2008年10月31日金曜日

ウスリースク便り(105)

 O ロシア自転車横断旅行

 4月下旬に、富山県伏木港からウラジオストクに
入った、栗原直人さが、目的地のポルトガルに着き、
ロスアンジェルスの自宅に無事に戻られたことを、
紹介しました。心配された、ロシアからのラトビア
入国も何の問題も無かったとのことです。

 下記のアドレスに、旅行中の写真が載っている
のでご紹介します。(本人の了解済みです。)

http://picasaweb.google.com/naotokurihara

ロシア   (4.25)
 ラトビア (7.31)
リトアニア      (8.01)
 ポーランド (8.04)
 ドイツ        (8.15)
 オランダ       (8.24)     
 ベルギー       (8.28)
 フランス       (8.30)      
 スペイン       (9.11)
 ポルトガル      (9.10)

 (     )の中の数字は入国日です。

2008年10月30日木曜日

ウスリースク便り104

 O 銀行振り込み

 新しいモデムと交換した後、4日間はインターネット
が使用できたのですが、その後サーバーとつながらなく
なり、ブログ、メールなどがかけませんでした。

 大学のコンピューター係りの人がやっと来てくれて、
状況を連絡しておいたため、わずか数分で回復しました。
繋がらなっかた原因は不明とのこと。

 今月から、給料が銀行振り込みになりました。3月
に大学から連絡があり、銀行のカードを渡すので、
パスポートを持って至急大学へ来るようにとの連絡を
もらってから、6ヶ月が経過しています。

 銀行振込みになったためか、給料の明細票をもらう
ことができました。1ヶ月、17775ルーブルで、
そこから、税金と保険で、13%引かれていて、手取
り15000ルーブルになります。

 家賃、電気代、暖房費、水道・湯道代、電話代、ごみ
収集代、インターネット使用料、修繕費積み立てなどが
全て大学の負担なので、十分生活していくことが出来ま
す。

 日本からの航空運賃などは、でませんが、今年から
8月分に相当する額が、生活費という名目ででる様に
なりました。6月末に、3か月分の給料に相当する額を
受け取ることができ航空券もそれで購入できました。

 ロシアでは、独占事業のためもあってか、航空運賃
が割高で、ウラジオストクから新潟まで13500pも
します。この金額で、日本では、ビジネスクラスの席を
購入することが出来ます。

 今は、円高ということなので、クレジット・カードで
航空券を購入したいのですが、6月には、市内で唯一
クレジットカードの使える、旅行代理店が機械の故障の
ため、カードが使用できませんでした。

 明日、新しいワーキングビザが取得できるので、12
月末の航空券を購入して来ます。28日(木)の座席が
あるといいのですが。

2008年10月24日金曜日

ウスリースク便り(103)

 O ビザ更新

 8月中旬にウスリースクに来て、ワーキングビザ
更新の申請をしたところ、10月30日(木)までの
2ヶ月間の延長しか認められませんでした。

 ワーキングビザの許可を待っていたのですが、モス
クワの内務省からの許可がなかなか下りずに、30日
に一時帰国の覚悟をきめていました。

 23日(木)に、ビザの許可が下りた旨の連絡が入り
今朝、非エイズ検査証明書取得のため、血液検査研究所
へ行ってきました。料金は492ルブールと、昨年より
100ルーブル以上あがっていました。

 検査が終わり、いつ証明書をもらえるか聞くと、28日
(火)の朝8時以降という答えが返ってきて、月曜日の発
行は無理とのことでした。

 大学へ戻り、国際部に行って、証明書発行はは火曜日以
降になることを伝えました。ビザ担当のタマラさんの話で
は、月曜日の午前中にウラジオスクにいって、申請しなけ
ればいけないとのこと。

 1週間前に、私が、写真と非エイズ検査証明書を準備し
ておくべきか否か聞いたところ、『何もする必要はないか
ら、ただ待っていなさい。』と言ったのもタマラさんでし
た。

 国際部長のバトゥーク氏が来るのを30分ほど待って、
血液検査研究所の責任者に電話をしてもらい、証明書の
発行を急ぐように頼んでもらいました。

 すると、「すぐに証明書を書くので、すぐに研究所まで
取りに来なさい」という返事が返ってきました。血液検査
を受けて一時間半後に、非エイズ検査証明書を発行しても
らうことができました。

 ワーキングビザの総量規制をしていることと、大学教員
の特別枠がなくなったのも、ビザが取りにくくなった一因
のようです。ウラジオストクの日本語教師もビザの件では
ずいぶん苦労したそうです。

2008年10月23日木曜日

ウスリースク便り

 O ルーブル安

 きょう、ウスリースクの銀行に行って、300ドルを
ルーブルに交換してもらいました。7950ルーブルに
なりました。100ドルが2650ルーブルになる計算
です。

 6月末に日本に帰る時は、100ドルが2350ルー
ブルでしたから、その時と比べると100ドルにつき、
300ルーブル安くなったことになります。

 4年前にロシアに来てから、ずっと対ドルではルーブ
ル高が続いてきました。グルジアでの戦争が始まってか
らは、ルーブル安が続いています。

 ロシアへ投資していた金融資本が、戦争に嫌気をさして
資金を引き上げ始めたからのようで、現在もその流れは、
かわっていないようです。

 この一年間の物価の上昇も著しく、特に乳製品は10
%以上値上がりしたそうです。公共料金の値上がりもあり
一般市民の生活にも深刻な影響があrっようです。

 私が、日本で購入して持っているドイチェ・ロシア債は
{ドイツの銀行がロシア株などに投資)今。どうなってい
ることでしょうか。一時は、いい配当が続いていたのです
が。政治と経済が密接に関連していることが、わかります。

                      廣田慎吾

ウスリースク便り(101)

 O 栗原直人さん無事帰国

 5月の初めに、ロスアンジェルスから来た日本人で、
自転車でロシアを横断し、ポルトガルのリスボンを目指
す栗原直人さんのことを書きました。

 栗原さんからメールをいただいていたのですが、1か月
間、ブログが書けなかったの紹介が遅れました。9月に
ポルトガルに着き、10月に無事にL.A.に帰られたとの
ことです。

 このブログも、コンピューター会社を経営している
栗原さんが開いていってくれたものです。日本に帰国
中と、モデム交換とセットにかかった1か月の中断を
除いて、週に4~5回書いていたため100回に達し
ました。

 栗原さんの撮った写真がインターネットで見れるの
ですが、本人の了解をとった上で紹介させてもらいます。

 私はすっかり忘れていたのですが、一つだけ栗原さん
に教えたロシア語があり、ロシア滞在中とても役に立った
いうことです。

 栗原さんに、 Можно? と尋ねてみます。
 

 

2008年10月21日火曜日

ウスリースク便り100

 O モデム交換

 9月19日{金)にインターネットが使えなくなってしまいました。
翌週22日{月)に国際部長バトゥーク氏にチェックを依頼しました。
29日{月)になってもチェックに来ないので、再度依頼。

 コンピューター部門の担当者のところに行き、催促。若い担当者は
直接の上司からの指示がなかったため、動けなかったとのこと。
10月3日(土)にチェックに来て、モデムの不具合による故障と判明。

 大学で、交換用のモデムを購入してくれるかどうかを検討してくれる
とのこと。翌週の会議で検討してすぐに、交換してくれるとものと思い
待っていても、連絡なし。

 14日に問い合わせて見ると、大学で購入することが決まり、部品を
注文中とのこと。最終的には20日{月)にモデムを交換しセットして
くれて、やっときょうから使用できるようになりました。

 この間約一ヶ月ガ経過しました。各部門間の連絡が悪く、直属の上司
から指示がないと動けないことや、会議を通して物事を決定するのに時間
がかかりすぎるなど非効率な点が多いためと思われます。

 モデム自体は3000円~4000円で購入できるので、こんなに時間
がかかるなら、自分で支払っても良かったのですが、住居に関するものは
すべて大学の支払いになっているのでいたしかたありません。