2009年2月27日金曜日

ウスリースク便り(164)

 〇 ダイエットをしています。

 1月末に、健康診断を受けた所、血糖値が高く
6kg体重を落とすように薦められました。12
月に帰国して、日本の美味しい料理をたくさん食
べたため、2.5kgも太ってしまいました。

 2月にウスリースクに来てから、ダイエットを
始めました。余り厳しいことを課しても続かない
ので、簡単なことから始めました。

1)体重計を購入して、毎日体重を量る。
  (300ルーブルで購入)

2)一日3食にする。
  (休日の日も、8時半には朝食をとる。)

3)一回に2合炊いて、3食分にしていたのを、
  1.5合炊いて3食分にする。)

4)授業が、午前中だけの時の朝食は、バナナ
  (または、りんご)と飲み物とビスケット
  (小)2枚にする。

5)大学から自宅まで、3.5kmを歩く。

6)夜、9時以降は、日本茶かコーヒー以外は
  飲食しない。

7)以上の6項目中、5項目を毎日守れれば良し
  とする。

 4週間経過して、今日の体重は73.5kgに
なり、来た時より2.5kg減っていました。

 1)は、毎日体重を量ることで、良い動機付け
 になっています。

 2)は、3回食べることによって、1回分の
 を減らすことができました。

 3)は、2回分はおかゆと、おじやにすること
 で、満腹感があり、もう慣れてしまいました。

 4)朝食準備に時間がかからないので、起床
 時間が、20分遅くなりました。

 5)大雪警報が出て、臨時休校になった日以外
 は、歩いて帰っています。交通費が半額になり
 ました。

 6)慣れてしまい、飲み物だけで十分です。

 7)大半の日が、6項目を守れるようになりま
 した。7月の帰国まで続けたいと思っています。

 最初の2週間が過ぎてから、効果が現れ始めま
 した。体が軽くなった感じで、寒さの中を歩く
 ことも、気にならなくなりました。大学の休み
 の日も7000歩くらい歩いています。 

2009年2月26日木曜日

ウスリースク便り(163)

 〇 ロシアの常識(4) 非効率

 きのうの授業でDVDを見ようとしたら電池切れ
のため、ビデオからの切り替えがうまくできずに
見られませんでした。

 英語科、日本語科の秘書のオリガさんに電池の
交換を申し出たところ、月曜日にならなければ、
交換できないと言われました。

 きょうの授業で、どうしても、会話の部分を
見せたかったので、自分の電池を家から持って
いってつかいました。

 2月の2週目にトイレを使用して、流すと水も
れが始まりました。水曜日に修理を申し出て、来
てくれたのが翌週の火曜日でした。

 修理時間は、バルブの交換だけだったので10分
で終わりましたが、修理工が2人でやってきました。
場所も狭いためもあるのか、1人が修理にかかり、
もう一人は工具と部品を手渡すだけでした。

 去年、電気会社が、電気のメーターを交換しに来
た時は3人でやってきました。実際に作業をする人
は、1人でしたが、それに指示を与える人と、メー
ター交換を確認してもらい文書にサインをもらう人
が別にいました。

 去年は、浴室のお湯の蛇口がよく閉まらなくなり
お湯が少しずつ漏るためバルブの交換をしてもらい
ました。この時もバルブの交換に2人でやってきま
した。

 作業自体は、簡単なものなので、一人で十分に修
理や、部品交換が可能なものでも、必ず複数でやって
来ます。一人が仕事をし、もう一人が補助てきなこと
をします(上司のように見えます)が、仕事の監督の
意味もあるようです。

 いままで、家に一人で来て、作業を行ったのは、イ
ンターネットのモデムを交換しに来たコンピューター
の技師だけでした。

 一人で来て、一人で修理や部品交換をするように、
作業工程のシステムをかえれば、短期間で終でるこ
とができるように思えるのですが、、、、、、。

 街の道路工事や、水道工事を見ていると、実際に
作業にかかわっている人と同じだけのひとが、作業
を見守っている場面に出くわすことが多いです。

 

2009年2月25日水曜日

ウスリースク便り(162)

 〇 ナホトカで4つ子が生まれたそうです

 先週、5年生の授業で、『みんなの日本語47課』
を勉強しました。47課では、『話し手が得た情報を
伝える』~そうですの用法を扱っています。

 『天気予報によると、明日は寒くなるそうです。』
や『バリ島は、とてもきれいだそうです。』を学習し
たあとで、宿題として例文を作って来てもらいました。

 私の学生に示した例文は、『テレビによると、2月
18日に、日本の麻生首相とロシアのメドベージェフ
大統領が、ユジノサハリンスクで会ったそうです。』
というものでした。

 「会談する」という動詞は未学習だたので、「会う」
という動詞で示しました。また『新聞によると、5月
には、プーチン首相が日本に来るそうです。』という
例文を示しました。よく分かったようでした。

 学生にも、作ってきた例文を示してもらいました。
C. ターニヤさんが示したのが表題の『テレビによると
ナホトカで4つ子が生まれたそうです。』
というものでした。

 私が『アメリカで8つ子が生まれたそうです。』
と言ったところ、5人の学生は誰も知りませんでした。
当地では、アメリカの8つ子より、ナホトカの4つ子の
ほうがニュース性が高かったということでしょうか。

 K.ターニヤさんが、『テレビによると、日本の首相が
イタリヤで、変なことをしたそうです。』
と言う例文を示しました。中川昭一財政・金融大臣の記者
会見の模様がウスリースクのテレビでも放映されたそうです。

 私は、「首相ではなくて経済の大臣です。」と訂正しま
した。ターニヤさんは、すぐに、「どうしてですか。」と
きいてきました。「風邪の薬をたくさん飲んだからだそう
です。」と、答えたのですが、一方では何か妙な気がして
いました。

 風邪が直らないからといって、医師の処方した薬の2倍
も3倍も薬を飲むということは考えられないからです。変な
話ですが、依然飼っていた犬が、病気になったとき、人の
薬を与える時は(犬用の薬は高いため)、体重にあわせて
5分の1(体重14kg)しか与えなかったことを思いだしたの
です。

 イタリヤの記者会見の直後に、楽天の野村監督が、「薬の
飲みすぎのためだけじゃ、ああはならない。」と言っていた
のが、正しかったことが分かってきました。予算が衆議院を
通過してから辞任と言っていた本人には、本当の理由はよく
わかっていたはずなのですが。


 

2009年2月24日火曜日

ウスリースク便り(161)


         (ウスリースク市庁舎前)


         (ウスリースク市戦没者慰霊碑前)

 〇 ロシアの常識 3 (冬のロシア)

 日本では、今年の冬は戦後で2回めの暖かさだと
報じられています。ウスリースクでも、過去4年の
冬でも最も暖かい冬になっています。

 今日11時に家を出たときの気温が、マイナス3℃
で雪が少し降っていました。午後の授業を2コマ終え
て帰って来た時には、2cmほど雪が積もっていて、道
が滑りやすくなっていました。

 暖冬のため、4年間でいちばん積雪の多い年になって
ます。雪は、〇℃からマイナス5℃くらいのときに降る
ことがおおいので、『雪の降る日は暖い。』ということ
になります。

 2月は、日中でもマイナス10℃~15℃になること
が多いのですが、このような日でも、乳母車に乳児を
乗せて散歩している母親をよく見かけます。もちろん
顔以外の部分は防寒着をきて、乳母車の中を暖かくして
あります。ロシアの母親は強い、丈夫な子を育てるため
に、『マイナス15℃でも散歩に出かける。』のです。

 冬は、日中快晴であっても、ほとんどの日が氷点に
なります。アパートのベランダを見ると、氷点下であって
も洗濯物が干してあるのに気がつきます。

 氷点下で洗濯物を外に干すと、水分がすぐに凍って
しまい。『たとえ凍ったとしても、洗濯物を
外に
干す』理由は殺菌の
ためで、外に干すと洗濯物の異臭も消えるると言う利点が
あります。

 最近では、ウスリースクの高級スーパー『5+』で、ライ
オンの『部屋干しトップ』を売るように
なりました。部屋の中に干しても、異臭のしない洗剤ですが、
日本で買う値段の約3倍もするところが難点です。

 雪が20cm近く積もった時には、『知らない道を
絶対に
歩かないようにしなければなりま
せん
』。ロシアには、蓋のないマンホールがたくさん
あって(旧水道:旧下水道)、そこにごみなどが捨てられていて、
蓋の無いマンホールに気がつきにくいことがあります。

 

2009年2月23日月曜日

ウスリースク便り(160)Re

 〇 ウラジオストクの冬

 1) 中央広場

 2) 海洋大学7階から 
    フョードロフ入り江で釣りをする人々

 3) 同上




 

ウスリースク便り(160)

 〇 ウラジオストク囲碁クラブ

 21日(土)にウラジオストクの海洋大学にある
囲碁クラブを2ヶ月ぶりに訪れました。会長のアレ
クセイさんとは、2月1日(日)にウラジオストク
空港で会っていら3週間ぶりになります。

 1日(日)に新潟空港内のライオンズクラブ内に
ある囲碁クラブを訪ね、その際梅沢さんから、ウラ
ジオストクでの囲碁大会の写真を預かってきていま
した。

 冬は、無料で利用できる娯楽施設も少ないせいか、
11名(女性2名)の参加があり、なかなかの盛況で
した。新入会員も2名(女性1名)参加していました。

 アレクセイさんは、東京で行われた、ロシア各地
の囲碁指導者を集めた国際会議に招待されて、今後
のロシアの囲碁普及、巡回指導、囲碁大会などにつ
いて話し合ってきたとのことでした。

 今回は国際会議は2日間だったので、京都まで足を
のばし、市内観光を楽しんできたとのことです。去年
の9月から日本センターで始めた日本語の勉強が、と
ても役に立ったと言っていました。

 今年は、ウラジオストクも暖冬で過ごしやすいとの
ことでしたが、海洋大学の前のフョードルフ入江は
全面凍結していて、多くの人が、氷を割って穴をあけ
釣りを楽しんでいました。

2009年2月20日金曜日

ウスリースク便り(159)

 〇 ロシアの常識 2 (無許可レストラン)


 きょう、放課後5年生(韓国語専攻)と韓国料理を
食べに行きました。レーナさんから電話があり、家
までタクシーで迎えに来てくれるということでした。

 彼女の話によると、30分前に、中国にいる恋人から
電話があり婚約することになったとのことで、途中で
スーパーに寄り、お祝いにシャンペンを購入しました。

 韓国料理を食べるということだったので、アリラン
などの韓国レストランに行くものと思っていましたが、
着いた所は、普通の家で、看板も全く出ていませんで
した。

 家の中に入ると、個室(10畳程の部屋)に案内され
ました。すでに、他の5年生と、1年間の韓国での留学
を終えた、ターニヤさんと韓国語の先生(女性)が待って
いました。

 その家の娘さんが注文を取りに来ましたが、メニュー
は一切無く、学生が食べたいものをそれぞれ注文します。
注文の品が必ずしもあるわけではありません。

 私は、学生の注文にならって、冷麺と豆腐スープ(美味)
とキムチとサラダと餃子を注文しました。他に、学生が
たのんでくれた、果実酒とお茶とデザートのケーキを食べ
ました。

 部屋にはカラオケセットがおいてあり、料金は1時間
100P(320円)と格安でした。持ち込んだお祝いの
シャンペンも自由に(持ち込み料なし)飲むことができま
した。

 3時間、飲んだり、食べたり、歌ったりして、会計は
一人350p(1100円)と格安でした。ウスリースク
市内には、このような自宅で看板も出さずに営業してい
る所が数箇所あるそうです。(無許可営業?)

 去年の卒業生に、数回連れて行ってもらった家とは、
異なるものでしたが、このような無許可のレストランの
設備は、立派で、料理は美味しく、値段は格安で、飲み
物の持込は自由です。学生たちだけでなく、一般の人も
利用していて、他の2部屋も客であふれていました。

 2月23日(月)は男性の日と言うことで、学生たち
からワイシャツをプレゼントにもらいました。胸や袖に
いろいろな飾りが付いているので、通勤に着ていくには
ちょっと恥ずかしい気もします。

 


 

2009年2月19日木曜日

ウスリースク便り(158)

 〇 ロシアの常識 (日本の非常識)

 きょうは、英語科と日本語科の秘書のオリガさん
の誕生日でした。英語科は8人(全てロシア人女性)、
日本語科は4人(ロシア人女性2人)です。

 毎月、だれかの誕生日がある月には、一人、100
ルーブルずつ集めています。以前は誕生日プレゼント
を買って渡していましたが、去年から現金を渡すこと
になりました。(好みのものが分からないという理由)

 日本人の感覚で言えば、12人分1200ルーブル
払って、自分の誕生日に1200ルーブルもらっても
有り難味がないので、お祝いをやめたらよいように思
うのですが。

 昼休みに、オリガさんが自ら持ってきたシャンペン
とケーキでお祝いをしました。ロシアではお祝いされる
人がシャンペンやケーキを持ってくるのが普通です

 今週の月曜日、5年生のクセーニヤさんが初めて、
授業に出て来ました。彼女は13日(金)の大雪の日
に結婚したとのことで、ケーキとジュースを持って、
やってきました。

 授業をカットして、彼女の結婚の話を聞きながら、
ジュースとケーキでお祝いをしました。クセーニヤさ
んも学生も授業カットを当然のように受け入れていま
した。

2009年2月18日水曜日

ウスリースク便り(157)

 〇 やっと冬らしくなりました。

 ウスリースクでは、2月に入っても依然として暖冬で、
朝7時前後でマイナス10℃~5℃くらいですが、昼には
0℃~5℃まで気温が上昇していました。

 13日(金)から14日(土)にかけて、寒波がやって
来るという予報でしたが、気温が予報ほど下がらずに、
大雪になりました。午前8時には雨が降っていたのです
が、10時頃から雪に変わりました。その後、雪はどん
どん降り続き、正午には積雪が20cmを越えました。

 午後12時半には、学部長から大雪のため臨時休校に
することが発表され、授業は打ち切りになりました。
学生たちは大喜びでした。この点では日本の学生もロシ
アの学生も全くじです。実は、私自身も金曜日は、3連
続授業だったのでうれしかったのですが、、、、、、。

 2月も3週目に入ると、降った雪が凍結し、ウスリー
スクの冬特有の風が吹き始めました。今日午後3時の気
温はマイナス7℃でしたが、風速7~8メートルの風が
吹いていたため、体感温度はマイナス15℃くらいになり
ました。
 
 私の持っている毛糸の手袋では、手が冷たくなってし
まう気温が、マイナス15℃の目安になります。マイナス
20℃を越えた時は、動物の毛が裏打ちされている毛皮
の手袋を使用しています。

2009年2月17日火曜日

ウスリースク便り(156)

 〇 後期授業

 2日(月)から後期授業が始まりました。前期授業は
 9月 週 1コマ (2年生韓国語クラス)
10月 週 0コマ (5年生教育実習で2年生授業なし。)
11・12月 週 5コマ (2年生と5年生韓国語クラス)
 と、とても楽な持ち時間でした。
  
 後期は、5年生4コマ(韓国語クラス)
     3年生4コマ(韓国語クラスと中国語クラス)
     2年生2コマ(韓国語クラスと中国語クラス)
 
 前期の持ち時間が少なかった理由が分かりました。3月から
ロシア人日本語教師のレイナ先生が産休に入り、ワレーリヤ先
生が2ヶ月間、サンクトぺテルスブルグ大学の通信制大学院の
スクーリングに出席するためでした。

 5年生の最初の授業では、節分の豆まきと書初めをしました。
「鬼(悪運)は外、福(幸運)は内」はロシアの学生にも理解
しやすかったようです。年齢+1だけ、豆を食べるところも
気に入ったようで、豆は予想外に美味しかったとのことです。

 5年生は、書初めは4回目(4年目)になるので、4~5回
運筆の練習をしたあとで、書いてもらいました。今回、大学
の同級生の淵さんが書いてくれた作品をお手本にして、書い
てもらいました。初春、新春、初夢、博愛などを選んだ学生
が多かったのも新年の最初の授業だったためでしょう。

2009年2月16日月曜日

ウスリースク便り(155)

 〇 ウスリースクに戻る

 2月1日(日)にウスリースクに無事もどりました。
といっても、新潟空港まではトラブル続きでした。

東京発新潟行きの新幹線に乗るべく、40分前に東京駅
に着くように家を出ました。

八王子駅に着いてみると、車両故障のため、中央線が
40分遅れ、しかも特快が快速に変更になりました。

 急遽、西国分寺から武蔵野線に乗り換え、大宮駅から
新幹線に乗ることにしました。すると、武蔵野線も突風
のため徐行運転をしていて、遅れがでており、南浦和ま
でいつもより20分も余計にかかってしまいした。

 南浦和発11時22分に何とか乗り込み、大宮駅到着が、
11時39分。大宮駅内を走りに、走って新幹線ホームに
着いたのが11時33分、発車5分前でした。

運が悪い時には続くもので、上越新幹線が先発の車両故障
点検のため40分遅れて、新潟駅に着きました。新潟駅か
らタクシーに乗り何とか搭乗手続きに間に合いました。

“One misfortune comes on the tail of another.”
でした。

 ウラジオストク行きの飛行機は、珍しく定刻に出発しました。
12月25日(木)に帰国の際は、飛行機の車輪が格納できず、
上昇力が得られず30分ほど飛行してからウラジオストク飛行場
へ戻ってしまいました。代替機に乗り換え4時間遅れで新潟空港
に到着しました。

 帰国の際に利用したタクシーの運転手に、2月1日(日)の
午後7時に迎えに来てくれるように頼み、チップを300p
(約1000円)渡しておいたのですが、覚えていてくれたか
心配でした。税関を3番目に通過し、荷物を持ってゲートを出ると、
なんと目の前で手を振ってくれていました。

 運の悪いことが続いたので、重い荷物を持って、寒さの中で
タクシーを捜さなければならなくなる心配までしていました。
うれしさのあまり、日本からもってきた、お茶をお土産にあげた
のですが、翌日大学で事務職の女性から、おみやげにもらった
お茶の飲み方を聞かれてびっくりしました。

 タクシー運転手の奥さんが大学に勤めていて、私のことを知って
いたのです。