2008年5月30日金曜日

ウスリースク便り(63)




      O 日本クラブ






 日本語の授業の他、日本クラブという課外授業で日本の文化を紹介しています。この3年間の活動を紹介します。




 ① 日本のゲーム


  ① 五目並べ(5 or 10) ② 回り将棋 ③ 花札


 五目並べ(連珠)はロシアでも子どものころに遊んだ経験がある学生が多く、すぐできるようになります。(5 or 10)は、碁石を5つ連続して並べるか、相手の石を2つハサンデ合計10個とれば勝ちというルールでおこないます。ロシア人の学生は5目並べるより、石を取ることのほうに関心を示します。
 回り将棋は、金4枚を振りゴマにして、出た数だけ進むという単純なルールですが、意外に人気があります。(数は日本語で数えながら、コマを進めます。
 花札は、月の名前をと花の名前を覚えるのに有効です。在露韓国人の学生の中には、花札の役(猪・鹿・蝶、赤丹、青丹など)などを知っている学生もいますが、最初は取った枚数で、なれてきてから、20点札、10点札、5点札などの点数で勝負を競います。また、誕生日の月の花を集めると、ボーナス点など特別ルールを作って楽しんでいます。

 ② 囲碁

 ルール自体は将棋より簡単なのですが、ダメと生き死にと終局の判断が難しいので、13路盤での石取りゲームとしてやっています。盤上の石の数と、相手の石をとった数とで勝負を競う変則ルールで行っています。とにかく相手の石をとることに興味を示します。
③ 書道

 学生に最も人気があり、参加者も多いので、これまで最も多く書道クラブを開いています。今年度、総領事館から借りた、水書道用の練習ボードが効果があったので、日本で購入してきます。

 ④ 折り紙

 ヒポクラブなどで日本にホームステイしたことのある学生がいて、鶴や箱が折れるので、折り紙の指導を依頼しています。

 ⑤ お茶と日本舞踊

 昨年度ウラジオストクの極東国立総合大学のサカモト先生に来ていただきお茶と日本舞踊の実演をしていただきました。60名以上の学生や留学生社会人が見に来て好評でした。

 ⑥ 日本映画上映

 宮崎駿監督(魔女の宅急便など)、山田洋二監督(たそがれ清兵衛)の作品を上映しましたが、英語(日本語)教室のテレビを使っての上映と条件が良くないので、不評でした。








2008年5月29日木曜日

ウスリースク便り(62)


 O ウスリースク国立教育大学


 私の勤務するウスリースク国立大学は、1954年に教員養成のために創立された大学です。2000年に、韓国語と中国語を専攻する東洋学部が創設されました。
2002年からは英語と日本語を副専攻(第2外国語)とする講座が開かれました。学部長はプペイ・ヴラジミールさん副専攻講座長はコプシ・タチヤナさんで共に30代の若さです。(写真はタチヤナ副専攻講座長・東洋学部前で)


 今年度は、日本人教師2名とロシア人教師2名が日本語を担当しています。日本語を選択している
学生数は、 
        1年生 26名 (3クラス) 2年生 20名 (3クラス) 3年生 22名 (3クラス)

        4年生 16名 (2クラス) 5年生  9名 (2クラス) です。

 なお、日本語選択者は奨学金取得の学生でも、日本語の授業料を払わなくてはなりません。


 1年生と2年生は週1コマ(90分授業)で、年間54時間、3年生は週4コマで年間204時間になっています。3年生は夏季休暇中に、主専攻の言語の語学実習が、中国または韓国であります。4年生は
週4コマで年間162時間ですが、日本語教授法、日本文学、教育実習が行われます。5年生は週4コマで120時間ですが、年2回の教育実習が行われます。


 なお、来年度から日本語専攻のコースが設置され、学生の募集が行われます。将来的には市内の学校(シュコラ)で日本語教育を始め、本校の卒業生が日本語教育を行うことを目指しています。

 

 昨年度日本語履修者(第1期生)の進路は

   本校日本語教師 (2名) ハバロフスクの大学日本語教師 (1名) 日本関係企業 (1名)

   兵役(男性) (1名) となっています。

2008年5月28日水曜日

ウスリースク便り(61)

 O ロシアの日本語学校


 光太夫、庄蔵、新蔵など日本人6名がイルクーツクに入ったのは寛政元年(1789年)のことであった。まもなく、トラベズコフタターリノフと名のる二人のロシア人が一行を訪れる。

 二人は『じつは、わたしたちは、あなたがたと同じ漂流民の子である。』と日本語で挨拶をする。父親は南部藩の船乗りで、久太郎三之助という名でよばれていたとのこと。

 二人の父は、佐井港を出てカムチャッカに漂流し、生き残ってロシアに帰化し、明和五年(1768年)イルクーツクに日本語学校ができると、そこの日本語教師となった。

二人は日本のことばを父親に教えてもらうともに、イルクーツクにあった日本語学校へ通って、日本語を習った。そこは日本語の通訳を養成するところで、以前は、子どもや大人が十四・五人も通っていた。

新蔵は三人の子をもうけ、官位も九等官に進み、日本についての本をあらわし、五十二歳でなくなったそうです。

ロシアが、東洋語や航海術の学校をおいたのは、東アジアへ乗り出す準備にとりかかっていたことを意味しています。

 庄蔵と新蔵がイルクーツクの日本語学校の教師になる、九十年ほど前に、カムチャッカに漂流し、ただ一人生き残った大阪の伝兵衛は、ロシアの都ぺテルスブルグへ入り、ピョートル大帝の勅命を受けて、日本語学校を開き、日本語教師となっていた。

 光太夫一行が、イルクーツクに入る六十年ほど前に、薩摩の港を出て大阪へ向かう船がカムチャッカに流れ着きソウザゴン以外の十五名はことごとく殺されてしまった。ロシア皇帝にぺテルスブルグへ呼び寄せられた二人は神学校で学び、やがて日本語教師になった。ゴンザは日本語に関する数冊の本をあらわすが、その中に世界で初めての『露日辞典がある。

2008年5月27日火曜日

ウスリースク便り(60)

 O おおきなかぶ

 3年前に、ロシアに来るときにM.A.さんから、おおきなかぶ(福音館書店)と光太夫オロシャばなし(新日本出版社)の二冊の本をいただきました。

 『光太夫オロシャばなし』は天明二年、光太夫ら十七名の乗る神昌丸が、駿河の沖で、はげしい風浪にまきこまれ、漂流すること八ヶ月、アラスカに近い小島に流れ着きます。

 やがて、エカテリーナ二世に拝謁を許された光太夫らが、十年にわたって生死のさかいを生き抜いた話です。

 一行の中で、ロシアに帰化した庄蔵と新蔵はイルクーツクで日本語学校の教師をし、その時の生徒は6人だったとのことです。(こんな昔に、ロシアで日本語教育が行われていました。)

 『おおきなかぶ』は、ロシアのお話で、ロシアの子供は必ず、おばあさんや、おかあさんから、子供のときに聞いたことがあり、誰もがそらんじています。

 福音館書店版の絵本の絵を描かれたのがM.A.さんの絵の先生の佐藤忠良(さとうちゅうりょう)画伯だったことから、出発前に贈っていただきました。

 昨年度の、学内スピーチ・コンテストの課題文に使いました。また、今年度、富山県白山市から5名の方がウスリースク教育大学を訪ねて来られた時に、学生たちが、おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみに扮して、自分たちも楽しみながら日本語で演じてくれました。

 日本に帰ったら、ぜひ、孫にも聞かせてあげようと思っています。

 おじいさんが かぶを うえました。 
「あまい あまい かぶになれ。 おおきな おおきな かぶになれ。」

  おじいさんは かぶを ぬこうとしました。
 「うんとこしょ どっこいしょ」
 ところが かぶは ぬけません。

 おじいさんは あばさんを よんできました。・・・・・・・・・・・・・・・・それでも かぶは ぬけません。
          おばさんは まごを つれてきました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・
                  まごは いぬを ・・・・・・・・・・・・・
                       いぬは ねこを ・・・・・・・・・・・・・・
                            ねこは ねずみを ・・・・・・・・・・・・

 ねずみが ねこを ひっぱって
        ねこが いぬを ・・・・・・・・・・・・・
             いぬが まごを ・・・・・・・・・・・
                  まごが おばあさんを ・・・・・・・・・
                       おばさんが おじいさんを ・・・・・・・・・・・

 「うんとこしょ どっこいしょ」 
 やっと かぶは ぬけました。

2008年5月26日月曜日

ウスリースク便り(59)


 O 日本語弁論大会


 25日(日)に、ウラジオストクで第15回日本語弁論大会が開かれました。(日本語弁論大会表彰式)
 今年度は、ウスリースク国立教育大学からは、暗誦部門にネッリ(中国語専攻3年生)さんが参加しました。
 暗誦部門の今年の課題は、『バケモノをたいじしたネコ』、『口語訳源氏物語』、『走れメロス』の三つでしたが、参加者は全員、『バケモノをたいじしたネコ』を選びました。長さ、内容、覚えやすさなどの点から当然の選択ともいえるでしょう。
 結果は、ネッリさんが第一位に選ばれ、昨年のカーチャさんに続いての連続優勝となりました。暗誦部門最初の出場者のコンスタンチン君は、日本語、表現力ともすばらしかったのですが、途中でつまずいたところで、ミスが重なってしまい二位に甘んじました。
 ネッリさんは最後のところで、少しミスがありましたが無難にクリアーして栄冠を勝ち得ました。

 また、スピーチ部門では、日本人の血液型性格占いをテーマしたユリヤさんの『あ、やっぱりOO型!』と、幼児教育の是非をテーマにしたマリヤさんの『幼い頃の教育:いいかどうか?』が、1、2位にを、日本語の「かわいい』をテーマにした『可愛い世界!!』が特別賞を受賞しました。
 自分の小さな体験を通して感じたことを、よく掘り下げていて、興味ある日本人論、日本文化論になっていました。日本語の表現や、発音、抑揚の誤り、日本の文化に対する誤解などが多少あっても、学生たちの真摯な取り組みを聞くと、感心してしまうことが多い1日でした。
 この日は、先週行われたウラジオストクの文化祭の優秀作品の中から、コンスタンチン君(前述)の一人芝居、谷崎潤一郎作『刺青』、踊り、『両津甚句』と『ヨサコイ・ソーラン』と『赤頭巾ちゃん』などと、書道の展示があり、書道部門に、三作品を出展しました。

2008年5月24日土曜日

ウスリースク便り(58)

 O 地震・サッカー・ホッケー

 
 きのうで、「みんなの日本語 II」の41課が終わりました。来週は、36課から40課までの文法事項の復習テストと漢字の読みのテストを行い、トピックを書いて、筆記試験に臨みます。

 39課で、「地震で、ビルが倒れました。」という、〔名詞〕+ で の構文を学習しました。復習のなかで、学生が、「地震で、中国の人が 大勢 死にました。」という例文をあげました。四川省の地震で、50,000人以上もの人が亡くなったことを言いたかったのです。
 P.112の練習Aで、「じこで 人が大勢 死にました。」を学習していたので、「中国の」を付け加えただけなので、易しかったようです。すると、別の学生が、

 「サッカーで ロシアが 優勝しました。」 と言うと、別の学生が、

 「ホッケーでも ロシアが 優勝しました。」「今朝のテレビで見ました。」と うれしそうに言いました。

 サッカーはアイルランドに2-0で、ホッケー(アイスホッケーのこと)は、5-4でカナダに勝ったことだけは、分かりました。

 学生が、例文に時事的なことを入れて、答えてくれたことに大変満足して、インターネットで調べて見ました。

 14日にイギリスのマンチェスターで行われたUEFA杯決勝でで、ロシアのゼニがアイルランドのレーンジャーズを2-0で破り優勝したことがわかりました。ゼニトは優勝候補のバイエルンを準決勝2で、
5-1で破っての優勝でした。2005年にあの〔ガスフロム〕が経営権を握り、強化に乗り出し、オランダ人監督アドフォカートを迎えて、急速に力をつけたようです。

 また、国際アイスホッケー創立100年を記念してカナダで行われた世界選手権で、第3ピリオドまで2点リードされていたロシアが、同点に追いつき、オーバータイムで決勝点を決めて15年ぶりにチャンピオンチームに返り咲いたとのことでした。

 2008年の世界ランクが発表され、1位カナダ、2位ロシアとなり、前チャンピオンチームのスウェーデンは4位に、日本は22位にランクされました。

 また、18日には国際テニス連盟(WTA)のランキングが発表され、エナン(ベルギー)の引退にともない、しばらく不振が続いていたシャラポワが、最近の活躍で、昨年度5位から1位に返り咲いたことも分かりました。ロシアにはシャラポワの他にも、クズネツォアやチャクエタゼなどの強豪選手がおり、復帰後の緒戦でクルム伊達(世界ランク425位)が大活躍した日本とでは、だいぶレベルが違うようです。

 ロシア語では、サッカー、アイスホッケー、テニスは、футбол(フドボール) хоккей(ハッケーイ) теннис (テーニス) です。スポーツは発音が少し違いますが、ほとんど英語で通じます。

 ロシア文字に慣れてきたでしょうか。(フドボールのが有声化したためです。)

2008年5月23日金曜日

ウスリースク便り(57)


 O 書道



 22日(水)に日本クラブを開き書道の指導を行いました。今回は25日(日)にウラジオストクで行われる文化祭に出展を希望する、4年生のアンナさん、K.ターニヤさん、C.ターニヤさんの3人が参加しました。(写真は先月末の初心者のための書道)


 三人とも、何度か書道に参加した経験があるので、自分の好きな漢字を選んで書いてもらいました。C.ターニヤさんは、韓国に一年間留学した時に、韓国で書道を習ってきたので、運筆の練習法は韓国独特の方法です。円を描き、円の中で、縦、横、斜めに筆を動かして、練習し、筆使いを覚えます。K.ターニヤさんも韓国式練習法で、筆使いを覚え、その後、日本の中学校の書写の本で練習しています。


 今回、初めて、領事館からお借りした、水習字用の練習具を使って練習しました。軽量で、扱いやすく、練習も何度でも出来るので非常に役に立ちました。去年は、黒板に水をつけて筆で練習しましたが、この練習具はとても効果的です。


 4年生は、この時期はとても忙しいので、去年ほどは練習ができず、作品の出来具合としては、あまり良いものではありません。アンナさんは「大地」をK.ターニヤさんは「天地」を、C.ターニヤさんは、「春の夢」を書きました。


 先月末に行った書道指導は、1~2年生が対象だったので、初めての学生が半数、2度目の学生が

半数でした。初心者に書道を指導する際に、5年生のアンナさんが以前インターネットで調べてくれた『書道は仏教の禅の教えに従い、精神の集中とその解放を実践することを目指すものです。』という言葉を紹介しています。


 ロシア人の学生が、初めて筆を持って、好きなように漢字を書いてもらうと、筆先のほうを持って、絵の線を書くように均等な一本の線を書いてしまいます。そこで、筆の持ち方,墨のつけ方を教えた後で、「一本の線を書くとき、精神を集中して、力強く線を書き始め、途中でその集中力を弱め、最後に、また、集中力を高めて終わるようにしてください。」と教えています。


 初めての学生には筆を一緒に持って、其の要領をつかんでもらいます。こうやって練習していると、初めての学生でも、だんだん上手になっていくのが分かるせいか、とても興味を持って取り組んでくれます。学生は、教えられるより、自分ですることのほうを好むのは、どこの国でも同じでしょう。

2008年5月21日水曜日

ウスリースク便り(56)

 O ティシュー 


日本人の生活の中でティシューが使われるようになったのはいつの頃からでしょうか。今では、生活の中でなくてはならないものになっています。日本では、町に出て、駅前を散歩すれば、5つや6つの小さいティシューを無料で手に入れることが出来ます。 

 ロシアではティシューそのものが貴重品です。私のアパートから最も近い店で、エレモアという日本製のティシューを売っています。400枚(200組)入りで、240円します。日本では、いつも、どこかで、ティシューの安売りをしていますから、100円以下で購入できるものです。 

 ポケットティシュー(携帯用ティシュー)は、ロシアではなかなか手に入れることはできません。中国市場か、一部の大型スーパーにしか、置いていません。中国市場で手に入るものは、紙質が良くないことと、妙な香りが付いているものもあり、とても買う気になれません。 

 O カレンダー 

 カレンダーも、お金を出して買わなければ手に入りません。10月の初めごろから翌年のカレンダーが売り出されます。ロシア正教のイコン、名所、景色、花、動物などをおさめたカレンダーもありますが、一番多いのは、翌年の干支をあしらったものです。 

 中国の干支をそのまま採用しているので、猪年と未年は、豚と山羊になっています。日本人で豚年と言われて喜ぶ人はあまりいないでしょうが、ロシアでは豚は縁起の良い動物とされています。

 2006年には、トヨタ自動車の I さんから、2008年にはネッツ茨城のWさんから、カレンダーを送っていただきました。学内のスピーチ・コンテストの賞品としても、使わせていただき、とても好評でした。(2006年のカレンダーは、今だに教員室の壁にかかっています。)


 O Да (Yes), Нет (Not), Спасибо (Thank you), Где туалет? (Where is a toilet?) 

 外国を旅行する時には、上の4つの言葉は必ず覚えて行くようにしています。あとは、ジェスチャーと度胸とその場の状況で何とかなるものです。 ロシア文字はギリシャ文字を基にした表音文字で、キリル文字と言う独特の文字が使われています。 

 Д(D), Н(N), Г (G), п(p), с(s), и(i), б (b), у (u), л (l) 

 上の4つの言葉の中に見慣れない文字があると思います。英語と違った文字を使うものや、英語にない文字もあり、全部で33文字になります。文字が読めるようになると、意味が分かるものも多いです。

2008年5月20日火曜日

ウスリースク便り(55)

 O トイレ(続き)


 大学の2階にある男子用トイレは、建築当時のままになっています。横1m、たて1.5mくらいの大きさで、その上、ステップがあり、紙を捨てる籠と箒が置かれているので、中はとても狭いです。

 トイレには紙が置かれていないので、自分で持って入らなければなりません。使用後の紙は、籠の中に捨てます。学生は、ノートや時には授業の資料を使っているようで、トイレット・ペーパーやティシューを使用している様子はありません。

 使用後に前方にある紐を引き、水を高い所にある貯水槽から落として、その勢いで流す方式です。1日に3回、係りの人が紙の回収に回っています。1階にある女性トイレは、講堂の入口近くにあり、使用頻度も高いためか、改装済みでとてもきれいだといことを、大学の名誉のために付け加えておきます。
 
 O 水

 ロシアの水道水は、生水で飲むのは避けたほうが賢明です。ロシアに来て、2週間ほどたったころ、両足の付け根の所に、発疹のようなものができました。生水は飲まなかったのですが、洗面、はみがき、入浴などに水道水をそのまま使っていたためのようです。最初は、家ダニなどにかまれたかとも考えましたが、左右対称に発疹が出ていた所を見ると、原因は水にあったように思われます。

 ロシア人は水道水を沸かしたものをそのま間飲んでいるので、煮沸すれば問題ないのかもしれません。5リットル入りの水を買うと、100円~120円します。すこしお金はかかりますが、安全のため、料理や飲料には市販の水を購入して使用しています。(1リットル瓶で買うと70円くらいになり割高です)

 レストランで水を注文する時は、他のヨーロッパの国と同様、ガス入りかガス抜きの水かをはっきり示してください。ウラジオストクのスタジオ・コーヒーで軽食を注文した時、持参の水を飲もうとして、テーブルの上においておいたところ、ウエイターに注意されたことがあります。

  O クイズの答え  

 バレー・ダンスは、日本の社交ダンスに当たるそうです。ウラジオストクではタンゴが
人気がある事は聞いていましたが、最近では学生や若者にサルサが人気があるそうです。また、夜の12時以降に行われるセクシーダンスも人気があるそうですが、どんなものか一度見てみたい気もします。

2008年5月19日月曜日

ウスリースク便り(54)

 Gardnerfg さん


最初の投稿ありあがとうございました。ナオトさんがすごいと思うのは、30代、40代の人が多く、60代の人の反応が割に冷たいのは、体内にあるエネルギーによるものか、個人差なのか分からないでいます。その後、ナオト連絡がないので心配しています。


 Junta さん


 ベリーダンスと長生きしますは、正解でした。果物と子供の取り違えは、一般的な誤りではないので、難しかったでしょうか。ウラジオストクの学生も、オナカダンスと言っていたというメールをもらいました。


Shouheiさん


 割り箸と、おしぼりは不正解です。ロシアの普通のレストランには、割り箸もおしぼりもおいてありません。寿司屋と日本料理店(どちらも非常に高い)では出てきますが、割り箸もおしぼりりも(紙製)どちらも無料でした。


 答えは、① トイレ ②  ③ ポケットティシュー 又は ③ カレンダーです。


 O トイレ

 日本では、ほとんど無料なのにロシアで殆どが有料なものにトイレがあります。(日本で、有料トイレといえば、JR新宿駅地下にある、有料トイレぐらいしか行ったことがありません。)


 欧米を旅行したことのある人なら、必ず有料トイレの体験があるはずです。ロシアの有料トイレは、作られてから20~30年くらいは建っていると思われるほど、古くて汚いものが多いです。ウラジオストクでは、市内7kmまでのバスの運賃が10ルーブル(約50円)ですが、トイレ使用料も同料金ですからかなりの割高です。


 ウスリースクでは、トイレは現在7ルーブルですが、いずれバス料金(9ル-ブル)と同額になるでしょう。中国市場内にあるトイレは5ルーブルですが、非常に汚い上に、横の仕切りはありますが、ドアが無いのでとても使用する気になれません。


 ロシアのレストランには、トイレがついていない所もあります。客席が40席ぐらいあるような、レストランやファーストフードの店でも、男女兼用のトイレが一つしかついていないケースもかなりあります。ウラジオストクに近年オープンした、レストランや食堂街には、男女別の清潔なトイレが複数ついています。


 ロシア人は日本人と比べて、トイレに行く回数が非常に少ないことがわかります。私の勤務している東洋学部の校舎には、男性用トイレは3階に一つだけあり、しかも大小兼用のものが3つあるだけです。この3年間、休み時間でも、トイレで順番を待たなければならなかったことは、殆どありません。



 勿論男子学生の数が少ないこともありますが、教員、事務職員、学生の数をあわせれば、少なくとも常時50人の男性が、東洋学部棟にいるはずです。子供の頃からの習慣からか、トイレに行く回数が少ないのではないでしょうか。


        ロシアに来る前に、ロシア語を4つだけおぼえて来ました。その一つが


          Где туалет? (グジェ トゥアリェート)  Where is a toilet? 



 ロシア人にカタカナをそのまま読んでも、ほとんど通じるので、覚えておくと非常に便利です。現代のヨーロッパの言語の中で最も難しい言語の一つと言われているロシア語でも、現在を示すbe動詞と、冠詞がないことから、「トイレはどこにありますか。」は、英語よりずっと易しいですね。



 クイズ 1    ロシア人の言う「バレー・ダンス」とは、どんなダンスでしょうか。

          (ウラジオストクのユーリアさんからのメールの中からのクイズです。)



 クイズ 2    私が、ロシアに来る前に覚えてきた、他の三つはなんでしょうか。

2008年5月16日金曜日

ウスリースク便り(53)

 O ブリデス

 学生たちが、アヤコ先生から聞いたのは、『久しぶりですネ』でした。最初の『久し』の部分が聞き取れなかったのでしょう。ちなみに、アヤコ先生に確認すると、『ぉ久しぶりですネ』と言ったそうです。

 O オナカダンス

 オナカダンスはベリーダンスのことでした。おなかという言葉を覚えた後だったので、ベリーの部分だけを日本語にしたためです。ロシア語でもベリーダンスのままでした。ヴィーカさんは4年近くウラジオストクで毎週べリーダンスを習っていて、ウスリースクで教室を開いた所、生徒が30名くらい習いに来ているとのことです。

 O ナガイキスヲシマス

 「長生きをする」と『長生きする」を混同して、『ナガイキスヲシマス』になったものです。最初、女性同士と男性同士のキスを比べたものと考えてしまいました。たくまざるユーモアが現れています。ワーリャさんは、卒業予定者の中で、最もユーモアのある女性に選ばれました。

O コドモヲタベテエイガミマス

 『果物を、食べて、映画を見ます』と言うところを、果物と子供を間違えて、『コドモヲタベテ』になり、『映画を見ます』と言うところを、『エイガミマス』になった誤りです。私もロシア語で、同様の取り違えをよくすることがあります。なぜか、木曜日(チトヴィェ-ルク)と人(チラヴィェーク)とを、よく間違えて、学生たちに笑われることがあります。
 
 O クイズ (答えは、月曜日に)

 日本では、ほとんどが無料であるもので、ロシアではかなり割高になるものを、3つあげてください。

 
 

2008年5月15日木曜日

ウスリースク便り(51)


 O ブリデスネ

 日本語の卒業試験を終えた、5年生が教員室に顔を出しました。卒業論文執筆中で、気分転換をかねて、大学へやって来ました。国家試験前に、韓国語(中国語)の、文体論、翻訳論、言語史、音声学意味論、語彙などの総まとめの講義の時間割を確認しに来たとのことでした。


 ナースチャ:  先生、『ブリデスネ』って 何ですか。
 私     :  え、 ナミ(ウスリースクに一軒だけある寿司屋)に行ったんですか。
 ナースチャ:  違います。 アヤコ先生が言っていました。
 私     : {しばらく、考えて) ああ、わかりました。 『OOOOOOOO』のことじゃないですか。
 ナースチャ:  あ、わかりました。

 卒業試験のトピック(テーマを選んでスピーチする)frも、面りがありました。

 ヴィーカ  : 私の趣味は『オナカダンスヲスルコトデス』
 私     : 『オナカダンス』って、何ですか。
 ヴィーカ  : お腹ダンスです。
 私     : ロシア語で,何て言いますか。
 ヴィーカ  : 『OOOOOOです。』
 私     : あ、わかりました。『OOOOOO』ですね。

 ワーリャ  : ロシアの女性は、男性より『ナガイキスヲシマス』。
 私     : え、ロシアでは、『女の人は男の人より、キスが長いのですか。』
 ワーリャ  : はい。そうです。
 私     : {ジェスチャー入りで) キスが長いのですか。
 ワーリャ  : (笑い) 『長いキスじゃありません』
 私     : ああ、『OOOOOOO』 ですね。
 ワーリャ  : そうです。

 ナースチャ:わたしは、晩ごはんの後で、『コドモヲタベテエイガミマス
 私      : もう一度、ゆっくり言ってください。
 ナースチャ:わたしは、晩ごはんの後で、『コドモヲ、タベテ映画見ます。』
 私     :(ジェスチャー入りで)、子供を,食べて、映画を見るのですか。怖いですね。』
 ナースチャ:{笑い)あ、『OOOOOOOO,映画を見ます。』です。
 私     :わかりました。

   学生たちは、最初に、なんといったか考えてみて下さい。{答えは、明日のブログで}
 

2008年5月14日水曜日

ウスリースク便り(51)


 O ロシア協会

 昨日、白山市ロシア協会の会長の松山さん他4名の方が、ウスリースク国立教育大学
を訪れました。人口約170,000人で、在留登録をしている日本人が、わずか2名なので、
ウスリースクを訪れる人は非常に少ないです。

 ヒポクラブのメンバーが、ホームステイで来ていることはあるようですが、まだお会いした
ことはありません。シベリヤ鉄道のロシア号の最初の停車駅がウスリースクなので、駅前で
写真を撮ったり、食料を買い込んだりしている日本人は多いようです。

 白山市のロシア協会の人たちは昨年に続いて2回目の訪問ですが、大学への訪問は
今回が初めてです。民間での交流を深めた上で、最終的には姉妹都市の締結を考えて
いるようです。

 今回、ウスリースク市に日露協会の支部が出来たこともあり、その表敬の意味もあった
ようです。ウラジオストクのロシア協会の副会長と、通訳が付き添っていました。以前交流
の深かったイルクーツクのかわりに、ウスリースク市との交流を深めたいとの希望がある
ようです。

 歓迎の意味もこめて、1年生のカーチャさんの朗読『バラが咲いた』、2年生の寸劇『大きな
かぶ』、3年生のネリーさんの暗誦『化け物を退治した猫』を楽しんでもらいました。その後、
日本茶とチョコレートで懇談、きょうはウスリースクの農業試験場の見学を予定していました。

 近い将来、ウスリースク市と白山市の交流が深まり、姉妹都市に発展するかもしれません。

 

2008年5月13日火曜日

ウスリースク便り(50)


  O 表彰状

 昨年の5月から、ウラジオストクの海洋大学の中にある、イースタン囲碁クラブに、月に2回碁の指導に行っています。一年のうち、ロシアに滞在している期間は9ヶ月間なので、延べ18ヶ月、36回指導に行ったことになります。

 週三回の活動日ですが、私の行った週は、日曜日の午前中もクラブを開くので、延べ日数にすると72回になります。往復に約5時間、海洋大学に一泊して帰るので、一回に約24時間かかります。若い人たちの上達の早いのは、驚くべきほどです。ロシアの囲碁界は、ルールも用語も挨拶もすべて日本語で行います。

 若い人たちの間に囲碁が普及し始めているのは、アニメの『ヒカルの碁』の影響大です。日本の囲碁クラブと違って、若い人と女性の多いのが特徴です。51番シュコラ小学校)でも囲碁の指導を始めたことから、暖かくなって小学生もやってくるようになりました。

 今回、立派な額に入った、表彰状をいただきました。(原文はロシア語)

To Mr. Hirota

 We express our gratitude for your taking part in our activities and your help in developing Game Go in the Far East.

We are grateful for all what you have done for our Club. We consider that you are our greatest
leader. We wish you success, health, long life , and optimism.

We invest you with the title of the Master of the Member of our club.

President of Eastern Go Club

2008年5月12日月曜日

ウスリースク便り(49)

  白タク

  ウラジオストク市の中心部から、車で30分ほど行った所にバスのターミナルがあって,そこから各主要都市とを結んでいます。ウラジオストクとウスリースクも遠距離バスがでていて、料金は140p、所要時間は約2時間です。

 同じルートを走る白タクがあり、料金は200r-ブル、所要時間は約1時間半です。バスターミナル内で堂々と客引きをしているところを見ると、半ば公認されているように見えます。日本製のワゴン車(一部
韓国製)に客を10から11名乗せて走ります。

 白タクの運転手にとっては、一日に何往復できるかが重要なので、一般道を60から90kmの速さで
走ります。ロシア悪路が多く、幹線道路でも、段差や穴の開い手いるところがあります。頭を車の天井にぶつけたり、腰を痛めたりしないように、気をつけていなければなりません。

 途中で、ガソリンスタンドに寄って、給油しますが、給油中でもエンジンをかけっぱなしにしています
ソ連時代には、自動車のエンジン・オイルを暖めるために、厳冬期には、自動車の下で焚き火をしていたとのことなので、エンジンを切らずに給油するのも気にしないのかも知れません。

 ウスリースクーーーウラジオストク間の白タクにはあまり乗らないようにしています。スピードの出しすぎ、給油方法が気に入らないのと、以前スピード違反とパンクのために大幅に遅れたことがあったからです。日常生活においては、白タクがとても便利な時があります。街中で、走っているタクシーを見つけて目的地まで行ってもらうのは大変なことです。

 一般車を止め、値段の交渉がまとまれば、すぐに白タクに変じてくれます。昨夏、大学時代の友人4人がウスリースクに来たときには、通りがかりのトラックを止めて、5人分の荷物を荷台に積んでもらい、駅まで行ったことがありました。運転手は凹凸の沢山ある道をドラフト走行まがいのテクニックで
走り、我々をちょっぴり怖がらせたことも今では思い出の一つになっています。

2008年5月9日金曜日

ウスリースク便り(48)

 戦勝記念日{対独}

 きょうは、国民の祝日で、5月に入り2度目の3連休です。ロシアでは日本のように祝日は多くありません。この数日、日中でも10℃前後の日が続いていたのですが、きょうは五月晴れ、午後には20℃を越しました。

 市庁舎前では、記念式典と、軍事パレードが行われました。テレビ中継されたモスクワのパレードとは異なり、若い兵士の行進の足がそろっていなかったり、私語をするものもいて、いささか緊張感にかけるものでした。

 中ソ紛争の時には、ウスリースクに陸軍の最強部隊が駐留していたとのことで、時代が変われば、変わるものかと思われます。陸軍司令部の塀を乗り越えて出入りする兵士も見られ、規律の乱れも見受けられます。沿海州の青年が徴兵されると、ウスリースクの駐屯地で訓練を受けます。軍隊での新人いじめが問題になっていて、このためウスリースクに良いイメージが無いというロシア人もいます。

 広場には、多くの食べ物や、おもちゃや、お土産や、遊戯施設が出ていて、家族ずれや若いカップル
老人(退役軍人)など多くの人で賑わっていました。特に目に付いたのは、日本のお祭りで売っている、
綿菓子で、機械も製法も日本と全く同じものでした。ロシアの子どもも綿菓子が大好きです。

 エレベーターとエスカレーター

 日本では、S社製のエレベーターが、各地で事故を起こし、問題になったことがありました。ウスリースクではエレベータの事故を聞く事はありません。エレベーター(ロシア語・リフト)はほとんど存在しないからです。学生の話では、ウスリースクホテルと12階建ての高級アパートに、エレベーターがあるとのことでした。

 手洗いで長い時間洗濯をしていたため、腰を痛め、ウスリースクホテルの8階にある中国式マッサージで治療を受ける事になりました。ホテルでエレベータに乗ろうとすると、警備員にフロントに行くように言われました。

 フロントへ行くと、パスポートの提示と料金10ルーブルを請求されました。ホテルの宿泊客以外でホテルを利用するときはエレベーター代が必要でした。(市内7kmまでのバス料金が9ルーブルですから、かなり高い料金です。)

 定員4名の古くて小さなエレベーターで、上下降の際はかなり大きな音がして不安になりました。ちなみに、大学の寮は9階建てですが、エレベーターは付いていません。

 昨年10月に、大型家電店のエルドラドとショッピング・センターのアンタレスがオープンしました。3階建てのこの2つの店舗には、立派なエスカレーター(ロシア語・エスカラータ)が設置されています。また
バスターミナル近くのグム(旧国営百貨店)も今年改装され、正面入口にエスカレーターが設置され買い物が楽になりました。

 この冬強風で木が倒され、電線をいたるところで切断したため、復旧に24時間以上かかることが数回ありました。自家発電を備えていないと、エレベーターでは対処できません。停電に強いエスカレーターは、まさにウスリースク向きといえるでしょう。現在、古くなった多くの商業施設が改築されるようになりました。今後もエスカレーターは増えていくことでしょう。

2008年5月8日木曜日

ウスリースク便り(46)

 エイズ検査

 マルチワーキングビザ取得のためエイズ検査を受けました。病院の一角にある血液分析研究所を訪れると、検査室に案内されました。検査室は日本の高校の化学の実験室のような部屋で、棚には試験官や試薬のようなものが、たくさん並んでいました。

 検査係の大柄な女性の指示により、木製の長椅子に座って待っていると、検査係の女性が、消毒薬を綿に湿らせ、私の中指の先を拭きました。事態がよく飲み込めないうちに、彼女は何かロシア語で言った後、針を中指の先に刺しました。指先から血が出てくると、その箇所を絞り、試験管に血液を1cmほど採ると、終了の合図を私に送って立ち去りました。

  指先には,末梢神経が通っているため相当な痛さで、止血用の綿で指先をしっかり押さえていても、痛みはとれませんでした。10分後に検査料、証明書料133ルーブル(約500円)を支払い、非エイズ証明書を手にいれました。(2005年10月現在)

 2006年10月にエイズ検査を受けた時には,日本の歯科医院のような椅子に座り、注射器で採血されました。料金は倍、検査証明書は3日以後になりました。

2008年5月7日水曜日

ウスリースク便り(46)

 ブログ開設

 クリハラ ナオトさんが、私のプリンターの調節をしだけなく、ブログを開設して開設してくれました。
これをいい機会に投稿しようと思います。

 私は、現在、ウスリースク国立教育大学の日本語教師として、ロシア人の大学生に日本語を教えています。

 ウスリースク市はウラジオストクから約100km北に位置し、中国との貿易の拠点、沿海州の農業の拠点となっていて、人口は約170,000人に達します。
 
 また、陸軍の極東の司令部があり〔中国・北朝鮮の国境から約100km〕、軍需産業や金属工業も盛んです。中国との国境には渡り鳥のサンクチュアリでラムサール条約にも登録されている北東アジア最大のハンカ湖(興凱湖)があります。

 平均寿命
 
 2004年のロシア地域発展振興省の発表によれば、ロシア男性の平均寿命は58.6歳です。ソ連崩壊後の極度のインフレ、通貨危機により街には失業者があふれ、麻薬、アルコール、たばこ等の依存症、ストレスに悩む人たちや自殺者が増加し、1990年以降海外へ移住した健康な人たちが600万人以上いると推定されています。

 失業者も多く、今なおアルコールや麻薬の依存症で多くの人が刑務所に服役中です。男性の60%以上が喫煙の習慣があり、肺がん、脳卒中、胃がん、結核、心筋梗塞などが主要な死亡原因となっています。
 ロシアでは、特に予防医学と救急医療の面で遅れているという指摘もなされています。2004年には、170万人の人口減があり、出生率は1.17人で日本と同様、少子化は深刻な社会問題となっています。

2008年5月6日火曜日

ウスリースク便り(45)

   在留届け取得

 O 翌、水曜日10時に指定されたように、フロントに在留手続きに行く。前夜、10時に来る ように言った女性が、きょうは手続きができないとのこと。

O 72時間以内に、在留手続きができないと、高額な罰金を払わなければならないので、 警察に行く。受付の男性に4日の日曜日に来るように言われる。困っていると、女性の係官 が出てきて、ホテルで書類を記入してもらい、検印をもらって午後2時に来るように言う。

O ホテルに戻り、朝とは別のフロントの女性に、用紙に必要事項を記入して検印を押すよう に依頼。不慣れなため、書類作成に30分以上かかる。すると、なぜか?朝、手続きが出来 ないと言ったフロントの女性が、警察まで同行。なんと、11時半に警察が、在留手続きを受理。 3ヶ月間のロシア滞在が認められる。


   テレビ放映

 その晩は、我が家に宿泊してもらうことになりました。当日,3年生のイワン君(中国語専攻 3年生)が、日本語の作文のチェックのために、我が家を訪ねて来ましした。

 イワン君にクリハラ・ナオトさんを紹介し、自転車によるロシア横断の話をすると、大変興味を 持ちました。テレビ局に知り合いがいて連絡してくれると、すぐに取材と撮影にやって来ました。

 カメラマンと同行したディレクターは、昨年6月にウスリースク教育大学を卒業したアナ(韓国語
専攻)で、卒業式当日のレストランのパーティーで一度会ったことがありました。

 クリハラさんを出迎える場面、地図を見ながらの旅程説明、自転車の走行、私たち二人のインタ ビューなどを撮影しました。この模様は5月4日(日)、テレビ・センター(4チャンネル)で、8時40分
から約5分間放映されました。

 翌日、朝8時に次の訪問地であるスパスク(ウスリースクから130km)に向けて出発しました。 イワン君にスパスクに住むネリ(中国語専攻3年)さんに連絡をとってもらったところ、快く、宿泊 の世話をひきうけてくれました。

 なお、ネリさんは、今年度本学の代表者として、ウラジオストクでのスピーチ・コンテスト(暗誦 部門)に出場する優秀な女子学生です。
 
クリハラ  ナオトサンが無事のにポルトガルに到着することをを祈ります

2008年5月5日月曜日

ウスリースク便り(44)

5月5日(月)こどもの日。早朝大雨が降り、道路のいたるところが冠水しています。雨は午前中に上がったのですが、厚い雲が上空を覆っていて、午後2時現在の気温が12℃と5月のこの時期としてはとても寒い1日でした。

 1日(木)がメーデーで祝日。翌2日(金)を休校にして土曜日まで3連休にしたため、今週は日曜日(金曜日の振り替え)から授業が始まりました。

遠い国からの訪問者

 4月29日(火)の2時限目が終了した時に、私が一ヶ月に一回行っている韓国のメソディスト教会の牧師さんに連れられて、40代半ばの日本人が教室にやって来ました.

彼は3日前にウラジオストクについて、まだ在留届けを出していないとのことだったので、総領事館と連絡をとれるように手配しました。 (ロシアに到着後、72時間以内に在留手続きをとらないと高額の罰金をとられます。)

 総領事館から折り返し連絡をもらい、土曜,日曜は、72時間の中に含まれないことが確認できました。韓国人留学生の中で英語の話せる学生が、サポートして、市内のホテル・パラダイスに宿泊することになりました。その晩ホテルを訪れ、2時間ほど歓談しました。

 彼は、クリハラ ナオトさんと言って、アメリカのロスアンゼルスから、自転車でロシアを横断し、ポーランド、バルト3国を通ってポルトガルまで行こうとしていることがわかりました。

 ロスアンゼルスから成田へ飛び、東京駅から夜行バスで富山へ直行し、富山の伏木港から船でウラジオストクへ来たとのことで、まだ時差に悩んでいました。

 ウラジオストクでは、インターネットのカウチ・サーフィンで知り合ったロシア人の家に泊めてもらいました。月曜日にウラジオストクを出発し、在留届けを出していないので、この日はホテルに宿泊して、ホテルで在留手続きをしようというわけです。

 彼がウスリースクの手前30kmほどの小さな村で、疲労困憊して休んでいたときに、日本の50ccバイク(モトチクル)に乗った二人の少年に会い、彼らが牧師さんの住んでいる家まで連れて行ってくれたとのことです。その晩牧師さんの家で、夕食をご馳走になり、シャワーを浴びることも出来ました。

 自転車でロシア横断を計画し、サンフランシスコの旅行社(本社はモスクワ)にヴィザを申請した所、2週間でワーキングビザの招待状が来たそうです。この招待状をもとに、観光ビザを申請したところ、すぐに許可がおりたそうです。入国の際は観光ビザで入国できるか不安だったそうです。
 
ロスアンジェルス空港の近くで営んでいるコンピューター関係の仕事を6ヶ月間休業にして、出発したとのことで、その実行力には敬服しました。

 日本の自動車会社に勤務した後、米国に渡り、大学でコンピューターを学び、現在は、主に富士通関係の仕事をしていて、在米期間は25年くらいになります。これまで、長い休暇を取らなかったことと、年齢を考慮して、自転車によるロシア横断の最後のチャンスとして決断したとのことです。ロスアンゼルスには、奥さんと二人のお子さんが、お父さんが無事の帰国を願っています

2008年5月3日土曜日

ウスリースク便り(37)

                 
  ビエンナーレ囲碁大会

 ウラジオストクで第5回ビエンナーレが開かれました。ビエンナーレはイタリア語で「二年に一度」の意味で英語のbiannualに相当します。ウラジオストク市の創立記念日にあわせて周辺諸国のさまざまな分野の人々が参加しています。日本からも美術、音楽、演劇、民俗芸能などに多くの人々が参加していました。

 一回戦、二回戦は13子局、9子局とハンデの重い戦いでした。二回戦のイーラさんには、指導碁でも8子局で連敗していて、苦戦をしいられました。

ヨセの段階で30目近くのひらきがあり、敗戦を覚悟しましたが、隅の石の受け方ににミスがあり、運よく2目勝つことができました。

 準決勝は優勝候補の筆頭アレクセイ会長を7子局で破った弁護士のディアさんです。去年の総領事杯のBリーグで2位になった後、研究熱心もあって成長著しい打ち手です。石をとるのが好きで、上級者に対しても力で立ち向かってきます。

 置石の威力もあって、終盤まで常に圧倒されっぱなしで、いつ私が投了してもいい碁でしたが、あきらめずに粘っていたところ、ヨセの段階で相手に大きなミスがあり20目近く相手の地に侵入することができ、3目勝ちとなりました。

 本来この準決勝は、大会2日目で打つことになっていたのですが、大学時代の友人4名がウラジオストクへ遊びに来るので、特別に1日目に打ってもらったものでした。

 2日目の決勝戦は51番学校の16歳のサーシャ君です。インターネットで毎日対局していて、着手も早く手が見えるのが特徴です。最近は伸張著しく、アレクセイ会長に3子局、2子局でそれぞれ3連勝し、現在は定先で対局しています。日本の碁会所でも、3~4段クラスで打てるところまで上達しています。対局規定で3子局となりましたが、指導碁では完敗を喫し続けていました。

 彼は優勝を意識してか、星に対するカカリにはすべて堅実な小ゲイマ受けです。ヘンの星とのあいだに打ち込むと、安全を期したつもりか白石の下につけて渡ろうとします。この後は一本道で白の理想通りに石は流れていきます。
 
これは六子以上の置碁に生じる有名な「はめ手」なのですが彼は知らなかったようです。結果は黒の4子をとった上に中央も厚くなって、置石のハンデはなくなってしまいました。

 結果は白の4目勝ちとなり優勝することができました。立派なロシア語で書かれた賞状と、小林光一副理事長(当時)のサイン入りの扇子をいただきました。

2008年5月2日金曜日

ウスリースク便り (38)

 1)イースタン囲碁クラブ


 会長のアレクセイ・ホバネッツさんはまだ20代の若さですが、人格的にも優れ、囲碁の普及に情熱を燃やしています。これまでの、囲碁普及の功績が認められ、今年外務省から日本に招待されました。
 
 この時、日本棋院を訪れ、小林光一{当時副理事長}、梅沢由香里{女流}、安部吉輝九段と懇談しました。安部九段には三子で対戦し、その棋譜が「週間碁」に掲載されました。
 
日本滞在中、東京大学囲碁部、広島市庁、因島などを訪問して、囲碁関係者に会い、囲碁対局をしてきました。

 海洋大学のクラブで、週三回(火・木・土)碁を指導するかたわら、この秋からは51番学校でも、週2回(木・金)指導を始めました。冬の寒い時期に小・中学生が海洋大学まで来るのは難しいことを考慮したものです。学校側の協力もあって、午前中の時間割の中に碁を組み込んでもらったそうです。

 また、夏休みには、子どものための囲碁キャンプでの指導やハバロフスクでの囲碁大会への引率、ウラジオストクでの囲碁大会の実施運営に当たっています。特筆すべきは、これらの活動をすべて無報酬で行っていることです。彼が碁を覚えるきっかけとなったのが、トレヴェニアンの「シブミ」だったそうです。

(2) シブミ

 シブミはトレヴェニアンの1979年の作品で、現在はハヤカワ文庫(菊池光訳)に収録されています。この作品は全編が、囲碁用語で構成されています。

 第一部 フセキ     (盤全体を考慮した開始段階の作戦)

 第二部 サバキ     (厄介な状態の迅速かつ弾力的な処置を試みること}

 第三部 セキ      (双方とも利が得られない中立的位置)

 第四部 ウッテガエ   (犠牲的措置、戦略)

 第五部 ツルノスゴモリ(敵の石を捕獲する優雅な戦略的展開)

 暗殺者ニコライ・ヘルは、上海で母イヴァノヴナと共に岸川将軍の庇護を受け、13歳の時に将軍から4子で初めて碁の指導を受ける。将軍は2子でプロと接戦するほどの棋力の持ち主であったが、予想以上に苦戦し、独学で碁を学んだニコライの才能を見出す。

母イヴァノヴナの死後二ヶ月がたち、岸川将軍は転勤命令を受けニコライを日本へ送る決心をする。大竹七段のもとで5年近くの内弟子生活を送る。碁を通じて自己を磨き、シブミ{日本的精神の思考の境地}を次第に体得していく。

30年近く前に発表されたこの冒険小説の中でこれほど正確に日本の文化、日本人の精神を描写していることに驚き、興味をもって読み終えたところです。

東京大空襲、原爆投下、極東軍事裁判に対するアメリカ人作家の痛烈な批判を、「原爆投下はいたしかたなかった」と発言した政治家に読んで聞かせてやりたいものです。この本は同時に、アメリカ人、アメリカ文化の物質至上主義に対する痛烈な批判ともなっていて、ロシアでもベストセラーになった一因となっているのでしょう。

ロシアからA級戦犯として日本へ移送された岸川将軍を拘置所に訪ねた、ニコライと岸川将軍の会話は囲碁用語を暗号として使っている。父親とも思う将軍を自らの手で絶ち、将軍を苦悩から解放し、名誉ある死を与えようとする。

将軍:この局はコリガタチになっている状態で、私は手が伸びない状態だ。

ニコライ:必ずしもそうではありません。私の見たところではサバキの可能性がありますが、当然
あな たはハマに加わることになります。

 将軍:それはお前にとっては危険ではないのか。実際はコウのような状態ではないのか。

 ニコライ:正確にはウッテガエというべきでしょうね。
 

2008年5月1日木曜日

  ウスリースク便り(39)

  12月28日(金)の夜半から振り始めた雪が降り続き、29日(土)の授業は、1時限目は2人、2時限目は雪のため休講にしました。雪は30日の早朝まで断続的に降り続き、40cm近くに達しています。昨年の記録を更新したようです。ウスリースクは、真冬は、日中でもマイナス15℃位になるので雪の日も、降雪量も少ないのですが。


(1)ザチョット

 ロシアの大学の試験には、5年生の国家試験を別にして、二種類の定期試験があります。今年度からは、さらに、2課ごとの復習のためのコントラリー・ラボータと呼ばれる復習テスト(チェック・テスト)が導入されました。

 導入したのはいいのですが、勉強してくる学生は優秀な学生だけです。私の担当している韓国語クラスでは、6人中2人が5段階評価の5、あとの4人は5段階評価2で追試ということになりました。同一問題の追試でやっと合格するありさまです。優秀な学生は、自発的に復習を行っているのでチェック・テストは必要がなく、90分をかけてテストを行うのも無駄なような気もします。

 ザチョットは日本の大学の試験のように、ペーパーテストで学生全員が同一問題でテストを受けます。今年度の4年生には、漢字テスト10問を出題しました。漢字は毎週6つの新出漢字を練習し、音読み、訓読みの熟語を2~3つ学習しています。9月~12月までに学習した漢字の熟語100を事前に配布しておきました。韓国語専攻の学生は、漢字学習が困難な学生が多く、今回もできが悪く、拗音や撥音の振り仮名がむずかしかったようです。

 聞き取り問題5題(日本分を聞いて設問に答える問題)、読解問題5題(日本分を読んで設問に答える)は、昨年の問題の設問部分を改訂して利用しました。問題も易しく、素直な問題だったので成績はとてもよかったです。

 露文和訳10題は、既習の構文48題をリストにして事前に配布しておきました。全問の50%が露文和訳と配点が多いことも事前に学生に知らせておきました。
 
例) 1. 細かいお金がないんですが、どうしたらいいですか。
   2. 新幹線から富士山が見えます。
   3. 彼は、アルバイトをしながら、大学で経済を勉強しています。
   4. 電車に大事な書類を忘れてしまいました。
   5. 来週の金曜日に出張から帰る予定です。

 試験翌日、合否を学生に知らせ、合格者には科目名、日付け、サインをしました。女子学生1人が、再試も不合格のため、2月に再々試験実施になりました。

(2)エグザミン


 エグザミンとよばれる、口頭試問形式の試験があります。問題はすべて口頭試問の形式をとることと、学生の人数分の問題を用意するところに特徴があります。5年生は、1月のエグザミンの他、4月の卒業試験、6月の国家試験の3回すべてが、この形式で行われます。
 
本来5年生の試験は1月2週に行われるのですが、私が1月6日(日)帰国の航空便をすでに購入済みなので、その一部を12月中に行うことで教務と学生に了解してもらいました。日本の大学では大学の許可や学生の了解が得られないこともありえますが、この点ではロシアの大学はとても鷹揚です。(29日に後期授業がいつ始まるか聞きに行ったところ、1月の試験終了時までには決定して、発表するとのことでした。)

 露文和訳と文法の問題は、1月にAyako先生にお願いすることになりました。5年生は中国語専攻の学生8名と韓国語専攻の学生4名、計12名の学生分の問題を用意しなくてはなりません。幸い、28日(木)が同一時間に試験実施が可能なため、8種類の問題を用意しました。読解問題は昨年度3年生に実施した読解問題の中から、比較的難しいものを選び、ルビと注をとり、解答時間10分間にしました。読解問題を音読してもらったあと、その内容について、2問質問をします。

 24日(月)の授業で、学生から報告があり、中国語クラスの3名の女子学生が日本語の試験を受けられないという報告がありました。4年生の学年末試験の中国語が不合格で、5年生前期は仮進級ということで授業を受けていたのです。中国語の再・再試験に不合格だったため、後期は4年生からのやり直しが決定したとのことでした。3年次には10名いたこのクラスはちょうど半数になってしまいました。(教育大のためか、この点は他大学より厳しいようです)

 結局、聞き取り問題は5人分用意すればよいことになりました。聞き取りの内容は同一にし、設問部分をかえて出題しました。インタビュー形式なので、聞き取りの内容を各一に2回、計10回読むことになったのは致し方ありません。

 漢字の試験は、4年生と同様に、既習の漢字100を事前に配布し、文章の中で読ませるようにしたので、好成績でした。5名の学生の成績は、30点満点中24~29点でした。1月の露文和訳、文法の試験も事前にリストを渡してあるので、全員合格してくれることと思っています。

 先週末に引いた風邪がなかなか治らず、大晦日に予定していたウラジオストクの花火大会見学(夜なので、とても寒そう)を取りやめにしました。近くのスーパー・5+(ピャーチ・プルス)で売っていた深大寺そばを食べて年を越します。

 皆様、どうぞ良い年を、お迎えください。1月6日(日)に帰国します。