНА ( март апрель май )

ロシア語の月の名は小文字ではじまります。上から順に
冬 (12月 1月 2月) 春 {3月 4月 5月)です。
英語と似ている部分が多く覚えやすいですが、季節は
スラブ語特有の言い方のようです。

 ウスリースクに暮らしている感覚からすると、冬は、
11月、12月、1月、2月、3月で、春が 4月、5月、6月
中旬といったところです。
 
 

2008年9月3日水曜日

ウスリースク便り(90)


 O 教科書販売

 9月1日(月)に、小・中・高の新学期が始まるので教科書が
販売されています。日本では、教科書を扱う書店が決められてい
て、指定した日に一括して持ってきてくれます。

 ウスリースクでは、8月の24日から、中央郵便局のアル広場
に30店以上の屋台が出て、教科書、文房具、カバンなどを売っ
ていました。

 売り子は、名札を胸につけて販売していて、広場で教科書や
文房具を売るのに許可がいるようです。小学校の低学年には、
保護者が付き添ってきていて、メモを見ながら教科書を購入し
ていました。{ロシアでは教科書は無償ではないようです。)

 わたしも、小学校1年生の、算数と国語{ロシア語)の教科書
を購入してみました。算数の教科書はNo.1が32ページ、No.2
が48ページに分かれていて図や絵がたくさん入っている楽しい
教科書です。

 No.1では、1~10までの数の概念と足し算、引き算を扱って
います。驚いたのは、12ページ目に不等号の概念がでてくるこ
とです。 5>2 1>4 3<2+2 などの練習をしてから、
4+2 7  7-2 4  9-1 7 の不等号の向きを考え
させています。 日本の小学校では小学校1年生では扱わないよう
な気がしますが、どうでしょうか。

2008年9月2日火曜日

ウスリースク便り(89)


 O ただ今校舎改築中

 1日に大学の授業が始まったのに、2階から4階
部分の階段と廊下とトイレの改築工事が行われてい
ます。

 本来31日までに改築工事が終わっているはずな
のですが、壁の塗装と階段の工事が行われていて、
2つある階段のうち1つだけしか使用できないでい
ます。

 10分間の休み時間に1つの階段で学生が移動す
るために非常に混雑して不便なのですが、何より
困るのは2階の男子用トイレが工事のため使用で
きないことです。

 30メートルほど離れた他学部の男子用トイレも
改築中で使用できず、結局近所の有料トイレで(8
ルーブル・40円)用をすませました。

 加齢とともにトイレへ行く回数が増えているので
早くトイレが完成しないと1日の出費だけでもばか
になりません。

 ロシアの主要な輸出品である兵器が複数の国から
契約を解除されことがニュースで取り上げられてい
ました。

 契約解除の主要な理由として、ロシアの兵器産業
が兵器の納入期限を遵守しないことがあげられてい
ました。

 ロシアで生活していると、教員や学生の契約や約
束に関する意識が希薄で、こちらの期待を裏切られ
ることがしばしばります。

2008年9月1日月曜日

ウスリースク便り(88)

 O 新学期始まる

 きょう9月1日(月)にウスリースクでは小学校から
大学まで新学期を迎えました。

 小学校の生徒は盛装し、花を持って登校し、担任に
花をプレゼントします。街中で、頭にリボンをつけて
花を持った女の子を見かけました。とても良い光景
です。

 ウスリースク国立教育大学でも1日から、2年生、
4年生は授業が始まると聞いていたので、金曜日に
時間割をチェックに行きました。

 教務主任のスベータさんのところへ行くと、1日の
時間割はできたが、変更の可能性もあり、時間割は
日曜日に最終決定するという返事をもらいました。

 日本であれば、時間割や年間スケジュールは6月か
遅くとも夏休みに入る前に決定しているのが当然です。

 ロシアでは、時間割や年間授業計画、持ち時間表
なども出来ていないくても驚いてはいけません。結局
31日(日)の夜に教務主任宅に電話して確認でき
ました。

 2年生{韓国語専攻クラス)の授業がありました。
初めて持つクラスだったので、私が、まず日本語で
自己紹介をし、そのあとで、学生にも日本語で自己
紹介をしてもらいました。

 このクラスは学生数が6名で、この大学では珍し
く、男子学生が4名と女子学生より多いクラスです。

 出席者は4名と少人数だったので、数多くの練習
問題を復習できました。週1回の授業なので、宿題
を多く課したのですが、来週までにやってきてくれ
るか心配です。

2008年8月29日金曜日

ウスリースク便り(87)

 O 蛇口修理

 6月から、浴室のボイラーの蛇口から少し
お湯が漏れていました。夏休み中も修理をし
てもらえなかったので、再度国際部長に依頼
にいきました。

 施設係に依頼するのを忘れていたらしく、
すぐに学生寮の1階にある施設係主任のとこ
ろへ連れて行ってくれました。

 係主任に蛇口(клан クラン)からお湯が
でていることをジェスチャー入りで説明し、
了解してもらいました。

 ロシア語のクランは、オランダ語のカラン
からきているようで、温泉や銭湯の大きな
蛇口を日本でもカランと呼んでいます。

 今から、すぐに修理にむかうので、駐車場
で待つように言われました。駐車場で待って
いるとスクールバスが迎えに来ました。バス
の運転手の他に50代の施設係の人と20代
の若者が乗っていました。

 大学からバスで10分の所にある、我が家
まで案内しました。修理は蛇口のパッキンの
部分の部品を交換するだけで15分程度の作業
で終わりました。

 日本であれば、修理係りの人が車を運転し
て一人でやって来て、一人で直して帰ってい
くことでしょう。

 ロシアではこの作業を3人で行っているの
です。50代の係りの人は、必要な用具や部
品を手渡すだけで、実際の作業は20代の人
が全て行いました。

 ソ連時代からの慣習からか、それぞれの仕
事の分担が決まっていて、それぞれの仕事の
領域には踏み込まないようです。

 このような非効率な組織や制度がロシアの
大学には、今も残っていることを感じること
が多くあります。



 

2008年8月28日木曜日

ウスリースク便り(86)

 O ブログ再開
 ワーキングビザ取得のため、14日(木)にウスリースクに来ました。
18日(月)に滞在登録(レギストラーツィア)を済ませ、20日(水)
に非エイズ検査証明書、写真を用意して申請してもらいました。

 25日(月)にワーキングビザを受け取ると、10月31日(金)まで
の2ヶ月間の延長が認められただけでした。旧ビザに延長期間がかかれ
スタンプが押されただけのものでした。

 2ヶ月の延長であれば、非エイズ検査証明書も写真6枚も必要なかった
はずです。

 ウラジオストクの日本語教師に対するビザ発行も遅れているそうです。
早い人で9月中旬、遅い人は11月になってからの赴任になるそうです。

 今年の4月に法律が変わり、ワーキングビザの更新をモスクワで一括
して行うことになったのと、ワーキングビザの総発行数に規制をかけて
いるためということで、私のビザも11月以降更新されるのか心配に
なってきました。

 当地では、8月の中旬から涼しい日が続いていて、午前7時と午後7時
の気温が20度前後です。日中は30℃を越す日もありますが、この
1週間は25℃前後で、湿度が低いこともあって木陰に入るとさわやか
な風が吹いてきて、とても心地よく感じます。

 10月までは滞在延長が認められたので、またブログを続けて書こう
と思っています。

2008年7月2日水曜日

ウスリースク便り(85)


 O 帰国準備

 明日、帰国します。現在サマータイム実施中なので、日本との時差は2時間です。14;50分発のウラジオストク発新潟行きは、日本時間の14;30に到着します。夏はウスリースク発11;30発のアルチョン行きのバスに乗ってウラジオストク空港で下車すると、ちょうど2時間前に空港に行くことが出来ます。

 朝7時起床で、8時から洗濯。日本から持ってきた洗剤をちょうど使い切りました。寝具類を干して一休みしていると近所の子ども達が遊びに来ました。一ヶ月ほど前に釣りをしていた子どもたちと友だちになり、そのうちの一人が私のうちのすぐ上に住んでいることが分かり、時々遊びに来るようになりました。

 先日は、イチゴとりんご、きょうは帰国前日ということで、ピザの差し入れをしてくれました。私のほうでも、スーパーでアイスクリームをまとめ買いして冷凍庫に冷やしておいてあるので、それを楽しみにやってくるようです。

 10時から血液検査所に行き、ビザ申請のための非エイズ検査証明書を発行してもらい、大学へ。ビザの手続きが大幅に変わり、ワーキングビザの更新はモスクワで行われることになったため、書類を作成してもらいました。8月20日{水)までに申請すれば、ワーキングビザが発行されるとのことでした。

 ビザの更新が可能かどうか分からなかったため、一時は持って帰ろうと思って用意した荷物は半分になり、スースケース(大)1個だけですんでしまいました。卒業生から電話があり、映画 Секс в большом город
(セクスアンドザシティ)を見に行くことになりました。アメリカの人気TVドラマを映画化したものでニューヨークに住む4人の女性を描いたものでした。2時間を越える時間も退屈することも無かったのですが、全てロシア語に吹きかえられているので、細かい所は分からないところもありました。

 映画を見る前に、映画館2階にある、サロンでお茶やソフトドリンクを飲み、映画が終わるとあっさり分かれとなりました。韓国語科卒業の4人の学生には、いろいろなところに連れて行ってもらったり、家にも遊びに来てもらうなど本当によくしてもらいました。感謝の気持ちで一杯です

2008年7月1日火曜日

ウスリースク便り(84)

  O モルモン教会

 2年前にウスリースクのメインストリートを歩いている時に、スーツを着てネクタイを締めた二人ずれの若者に会ったことがわかりました。声をかけてみると案の定アメリカからモルモン教の普及にやってきたとのことでした。日本での布教と同じように、英語を教えることによって信者を増やしていく方法です。その時にはもらった連絡先のカードを紛失してしまったために、一回も行かずに終わってしまいました。

 今回は、卒業生のアンナさんの誘いもあって集まりに行って見ました。彼女は英語が上手で、授業でも日本語が他の学生が分からない時には、通訳の仕事を引き受けてくれました。夜の6時からは英語を教えていて、モルモン教に関する話は、7;30からとのことでした。

 集まりのあった場所は、以前韓国からプロ棋士が来たときに一緒について行った韓国系の在露韓国人支援団体が入っているビルの2階でホールはは広く、清潔でした。小学生の女の子が3人、中学生の女の子が3人、20代のロシア人の男性が2人、30代と思われる、ロシア人男性1人と女性1人、50代の男性と女性が2人とアンナさんとヴァレンティーナさんと私で15人になりました。

 最初は、シュヴァイツアー博士の言葉の紹介とロシア語訳{参加者が訳す)がしめされました。
  In everyone's life, at some time, our inner fire goes out. It is then burst into flame by an encounter with another human being. We should all be thankful for those people who rekindle the inner spirit.

 英語の授業の時は、宗教色は一切ありませんでした

エルダーと呼ばれる若者が二人で組んで、単語、語句の説明をし、その後でロシア人にロ最後訳を求めていました。そのあとで、新しい語{名詞5、形容詞5、動詞5)の導入とphraseを使っての会話、最後に参加者同士の自己紹介と会話が行われました。

 授業は、楽しい雰囲気の中で、行われ、教え方も上手で楽しいものでした。私には、ロシア語の勉強にもなりまた出てみたい気もします。英語の授業が終わると15名中9名{私も含む)が、モルモン教の教えを聞かずに退席しました。二人のエルダーは嫌な顔もせずに出口まで見送りに来て、歓談。二人は日本の渋谷でも布教していたことが分かりました。英語を無料で習うということに徹することができれば、モルモン教会もまた楽しいものです。

 

2008年6月30日月曜日

ウスリースク便り(83)

  O 卒業式パーティー

 卒業式当日、卒業パーティーが開かれました。韓国語専攻のヴィクトリアさんからもらった案内のカードには、夜の8;30からレーニナ通りのレストラン・シジモイ・ニエバ(седьмой небо 七番目の空)で行われると書いてありました。

 卒業式会場の陸軍の大劇場から大学まで、カーチャさんのお母さんの車に乗せてもらいました。「先生は、きょうのパーティーに来ますか。」と聞かれて、場所を聞くと同じシジモイ・二エバの4階とのこと。開始時間を聞くと9;00からということでした。

 去年のパーティーは、韓国語専攻学生と中国語専攻の学生が、同じ時間に違う場所で開いたために、教職員も二分され、学部長と、副学部長は両方のパーティーを掛け持ちしていました。

 結局始まったのは、9;30からで、それでも全員が揃わないうちに始まりました。{ロシア時間)
中国語科と韓国語科の主任の挨拶の後、学部長の挨拶と乾杯の音頭で、シャンペンやビールやジュースなど、それぞれが好きな飲み物を注文して乾杯します。

 パーティには音楽と司会と余興を担当する専門家が3人いて、手際よく進んで行きます。一時間もしないうちにディスコ・ダンスが始まり学生に促されてダンスの輪の中に入れられます。学生のパーティーではダンスがつきもので、食事の他に踊りのできるスペースの広いレストランが選ばれます。この店の1・2階は中華料理の店で、3・4階は無国籍料理でパーティーのできる大きなフロアがつています。

 3曲ぐらい音楽がなり、ダンスが終わるとまた乾杯になります。アントン{中国語専攻)君は日本語履修者の中の唯一の男子学生で、なかなか酒の勧め方が上手でついつい飲まされてしまいます。酒が強い方ではないので、ウオッカを少し飲んだ後、ワインを小さなグラスで飲んでいるのを見て、猛烈な勢いで注意されました。アルコールの度数の強いものから弱いものへと変えるることは厳禁とのことでした。

 一度、ウオッカを飲んだら、ウオッカを飲み続けるか、それより強い酒を飲まなければなりません。ウオッカで一番アルコールの度数の低いものでも40度もあります。彼や女子学生の飲み方を観察してみると、ウオッカグラスで乾杯した後は、それと同量かその倍ぐらいの量のフルーツジュースを飲んでいます。パーティー終了までには20~30杯ぐらいは乾杯するので胃を保護し悪酔いしないための長年の智恵なのかもしれません。ちなみに、水割りや、ウオッカを飲んだ後にすぐ水を飲むのも体に良くないと注意されます。

 食べては、踊り、乾杯し、余興に興じ、また乾杯、夜中の1時までは付き合ったのですが疲労と睡魔のために途中での退散となりましたが、日本語履修学生7人が出口まで見送りに来てくれました。ここでのパーティーは2時までで、その後二次会で朝の5時まで盛り上がったとのことでした。

 教職員では、2時まで学部長と秘書が付き合ったそうですが、さすがに二次会までは付き合えなかったとのことでした。翌日は朝の9時まで熟睡しましたが、疲労はまだとれていません。
 

2008年6月29日日曜日

ウスリースク便り(82)

 O 卒業式

 今年度の卒業式が、陸軍所有の大劇場で、28日(土)に行われました。卒業式の開始予定時刻を10分過ぎて、式が始まりました。(ロシアタイム)初めに司会者2名(男子学生と女子学生で今年度の卒業生)から来賓の紹介があり、市の教育担当の部長(女性)から祝辞がありました。

 次にこの女性部長から、市の活動(ヴォランティア活動)に参加し、功績のあった卒業生が表彰されました。日本語履修者の中からは、韓国語専攻のヴァレンティーナさんが「子どもたちに韓国の踊りを教えていること」が認められ表彰されました。

 次に学長が挨拶に立ち、卒業生と両親、教員への祝辞、謝辞が述べられ、今年度で学長の職を下りることを表明し、次期学長の紹介と、その挨拶がありました。現副学長が平服で卒業式に参列していて、私のすぐ後ろの席に座っていたので、不思議に思っていました。次期学長が現副学長にかわって、卒業生の呼名を行いました。

 各専攻ごとに卒業生が呼名され、学長から赤い卒業証書を手渡されます。最初に物理専攻の学生が表彰されました。14名中4名が男子学生で各専攻の中で最も男性の割合が高かった専攻です。実は、ここで呼名され表彰を受ける学生は成績優秀者だけで、5段階評価で5か4(4の数には専攻により決まりがある)で、かつ卒業論文の評価が5であるなどの要件があります。

 日本語履修者9名の中で成績優秀者として表彰されたのは、前述のヴァレンティーナさんとM.エカテリーナさん(中国語専攻)の二人だけでした。マーシャさん(中国語専攻)は卒業論文の評価が4であっために成績優秀者に該当せず、そのためか、卒業式にも、卒業パーティーにも出席していなかったのが気になります。

 日本の卒業式と全く違う所は、この専攻ごとの学生の合間に、学生による歌、踊り、寸劇、漫談などが行われることです。また、成績優秀者に選ばれなかった卒業生がこの中に多数参加していることです。この大劇場での卒業式のあとで、大学に行き専攻ごとに卒業生に卒業証書が授与されたそうです。

 最後に、卒業生の中で在学中の課外活動で、優秀な成績を収めた学生が表彰されました。M.エカテリーナさんは、昨年度ウラジオストクで行われた日本語弁論大会の暗誦部門第一位で表彰されました。ヴァレンティーナさんは、昨年イルクーツクで行われた韓国語弁論大会のスピーチ部門第一位で表彰されました。

 卒業式の所要時間は2時間30分、その半分以上は学生の歌や踊りによるものでした。日本人の感覚では、全員の学生が卒業式に参列できないことや、厳粛な卒業式には場違いなコントなどもあり、時間も長すぎることから、卒業式のあり方としては疑問もありますが、参列した学生や両親、家族は満足していた様子なのでロシアの大学の卒業式としては普通の形式なのでしょうか。

2008年6月26日木曜日

ウスリースク便り(81)





  O 続ウスリースク案内 (81)

 公園をレーニンナ通り側に出ると、右手にシベリアの 陸軍司令部があります。ウスリースクに陸軍が駐留していて、徴用去れた新兵の訓練もウスリースクで行われます。司令部から西へ10分弱のところに陸軍が所有する3階建ての立派な劇場がります。陸軍の所有する劇場は、他にモスクワにあるだけです。

 陸軍司令部の西側、二クラソーバ通りをはさんで反対側に、ウスリースク国立教育大学東洋学部があります。途中にあるレストラン(プールバール)で、コーヒーとケーキを注文。(写真)
昨日は、試験期間で、試験がなかったこともあり、学内には学生は殆どいませんでした。私は、男性なので女性トイレは入れないので、1階にある女性用トイレを撮影してもらいました。

 想像した通り、2階にある男性用トイレと比べると、ずっときれいで、問題はありません。(写真左)きょう大学に行ってみると2階の掲示物や剥がされ、壁面の汚れや、凹凸の修復工事が始まっていました。この夏休み中に2階の男性用トイレの修理が行われるといいのですが。

 食品類を買うので、スーパー5+(ピャーチ・プルス)へ行きました。ワイン、肉、ケーキなどを購入しました。(5+ハウスリースクの消費者団体から5年連続して最優秀店舗として表彰されています。)ディスプレイの方法などはアメリカのスーパーから学んだようです。(店内写真撮影禁止)

 REIKO先生とMAIKO先生にウラジオストクとウスリースクとの比較をしてもらいました。

1)ウラジオストクより車や人が非常に少ない。
2)歩道の幅が広いので歩きやすい。
3)坂がないので楽である。
4)木や花や草が多いので、散歩が楽しく出来る。(大学まで公園内を通ってさんぽしました。)
5)ウラジオストクより物価が安い。(最近値上がりしたものが多いのですが、、、、、、、。
6)大きなスーパーがあって、品物の種類が多く、値段も割安で、陳列の仕も良いので買い物が楽しい。
7)5+内でパンを焼いて売っていて、種類も多く値段も高くない。

2008年6月25日水曜日

ウスリースク便り(80)





  O ウスリースク案内


 昨日、海洋大学のReiko先生と経済サービス大学のMaiko先生がウスリースク市を訪ねてきてくれました。ウスリースク市は小さな街なので一日もあれば市内見物をすることが出来ます。

 ウスリースクを長距離バスで訪れると市の中心地にある、バスターミナルに着きます。地著リチチョリーナ通りの目の前に、中央市場があります。肉、野菜、果物、食料品、衣料品、靴、ビデオ、食器類、sp-津用品、日用雑貨など殆どの品物を売っており、ウスリースク市の人や近郊の町から買い物に来る人でにぎわっています。

 バスターミナルから西の方向を見ると、右手にグム(旧国立百貨店)、左にロシア正教の教会が見えます。グムには、今年の初めにエスカレーターが設置され、買い物がずいぶん楽になりました。また、ロシア正教の教会では、沿海州で唯一、教会として存続し続けた建物で、ソ連時代の宗教弾圧にあっても、取り壊しになったり、他の目的に使われることもなかった由緒ある教会です。

 教会の隣接地に、ウスリースク市の出身で、第一次・二次世界大戦で死んだ兵士の墓碑銘が刻まれた日があり、永遠の火がともされ、多くの花が毎日のようにささげられています。墓碑の東側には市の公園があり、サッカーグラウンド、遊戯施設、動物園、売店などがあります。



 

2008年6月23日月曜日

ウスリースク便り(79)

 O 交通法規・交通事故

 きのうウラジオストクからの帰りに、2回、自動車事故の現場を目撃しました。3年間で5回目の体験ですから自動車事故がなり多いものと思われます。ロシアでの自動車事故の統計を見ようとしてインターネットを見たり、学生に聞いても自動車事故の件数は分かりませんでした。

 ウラジオストクのバスターミナルの近くでの事故は、駐車している車がバックして車線に出ようとして、後ろから来た車に追突されたものです。いつも渋滞している場所で後ろから来た車もあまりスピードを出していなかったために、それぞれの車の後部と前部が少し損傷しただけですみました。

 日本では事故があれば、運転者がお互いに言葉を掛け合うものですが、二人とも無言のままでした。二人とも冷静で、すぐに携帯電話で警察(?)に連絡していたところを見ると、たいした事故ではなかったようです。

 ウラジオストク・バスターミナル発の14:30発のスパスク行きのバスに乗り、16;10にウスリースクに着いてチチョリーナ通りに出た瞬間、西から時速60kmくらいのスピードで走ってきたタクシーが
強引に左折しようとした車の真横に追突しました。

 タクシーの運転手は30代のスキンヘッドのタトゥー入りの筋骨たくましい男で、大声で叫びながら追突下車の運転手のところまで駆け寄りました。運転手は、60代か70代の老人で、苦しそうにして一言もしゃべらないのを見て、すぐに電話をかけていました。救急車と警察に連絡を取っているようでした。

 携帯電話で、すぐ話をしていたところを見ると、すでに電話番号は入力済みだったようです。日本でも交通事故は確かに多いのでしょうが、事故の現場を目撃するのは、そう多くありません。ロシアで事故の多いのはスピードの出しすぎと、強引な割り込み、強引な右折(左折)が多いことからだと思われます。

 日曜日にウラジオストクから帰ってくると、必ず事故の現場を通りかかります。100kmくらいのところに、警察の検問が6箇所以上あるのに、事故の減少にはあまり役立っていないようです。白タクに乗って見ると分かることですが、運転手は検問の場所の連絡を取り合っていて、検問の近くではスピードを落としますが
検問所を通過するとすぐに、80km~90kmにもスピードをあげます。

 今日の朝、8;30に大学に行った際、大学前の二クラソーバ通の横断歩道で、歩行者が信号待ちをしていました。いつもは、歩行者は信号待ちをすることはないので、不思議な気がして、私も信号を待ちました。赤信号を無視して横断しようとした男子学生が、歩道に止めてあった車の中から出てきた警察官に呼び止められました。

 そばを通った時に車の中を除いてみると、中に女子学生が二人いて、パスポート(国内の通行手形で14歳になると全ての人が所持する)の提示を求められ、書類にサインをさせられていました。罰金は200円だそ
うですが、学生にとってはかなりの負担になります。

 学生にきいてみると、月曜日の朝は、いつも取締りがあるそうで、つかまった学生は運の悪い学生だということです。試験のため月曜日の朝のこの時間に登校したためのようです。月曜日の朝の2時間は交通法規を守っても、その他の日は信号待ちしている歩行者を、ほとんどみることはありません。

 ロシア人にとっては、守らなくていいものなら法律は守らないと考えている人が多いように思われます。
自動車の前部席に座った人には、シートベルト着用が義務づけられていて、殆どの人がシートベルトを着用しています。違反者には2000円の罰金が科せられるためです。市内のいたるところで、警察官がチェックしています。罰金は、警察の収入になっているかのように、いたるところで警察官が車を止め、違反事項が無いかのチェックが行われています。ロシアでは、とても車を運転しようなどとは思いません。

2008年6月20日金曜日

ウスリースク便り(78)

  O 物価
 ウスリースク市の現在のの食料品の物価について書いてみます。去年の10月以降の物価の上昇は著しいものがあります。ウスリースクでは、食料品は、中国市場、中央市場、小売店、高級スーパーの順に高くなり
ます。このところ中国市場の商品の値段が上昇しています。去年から法律が変わり、中国市場では、ロシア人の売り子を一人採用しなければならなくなったため、人件費を価格に上乗せしているためと思われます。

 2年前と比べて最も価格が上昇したのは米で、中国黒龍省米のは1キロ70円でしたが、現在は1キロ220円もしています。一時、輸入禁止になった時は日本の標準米の値段を越えたこともありました。現在は中国産のという米を食べています。味は龍より少し落ちますが温かいうちに食べれば、まあま食べられます。値段は1キロ180円くらいでしたが、在露韓国人のニコライさんに25kgも貰ったので最近の値段はわかりません。

 2006年6月の値段と比べてみます。(    )内は2006年度。野菜、果実は1キロの価格。

 たまねぎ  100円~120円    ( 60~ 70円)  
 キャベツ  100円~120円    (100~120円)    
 にんじん  !00円~120円    ( 80~100円) 
 トマト   200円~225円    (100~130円)
 きゅうり  200円~225円    (140~160円) 
 大根    200円~225円    ( 80~100円)
 じゃがいも 120円~150円    ( 70~100円)  
 バナナ   200円~225円    (100~120円)  
 りんご   200円~400円    (140~170円)
 オレンジ  160円~180円    (200~250円)

 たまねぎ、キャベツ、にんじんなどはあまり値上がりしていません。2006年には、いちばん近い店には
置いていなかった茄子が目に付きました。1kg300円もするので最も高価な野菜と言えます。
 

2008年6月19日木曜日

ウスリースク便り(77)

O 家計費

  3年生は、今週で試験が終わり、来月初めから中国、または韓国の大学で1か月の語学研修に入ります。今年度、中国語専攻のクラスを2クラス教えましたが、14人中3人は結婚していました。平均年齢は19歳ですから、日本の学生と比較すると学生結婚が多いことが分かります。

 ウスリースク市の平均月収が、30000円(2005年)くらいですから、どうして生活ができるのか疑問に思っていました。大学が私のために借りているアパートの使用料を教えてもらいました。(1ルーブル5円で計算してあります。)

 私の住んでいるアパートは以前ウスリースク国立教育大学の韓国語の先生であった人が市から買い取ったものを大学が借りています。ダイニングキッチン(1)、リヴィングルーム(1)ベッドルーム(2)と浴室・トイレのついたもので広さはどれも10畳以上あります。

 これより少し小さいアパート(ベッドルーム1)を市から借りた時の費用がわかりました。

   家賃       850円
水道基本料    800円
暖房費    6500円  (11月~4月)
湯道使用料   4100円  (11月~4月)
修繕費       565円
   ごみ収集      280円
   テレビ使用料     45円
   電話基本料   1250円
   電気基本料    1000円
   管理費       750円

 上記の金額で特に目を引くのは、家賃が低いことと、暖房費、お湯の使用量が高いことです。低所得用のアパートでは、スチーム暖房のかわりに、電熱器やオイルヒーターを使用し、湯道を使用せずに電気ボイラーや電熱棒によりお湯を沸かします。

 市のアパートを購入希望の人は、毎月家賃の他に一定の額のお金を積み立てることによって個人で所有できるシステムになっています。学生でも二人の所得を合わせれば、家賃が低いので暮らしていけることがわかります

2008年6月18日水曜日

ウスリースク便り(76)

 O 続・満州日日新聞

 
 きょう、日本語科の本棚を整理していて、昭和十四年一月二十七日付けの満州新聞が見つかりました。これで二種類の古い新聞が見つかったわけですが、なぜ本棚に入っていたかは、いまだに不明です。シベリア出兵時にウスリースク会戦と呼ばれる戦闘があったことと、ウスリースクに捕虜収容所があったことが関係しているのかもしれません。

 二つの新聞をの娯楽欄を見ていて気づいたことがあります。『満州の冬は長く、屋外に娯楽機関を求められない関係上、自然室内、、、、、、、、、』(六面からの引用)での娯楽、映画と読書が中心になっています。広告欄から板妻・嵐寛・入江たか子がトップスターだったことが分かります。シピオネと美しき母性は主演者の名前がないことから外国映画のように思われます。

 入江たか子・高田稔の     吾亦紅
 エンタツ・アチャコの      忍術道中記
日本のフレッド・アステイア 中川三郎ハタース公演        大陸劇場

 板東妻三郎の          茨 右近  続魔像
 独逸映画 アナベラ主演    君と暮らせば               新富座

                    シピオネ
                    美しき母性                平安座

 南松新太郎・松浦妙子主演  田宮坊太郎
 立松晃主演           罪なき罪                   南座

 嵐寛十郎主演          鞍馬天狗                  奉劇


 図書館からみた最近の読書傾向    事変以来どんな本が一番よまれるか

 『文芸では一時パールバックのものが盛んに読まれましたが、現在では戦争文学が第一位を占め、例の火野葦平著"麦と兵隊""土と兵隊”をはじめとして"黄塵"(上田廣著)、”征野千里”(谷口勝著)が
殊に人気を博して居ります。

その他女流で林扶美子のものが”女の日記”から大抵一通りは何でもよまれているやうです。なほ最近殊に目立って読者の増えたのは、軽い随筆集とか、ユーモア小説で、ありきたりの恋愛小説などが全く省みられなくなりました。むしろ明治時代の大家の代表作は何時も繰り返して愛読されています。』 

 

2008年6月17日火曜日

ウスリースク便り(75)

                       (本年度・中国語科卒業生)
                     真っ赤な卒業証書をもらいます。

 O アヴァンス (аванс)


 14日(土)の国家試験で、今年度の仕事は終わったのですが、健康を考えて散歩がてら毎日大学に行くことにしました。332教室(英語科・日本語科教室)に行くと、秘書のオルガさんからアヴァンスが出ているからということで、2000ルーブル受け取りました。

 先日、大学から呼び出されて銀行のカードを渡され、今月から銀行振り込みになるものと思っていたので不思議な気がしました。6月分と、7月分の給料は今月末に支給されるのですが、どうやら銀行のカードの使用が来月からになるので、給料の一部が前払いされたようです。

 アヴァンス(аванс)は、ロシア語で前金の意味で英語のadvanceに相当します。日本語にも入っていていて、水商売の人はヴァンスといって前金の意味で使っているということを、どこかで見たことがあります。

 ロシアに来て思いがけない言葉がロシア語になっているのを知りました。昨日アパートの浴室の蛇口がよく閉まらずに、水漏れが始まり、国際部に修繕を依頼に行きました。国際部とはいえ、部長と二人の女性は英語が、殆ど通じません。去年まで国際部にいて、日本の立川にホームステイしたことのある
若い女性は、英語が話せたのですが、いつの間にかいなくなってしまいました。

 ジェスチャーと絵で水道からの水もれを訴えたのですが、そのとき、蛇口のことを「クラン(кран)」といったように聞こえました。あとになって、日本語でお風呂屋さんの洗い場にある、水道やお湯の出る蛇口をカランということを思い出しました。オランダ語から日本語に入ったものですが、語源は同じオランダ語かもしれません。

 授業で思いがけない語がロシア語になっていることをしりました。英語の driver (運転手)や space.
universe (宇宙) や disaster (大惨事)は、英語で言っても通じないのですが、 chauffeur, cosmos, catastrophe はロシア語に入っていて発音もよく似ているので通じるのです。ロシア語では、シャフョール、コスモス、カタストロファといえば十分通じるのです。

2008年6月16日月曜日

ウスリースク便り(74)

                      (本年度、韓国語科卒業生)
 
 O 卒業式・卒業パーティー


 14日(土)に韓国語専攻(5年生)の日本語の国家試験が無事終了し、全員(4名)が合格しました。来週の卒業論文の審査に合格すると、卒業が決まります。日本語履修者は、先日の中国語専攻の学生5名を加えて9名になりました。3年前に来た時には、中国語履修者のクラスはは10名、韓国語履修者のクラスも10名いたので、今年卒業できる学生は半数になりました。


 中国語履修者の5名は4年生に在籍中ですが、韓国語履修者のうち4名の男子学生はすでに退学しています。残り1名の女子学生は、韓国の国費留学試験に合格して、1年間韓国の大学で勉強してきたため、現在4年生に在籍しています。


 成績優秀者は、特別な真っ赤な卒業証書をもらうことが出来ます。5段階評価で一定数の5と3の評価がないことが条件です。去年の卒業式では、表彰を受ける学生だけが呼名され壇上にあがることができました。とても名誉なことで、両親や家族が大勢来てていて、陸軍の所有する大劇場(3階建て)も
定刻前から満員になっていました。


 国家試験終了後、卒業式の夜に行われる卒業パーティーの招待状をもらいました。なんとパーティーの開始時刻は夜の8時半からになっていました。レー二ナ通りにあるレストランですが、大きなダンスフロアがあって、学生たちがよく行く場所だそうです。

2008年6月13日金曜日

ウスリースク便り(73)

 〇 カンスリターツィア (консультация)


 きょうは、午後3時から90分間、カンスリーツィアがありました。これは、試験(エグザミン)や国家試験(ゴス)の前日に行われるもので、英語の ”consultation” に相当します。学生が試験を受ける前日に、質問の時間をもうけて、分からない点や疑問点に答えるものです。その他に、週1回(90分)、日本の大学のオフィス・アワーに相当する時間があり、学生が質問に来ることがあります。

 明日の国家試験にそなえて、韓国語専攻のヴァレンティーナさんとアンナさんがやって来ました。ヴァレンティーナさんは、トピックの『男性の家事を書いていなかったので,チェックを受けに来ました。彼女の作文から、4人の女子学生の共通点が見つかり驚きました。

 ロシアでは、一般的に、男性は家事をしないそうです。彼女のお父さんは、大きなごみを捨てに行くの
と、犬にえさをやったり、散歩に連れて行くくらいしか、しないそうです。食事、掃除、洗濯などの家事はすべてお母さんの仕事だそうです。お母さんも仕事を持っていて、市内のスーパーで料理を作っているそうです。(スーパー内に大きいスペースの惣菜コーナーあり)

 お母んも、自分で家事をするのは当然であると考えていて、娘のヴァレンティーナさんも同様に考えています。「結婚して、もし病気になったら、夫に食事を作ってもらいたいたいでしょ。」と聞いてみると、
「お店で、料理を買ってきてくれればいいです。」と言う答えがありました。

 面白いことに、このクラスの4人の女子学生全員が、男性は家事をしないでもいいと考えていることです。ソ連時代から、女性も仕事を持って、外で働くのが当然であったことから、家事も男女で分担するのが当然と考えているだろうという先入観がありました。

 日本の大学の女子学生に、男性も家事をすべきであるかどうか質問すれば、全く違う結果が出るような気がします。将来の夫に最も期待するところを聞くと、「外でたくさん働いて、たくさんお金を持って帰って、たくさん貯金してくれること。」という答えが返ってきました。日本の経済成長が著しかった時は、日本の多くの女性も、『家事は女性がするべきもの。』と考えていたのでしょうか。

2008年6月12日木曜日

ウスリースク便り(72)

 〇 満州日日新聞


 きのう国家試験終了後、日本語関係の書棚を整理していて、満州日日新聞を見つけました。昭和十四年一月二十二日発行ですから、私の生まれる以前のものです。どのような経緯でこの新聞が書棚に入っていたのか不明ですが、5年前に日本語教育が始まった時のロシア人の日本語教師が持ち込んだものかもしれません。

 一面トップの見出し      東亜新秩序建設こそ
                     眞の世界平和招来 
                         有田外相 外交方針宣明

    一面 中ほど見出し   在欧大公使会談
                     廿六日頃パリで開催  

         流転するヨーロッパ現地事情の正確なる見通しによって帝国不動の外交政策を
         より一層適切且つ有効に展開せしめるため重要な会議が行われる筈である。               
         (重光駐英大使とあるのは、写真から後の外相重光葵と思われる。)

 広告欄には、結核・性病・風邪薬など薬の広告が多く、現在でも使用されているものもある。


      結核はかぜから  一粒肝油  ハリバ    東京・大阪   田邊商店

      結核 肋・腹膜炎に  ハツモン コメット  大阪  黒田薬品紹介

      結核の症状と早期治療  ネオスエー  東京 アルス薬品部

      淋疾 ツヨール  陸軍薬局に収載去れ副作用なき好評の優秀薬  
ツヨール合資会社

      専門科 慢性淋病 副睾丸炎  ハルピン市 陸奥診療所

      性病専門 厚生医院 モデルン前

      産科婦人科 沖津医院 新京堂町(公学校前)

 
      〇 一筆啓上 頭痛にノーシン 火の用心 〇
      〇 碁! 負けつづけ ノーシン のんで 勝ちつづけ 〇

      感冒 百日咳 消化不良 宇津 救命丸  総代理店  玉置商店

2008年6月11日水曜日

ウスリースク便り(71)

 O ビザ更新


 きょうは朝8時から5年生の国家試験(ゴス)が行われました。第二外国語の英語と日本語の2科目が同一の教室で行われました。学生の受験席が10人分用意され、入室の際に手渡された口頭試問の準備が出来ると、試験官のところへ行って試験を受けます。口頭試問の準備のための時間は90分です。

 中国語専攻の5名の学生が受験し、5(4名)、3 (1名)、平均(4.6)という結果に終わりました。全員の試験が終わった所で、学部長から学生に成績の発表があり、その後、試験場に用意された、飲み物、軽食、果物などを食べながらの談笑になりました。

 7月3日(木)に帰国が決まり、8月31日まで有効なビザの更新のために、いつウスリースクにくればいいかを聞きに国際部長を訪ねました。今では3週間前に更新の手続きを取ればよかったのですが、
ビザ更新の手続きに関する法律が変更になり、3ヶ月前に更新の手続きを取らなければならなくなった
とのことでした。

 このため、9月の新年度の授業までに、ビザが更新できなくなる可能性が出てきました。国際部では
私のビザの有効期限が8月31日までであることを知っていたわけですから、5月中に手続きを完了するように、連絡すべきであったのを怠っていたのです。それでも決して自分たちの責任を認めようとしないのも、いかにもロシア的ですこのため、第2外国語主任のタチアナ先生と国際部長バトゥークさんとの間で激しい口論が繰り広げられました。

この後、国際部長から、私の帰国日までに、ビザの更新に関しての連絡を待つようにとの指示がありました。この3年間で何回かビザに関する法律が変わっています。不思議なことに、法律が変わっても、以前の手続きと同じ手続きでも通用することが過去にも何度かありました。帰国日まで待たなければビザの更新がどうなるか分からなくなりました。

2008年6月10日火曜日

ウスリースク便り(70)

 O 試験 (экзамен)


 きょう、4年生の試験(エクザーミン)がありました。ロシアの大学の試験には3種類あり、このほかに5年生に明日行われる国家試験 (государетвенный екэамен) と 今月2日に4年生に実施した ザチョット (зачет) があります。

 エグザミンと国家試験(略称ゴス)は、ヨーロッパの大学の伝統でもある口頭試問形式で行われます。
すでに先日ブログで紹介したトッピックの他に、読解問題(要約、部分・和文露訳、設問に答える)と露文和訳とからなっています。問題は全て当日の抽選によるので、学生の人数分の問題を3分野にわたって作らなければなりません。エグザミンは5段階評価で行われます。

 きょうの試験は9時に開始し、5人の学生のすべてが終了したのが、12時半でした。問題配布から1時間10分経過してから口頭試問の準備ができた学生がやって来ました。5段階評価で、採点し、5(2名)、4(1名)、3(2名)、平均(4.0)になりました。成績も口頭試問の準備が早くできた学生ほど良い成績を取りました。

 明日行われる、5年生の国家試験もエグザミンと基本的には同じ試験です。国家試験は、複数の試験官(通常2名)で行われます。問題作成、管理、試験監督、試験実施など、学内のエグザミンより
厳しい規定のもとで行われます。追試や再試はありません。

 ザチョットは、前期末などに行われる試験で、筆記試験で行われるのが普通です。聞き取りテストや文法、漢字の読み、語彙力テストなどをマルチプルチョイスデ実施します。合否を判断するもので5段階評価ありません。

 

2008年6月9日月曜日

ウスリースク便り(69)

  O 銀行振り込み


   FAR EASTERN BANK   DB         
                     банк            
                              
 4160 8400 OOOO OOOO          
4160

CUSTOMER 05/08 VALID 05/11
SINCE THRU             
HIROTA SHINGO  VISA          
          ELECTRON      

  (大学から渡された銀行のカード)  


6日(金)は、11時40分からの授業だったので朝、音楽を聞いてのんびりしていると、大学から
電話があり、10時半までに銀行のカードを取りに 来るように言われました。
ロシアでは、大切なことがその当日言われ ることがよくあります大学に行くと、カードを受け
とる部屋の前には20人くらいの人が待っていまし た。 幸い、担当者が列の一番前に入れてくれて 待たずにカードを受け取ることができました。

2月の初めに、パスポートとヴィザのコピーを提出してから、4ヶ月たってやっと受け取れました。 暗証番号は、銀行の指定した4けたの番号で 、こちらで選ぶことが出来ませんでした。 給料日になると、会計課の前には長い列が出来ていたので、銀行振り込みも当然かと思われます。

 学生と話をすると、銀行に預金をしていたり、カードを持っている学生は少数であることがわかります。 ソ連崩壊前後のインフレと、銀行倒産を経験しているロシア人は、銀行を信頼していない面があります。

 『どこに貯金をしていますか。」と言う質問を学生にすると、殆どの学生が、『自分の家』とか、『自分の部屋』とか答えます。ルーブルを一部ドルに換えて持っている学生もいます。日本から買っていった『みんなの日本語』の代金をドルで求めた所、翌日に持ってきた学生がいました。 家にはドルがいつもおいてあるそうです。 

 ロシアの経済が好況なためか、銀行のローンの広告が目立ちます。自動車のローンは15~20%の金利を取っていますし、会社を作るのに借りるお金の利息も20%と言うのも珍しくありません。それも3年で返済と言ったローンも普通です。

 ロシア人日本語教師のワレーリヤさんの給料は月7000-ブルですが、3歳違いの銀行で働くお姉さんの給料は、25,000ルーブルだそうです。それだけ銀行の景気がよいということでしょう。

2008年6月6日金曜日

ウスリースク便り(68)



 O 授業終了





 きょうの3限の授業で今年度の全ての授業が終了しました。あとは、来週の4年生の口頭試問と5年生の国家試験(ゴス}を残すだけになりました。4年生の筆記試験では5名中4名が合格したのですが、


あとの一人が、漢字と文法が不合格でした。口頭試問のトピック、読  
  (天然のスケート場)     解、露文和訳で挽回してくれるといいのですが。






  昨日、『ウスリースクのロシア人の学生が、ほとんど経験していないスポーツは何か。』というクイズの答えを書くのを忘れてれてしまいました。
плаванне (プヴァニエ)水泳 と велопрогулка (ヴィラプラールカ)サイリングの2つです。

 ウスリースクの学校には水泳用のプールがありません。水泳の出来る期間は大変短く、夏のわずかな期間です。海で泳ぐ人はウラジオストクかナホトカの海に行くそうです。海水温が上昇して泳げるのは夏休み中のだけであり、川の水温は低すぎて水泳には適しません。最近、ウスリースクにも温水プールができたそうですが、有料とのことで、これまで水泳の経験がない学生がプールに行くこともないようです。



 ウスリースクで、自転車に乗っている大人を見ることはあまりありません。10月下旬から4月上旬まで地面が凍結していることが多く自転車は危険です。5月になってから家の近くで、自転車に乗って遊ぶ子どもが目立つようになりました。昔は、自転車は高価で、親にを買ってもらうことのできた子供は少なかったのでしょう。ウラジオストクのような坂の多い町では、自転車はもっとめずらしいものです。



 経済的に豊かになってきたためか、最近市内で目立つようになったのが、日本の原付二輪車です。中学生くらいの子どもが、ヘルメットもつけずに二人乗りをしていることもあります。日本のように
原付免許はないようです。



 日本の学生と違うのは、どの学生もスケートガ出来ることです。いたるところに天然のスケート場があって、スケートは冬の間、子どもたちに最も人気のあるスポーツです

2008年6月5日木曜日

ウスリースク便り(67)


 O ウスリースクはどんな町


 きょうは、4限(13;20)からの授業からだと思って、家でのんびりしいると12時ごろにターニヤさんから電話があり、きょうは3限からの授業とのこと。あわててタクシーで駆けつけました。2月からずっと4限に入っていたので時間割を見間違えてしまいました。きょうは、『ウスリースクはどんな町』というトッピックを書いてもらいました。これは、カーチ                                 
( ウスリースクの公園内で  さんの書いた文に手を加えたものです。
 バター祭で燃やす人形)

 私は いまウスリースクに住んでいます。ウスリースクに住んで8年になります。私は両親といっしょに ネクラソバ通りの中国市場の近くに住んでいます。

 ウスリースクはウラジオストクの北120kmのところにあり、バスで2時位かかります。人口は17万人です。大学も10以上あって、多くの学生が勉強しています。

 学生は 大学を卒業した後は、ウラジオストクやハバロフスクで仕事をします。 モスクワやサンクトぺテルスブルグへ行く人もいます。  

 バリザン、ビール、牛乳、チーズ、紙、機械などを作る会社がありますが、あまり大きい会社はありません。ウスリースクにはいい仕事が少ないので、残って働く人は、半分くらいです。

 町の中心には公園があって、小さい動物や鳥や虫がたくさんいます。春や夏には、きれいな花が咲くので、ピクニックや散歩によく行きます。

私は、ウスリースクが大好きですから、これからもウスリースクに住みたいです、友だちが遊びに来たら、ウスリースクの公園に連れて行ってあげます。                          

2008年6月4日水曜日

ウスリースク便り(66)


 O トピック (私の趣味)


 授業と筆記試験を終えて、年度末試験の口頭試問の重要なテーマであるトピックを書いています。

 五人の学生の趣味は次の5つです。


    K. ターニヤさん    スケート

    C. ターニヤさん    ピアノ

    カーチャさん       映画

    ウーリヤさん       ダンス

    レーナさん        スポーツ

 レーナさんはスポーツが大好きですが、自分でやるスポーツは、バレーボール(болейбол) とピンポン (пинг-понг)です。彼女が、見るスポーツとして好きなものを4つ書いてくれました。何のスポーツか考えてみて下さい。

1. футбол   2. бадминтон  3. бокс   4. баскетбол

 ロシア文字に慣れてくると読んで分かるようになります。発音は少し違いますが英語がわかれば意味も分かるようになります。スポーツの用語は英語から来たものが多いのでわかりやすいです。

  1. フドール 2. バドミンーン 3. ークス  4. バスキドール と発音し、それぞれ

   (サッカー)    (バドミントン)   (ボクシング) (バスケットボール)のことです。

 学生と話をしていて、日本の女子学生なら10人中8~9人は、「できる」とか、「する」と答えるスポーツを「できない」とか、「しない」とか答えるのに気がつきました。

 気候、風土、経済力などを考えれば当然のことかもしれません。2つのスポーツは何かお考え下さい。(答えは明日のブログで)

 5人の女子学生全員が、スケートを「できる」、「する」と答えていました。冬には天然のスケートリンクがいくつも出来るので、これまた当然のことであります。



 

2008年6月3日火曜日

ウスリースク便り(65)

 O 映画を見る


 きょうは、授業がなく久しぶりの好天気だったので、町の中心部まで散歩に出かけました。 ネクラソバ通りにある大広場までは45分くらいかかります。大学から向かって右側に市庁舎、 左側にはウスリースクに一軒だけある映画館「ロシア」があります。

 立ち寄って見ると、『インディー・ジョーンズ4』を上映中で、第一回上映が、ちょうど良い時間 の13時からでした。全館指定席で入れ替え制です。収容人数は350名で13列目の18番と いう見やすい席でした。といっても第一回上映とあって、観客は40人足らずでした。

 アメリカでは大ヒットとのことですが、この作品では秘宝クリスタル・スカルを付け狙うロシア軍 が悪役になっているため、ロシアではあまり人気がないのかもしれません。

  今回初めて知ったことですが、この映画館の2階には、小さい映画館もあって子供向けの作品 が上映されていました。(大劇場と小劇場)

 料金は70ルーブル(約350円)で安かったのですが、2階のカフェでエスプレソを飲んだところ 60ルーブルしました。コーヒーはロシアでは高い飲みものになります。(インスタント・コーヒーは 15ルーブルです。)
 
 ロシアの映画はすべて、吹き替えで俳優はロシア語を話します。ロシア語をまだ十分理解でき ないので、私の見る映画はこの種の娯楽映画に限ります。

 スクリーンの英語から、おなじみのスピルバーグ監督、G.ルーカス製作、総指揮であることが わかりました。ハリソン・フォードは老いても例のごとくの大活躍で、BGMもなつかしいあの曲が かかっていました。

                        кинотеатр
                        РОССИЯ

                     ИндианаДжонс-4

                     Дата 03-06-2008
                       Врмя 13:00
                   Ряд 13 Место 18
                    Зад 'болшой'

                     Чена 70 p
 

2008年6月2日月曜日

ウスリースク便り(64)

 O トッピック

 今年度から学年末試験の方式が変わり、授業終了までに筆記試験(漢字、聞き取り、文法)を行い、試験期間中に口頭試問形式の試験(翻訳、読解、トッピック)を行うことになりました、今日の授業で筆記試験を終わり、トッピックを書き始めています。

 今年度の4年生のトッピックは、
  ① 制服は必要か 
  ② 携帯電話は必要か 
  ③ 私の趣味
  ④ 私の一番欲しいもの  
  ⑤ 私の一番住みたいところ 
  ⑥ 男性の家事 
  ⑦ ウスリースクはどんな町 
  ⑧ ロシアの料理 
  ⑨ 私の家族 
  ⑩ 私の将来 の10のトッピックです。 このうち半分は去年書いたテーマなので、残りの5つに取  
 り組んでいます。

 今日書いた⑤のトッピックで、一番すみたいところは下記の5都市でした。

  C. ターニヤ (ウラジオストク)  
  ウーリヤ    (ソウル
  カーチャ    (ローマ)        
  レーナ     (ハバロフスク
  K. ターニヤ (ソチ

  K. ターニヤさんの選んだソチは、2014年に冬季オリンピックが開催されることが決定しているラスノダル地方にあるロシア一の保養地です。黒海に面した美しい砂浜があり、雄大なコーカサス山の景色も楽しめて毎夏、数百万人の人がソチを訪れます。気候は温暖で、温泉もあり、スポーツ施設、公園、レストラン、美しい建築物などが多く、休暇を過ごす人々に大変人気があるとのことです。
 モスクワ、サンクトぺテルススブルグの他に、もう一箇所行ってみたい都市ができました。
 
  
 ソチはロシア

2008年5月30日金曜日

ウスリースク便り(63)




      O 日本クラブ






 日本語の授業の他、日本クラブという課外授業で日本の文化を紹介しています。この3年間の活動を紹介します。




 ① 日本のゲーム


  ① 五目並べ(5 or 10) ② 回り将棋 ③ 花札


 五目並べ(連珠)はロシアでも子どものころに遊んだ経験がある学生が多く、すぐできるようになります。(5 or 10)は、碁石を5つ連続して並べるか、相手の石を2つハサンデ合計10個とれば勝ちというルールでおこないます。ロシア人の学生は5目並べるより、石を取ることのほうに関心を示します。
 回り将棋は、金4枚を振りゴマにして、出た数だけ進むという単純なルールですが、意外に人気があります。(数は日本語で数えながら、コマを進めます。
 花札は、月の名前をと花の名前を覚えるのに有効です。在露韓国人の学生の中には、花札の役(猪・鹿・蝶、赤丹、青丹など)などを知っている学生もいますが、最初は取った枚数で、なれてきてから、20点札、10点札、5点札などの点数で勝負を競います。また、誕生日の月の花を集めると、ボーナス点など特別ルールを作って楽しんでいます。

 ② 囲碁

 ルール自体は将棋より簡単なのですが、ダメと生き死にと終局の判断が難しいので、13路盤での石取りゲームとしてやっています。盤上の石の数と、相手の石をとった数とで勝負を競う変則ルールで行っています。とにかく相手の石をとることに興味を示します。
③ 書道

 学生に最も人気があり、参加者も多いので、これまで最も多く書道クラブを開いています。今年度、総領事館から借りた、水書道用の練習ボードが効果があったので、日本で購入してきます。

 ④ 折り紙

 ヒポクラブなどで日本にホームステイしたことのある学生がいて、鶴や箱が折れるので、折り紙の指導を依頼しています。

 ⑤ お茶と日本舞踊

 昨年度ウラジオストクの極東国立総合大学のサカモト先生に来ていただきお茶と日本舞踊の実演をしていただきました。60名以上の学生や留学生社会人が見に来て好評でした。

 ⑥ 日本映画上映

 宮崎駿監督(魔女の宅急便など)、山田洋二監督(たそがれ清兵衛)の作品を上映しましたが、英語(日本語)教室のテレビを使っての上映と条件が良くないので、不評でした。








2008年5月29日木曜日

ウスリースク便り(62)


 O ウスリースク国立教育大学


 私の勤務するウスリースク国立大学は、1954年に教員養成のために創立された大学です。2000年に、韓国語と中国語を専攻する東洋学部が創設されました。
2002年からは英語と日本語を副専攻(第2外国語)とする講座が開かれました。学部長はプペイ・ヴラジミールさん副専攻講座長はコプシ・タチヤナさんで共に30代の若さです。(写真はタチヤナ副専攻講座長・東洋学部前で)


 今年度は、日本人教師2名とロシア人教師2名が日本語を担当しています。日本語を選択している
学生数は、 
        1年生 26名 (3クラス) 2年生 20名 (3クラス) 3年生 22名 (3クラス)

        4年生 16名 (2クラス) 5年生  9名 (2クラス) です。

 なお、日本語選択者は奨学金取得の学生でも、日本語の授業料を払わなくてはなりません。


 1年生と2年生は週1コマ(90分授業)で、年間54時間、3年生は週4コマで年間204時間になっています。3年生は夏季休暇中に、主専攻の言語の語学実習が、中国または韓国であります。4年生は
週4コマで年間162時間ですが、日本語教授法、日本文学、教育実習が行われます。5年生は週4コマで120時間ですが、年2回の教育実習が行われます。


 なお、来年度から日本語専攻のコースが設置され、学生の募集が行われます。将来的には市内の学校(シュコラ)で日本語教育を始め、本校の卒業生が日本語教育を行うことを目指しています。

 

 昨年度日本語履修者(第1期生)の進路は

   本校日本語教師 (2名) ハバロフスクの大学日本語教師 (1名) 日本関係企業 (1名)

   兵役(男性) (1名) となっています。

2008年5月28日水曜日

ウスリースク便り(61)

 O ロシアの日本語学校


 光太夫、庄蔵、新蔵など日本人6名がイルクーツクに入ったのは寛政元年(1789年)のことであった。まもなく、トラベズコフタターリノフと名のる二人のロシア人が一行を訪れる。

 二人は『じつは、わたしたちは、あなたがたと同じ漂流民の子である。』と日本語で挨拶をする。父親は南部藩の船乗りで、久太郎三之助という名でよばれていたとのこと。

 二人の父は、佐井港を出てカムチャッカに漂流し、生き残ってロシアに帰化し、明和五年(1768年)イルクーツクに日本語学校ができると、そこの日本語教師となった。

二人は日本のことばを父親に教えてもらうともに、イルクーツクにあった日本語学校へ通って、日本語を習った。そこは日本語の通訳を養成するところで、以前は、子どもや大人が十四・五人も通っていた。

新蔵は三人の子をもうけ、官位も九等官に進み、日本についての本をあらわし、五十二歳でなくなったそうです。

ロシアが、東洋語や航海術の学校をおいたのは、東アジアへ乗り出す準備にとりかかっていたことを意味しています。

 庄蔵と新蔵がイルクーツクの日本語学校の教師になる、九十年ほど前に、カムチャッカに漂流し、ただ一人生き残った大阪の伝兵衛は、ロシアの都ぺテルスブルグへ入り、ピョートル大帝の勅命を受けて、日本語学校を開き、日本語教師となっていた。

 光太夫一行が、イルクーツクに入る六十年ほど前に、薩摩の港を出て大阪へ向かう船がカムチャッカに流れ着きソウザゴン以外の十五名はことごとく殺されてしまった。ロシア皇帝にぺテルスブルグへ呼び寄せられた二人は神学校で学び、やがて日本語教師になった。ゴンザは日本語に関する数冊の本をあらわすが、その中に世界で初めての『露日辞典がある。

2008年5月27日火曜日

ウスリースク便り(60)

 O おおきなかぶ

 3年前に、ロシアに来るときにM.A.さんから、おおきなかぶ(福音館書店)と光太夫オロシャばなし(新日本出版社)の二冊の本をいただきました。

 『光太夫オロシャばなし』は天明二年、光太夫ら十七名の乗る神昌丸が、駿河の沖で、はげしい風浪にまきこまれ、漂流すること八ヶ月、アラスカに近い小島に流れ着きます。

 やがて、エカテリーナ二世に拝謁を許された光太夫らが、十年にわたって生死のさかいを生き抜いた話です。

 一行の中で、ロシアに帰化した庄蔵と新蔵はイルクーツクで日本語学校の教師をし、その時の生徒は6人だったとのことです。(こんな昔に、ロシアで日本語教育が行われていました。)

 『おおきなかぶ』は、ロシアのお話で、ロシアの子供は必ず、おばあさんや、おかあさんから、子供のときに聞いたことがあり、誰もがそらんじています。

 福音館書店版の絵本の絵を描かれたのがM.A.さんの絵の先生の佐藤忠良(さとうちゅうりょう)画伯だったことから、出発前に贈っていただきました。

 昨年度の、学内スピーチ・コンテストの課題文に使いました。また、今年度、富山県白山市から5名の方がウスリースク教育大学を訪ねて来られた時に、学生たちが、おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみに扮して、自分たちも楽しみながら日本語で演じてくれました。

 日本に帰ったら、ぜひ、孫にも聞かせてあげようと思っています。

 おじいさんが かぶを うえました。 
「あまい あまい かぶになれ。 おおきな おおきな かぶになれ。」

  おじいさんは かぶを ぬこうとしました。
 「うんとこしょ どっこいしょ」
 ところが かぶは ぬけません。

 おじいさんは あばさんを よんできました。・・・・・・・・・・・・・・・・それでも かぶは ぬけません。
          おばさんは まごを つれてきました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・
                  まごは いぬを ・・・・・・・・・・・・・
                       いぬは ねこを ・・・・・・・・・・・・・・
                            ねこは ねずみを ・・・・・・・・・・・・

 ねずみが ねこを ひっぱって
        ねこが いぬを ・・・・・・・・・・・・・
             いぬが まごを ・・・・・・・・・・・
                  まごが おばあさんを ・・・・・・・・・
                       おばさんが おじいさんを ・・・・・・・・・・・

 「うんとこしょ どっこいしょ」 
 やっと かぶは ぬけました。