2009年3月30日月曜日

ウスリースク便り(183)


             (中国語専攻5年生、40分間待っていてくれました)

 〇 サマータイム

 きのうは、朝小雪が舞っていたのですが、きょうは
快晴で暖かい日となりました。今日からサマータイム
が始まり、時計が1時間進むことを忘れていました。

 いつも7時30分に乗るバスが、35分に来て、しか
もそのバスがすいていて座席に座れたので、妙な気が
したのですが、大学に着いて332号室のドアを開ける
まで気がつきませんでした。

 いつもは、8時ぎりぎりに来る学生が、8人も顔を
そろえて待っていました。実際は、私が授業に40分
遅れたのですが、学生からは特に不満の声は聞こえて
きませんでした。こういう所は、ロシアの学生のいい
ところです。

 5年生の授業は、あと2週間で、50課の謙譲語の
ところを少し残すだけになりました。最後の授業で、
露文和訳(5題)、日常会話(5題)敬語(5題)の
試験します。

 5年生は、この他5月に卒業試験、6月に国家試験
を行います。卒業試験、国家試験は口頭試問形式で、
トピック、読解問題(日本語を読んでもらい、内容に
ついて日本語で質問)、とその問題の中の一部の露文
和訳する問題からなっていて、文法や聞き取り、漢字
の試験はおこなっていません。

2009年3月28日土曜日

ウスリースク便り(182)

 〇 魚の日 

 きょうは、好天で正午の気温が12度まで上昇
しました。ズボン、セーター類を洗濯し(手洗い)
久しぶりに、洗濯物を外に干しました。

 2月26日(木)がロシアの魚の日いうことで
地元のテレビ局から、魚を使った日本の魚料理を
作るように依頼されました。

 慣れていないために、料理を作る時間よりも、
レシピを作る時間のほうが多くかかりました。

  作るよりレシピにかかる時間かな

 テレビ用の料理なので、味は分からないので
見た目によいように、ご飯は錦糸たまごとのり
といくらの三色ご飯にしました。

  テレビでは味より色を大匙で

 日本の友人、知人、親類などで日本の『魚の
日』を知っている人は誰もいませんでした。

  日本では誰も知らない魚の日

 そこで、インターネットで調べてみると、魚
の日がありました。日本人にとっては魚を食べ
る事は、ごく普通のことなので誰も気にしない
ので『魚の日』は知られていないようです。

 にほんの『魚の日』は『トトの日』の語呂合
わせで10月10日でした。万葉集の山部赤人
が10月に魚(鯨)を歌にしていることもあり
ます。

  トトの日は万葉からの魚の日

 撮影の際通訳をしてくれた英語科のヴァレン
ティーナ先生に日本の魚料理の感想を聞くと、
『面白い』というものでした。

  初めての日本の味は尾も白い
 

2009年3月26日木曜日

ウスリースク便り(181)

 〇 日本伝統工芸 

 きょう、ウスリースクで日本の伝統工芸の『ちょうちん』
と『すだれ』のデモンストレーションがありました。

 浅草から江戸すだれの田中さんとちょうちんの恩田さん
が来てくださいました。今日は韓国語科3年生の授業しか
なかったので、3人の学生を連れて行きました。

 大学から徒歩2分のところに、画廊や工芸品を売っている
施設があり、その1階にある共同スペースを借りての実演と
実技指導がありました。

 領事館の菅原さんの話では、ウスリースク市に会場の手配
と、広報を依頼しておいたということで、どのくらいの人が
集まるか多少の不安もありました。

 実技指導は、午前10時~12時までと午後1時から3時
までの2回に分けて行われました。小学校の生徒や、美術を
学んでいる学生などが大勢来て、400人近くの来館者があ
りました。

 3年生の学生には、授業のかわりとして、日本語を話すこ
と、実技に参加することを話しておいたので、3人とも江戸
簾の製作実技に参加し、田中さんとも日本語で話をしていま
した。

 おみやげに、浅草雷門や羽子板、夏の花火、三社祭のバッ
ジやストラップをもらって大喜びでした。提灯製作はロシア
人にとても人気があり、予定していた提灯が全てなくなって
しまったために、参加できなかったのが残念です。

 田中さんと恩田さんの二人は、この後ウラジオストクで2
回デモンストレーションを行うということです。菅原さんの
御努力で5月にはウスリースクで着物ショーが開かれます。

 今日の様子では、相当数の観客が押しかけてきそうです。
恩田さんからいただいた雷門と名前が入った提灯を、日本語
科に飾ってきました。ありがとうございました。

2009年3月25日水曜日

ウスリースク便り(180)


                (司会のネッリーさん・08年優勝者)

 〇 スピーチコンテスト

 きょう、4月26日(日)にウラジオストクで行わ
れるスピーチコンテスト(暗誦部門)の学内予選大会
を行いました。

 2007年から、日本語を第2外国語として履修し
ている学生のために暗誦部門が設けられ、7年には
カーチャさんが、8年にはネッリーさんが優勝してい
ます。

 今年度の司会は、ネッリーさんにお願いしました。
1・2年生は『バラが咲いた』、3・4年生は今年度
の課題作品である谷川俊太郎の詩『生きる』を朗読し
てもらいました。

 1年生は、後期から(2月)日本語の授業が始まった
ばかりで、週1時間しか授業がないのですが、5名の
参加者がありました。

 1年生のジェーニヤさんは、4枚の薔薇の花の絵を
書いてきました。2年生のデニス君は、「バラが咲い
た」を自分の言葉で、ロシア語に翻訳してきました。
ジェーニヤさんは2位に、デニス君は3位に入賞しま
した。

 3・4年生の部で優勝したカーチャさんには、今年
度も是非優勝して欲しいと願っています。

2009年3月23日月曜日

ウスリースク便り(179)

 〇 ウラジオストク

 21日(土)、22日(日)の二日間ウラジオストク
の海洋大学に碁の指導に行ってきました。二週間前
のウラジオストクの海は、全面凍結していました。

 海の上では、氷を割って穴をあけ、釣り糸をたらし
て、公魚のような魚を釣る人たちや、見物人でで、賑
わっていました。


    凍てる海釣り糸垂らす親子ずれ


    寒風に釣りをする人見てる人
   

 碁は『手談』とも言われます。ロシアでも囲碁の用
語はすべて日本語です。「お願いします」に始まり、
「ありがとうございました」まですべて日本語で終わ
ります。


    囲碁倶楽部使う手段は国際語


 4~5日暖かい日が続いたため、海上の氷は7割がた
融けてなくなってしまっていましたが、土・日は気温が
氷点下まで下がり、風速10メートル以上の風が吹いて
いたために体感温度はマイナス20℃近いものになりま
した。

 海上でのつりは、氷が融け始めていて、危険なために
警察から『釣り禁止』の通告があったようですが、今年
も海に落ちて死者がでたそうです。


    水温み釣り師と魚命がけ


 また、凍結した海上を走行していた車が、海に落ちる
事故も毎年起こるそうです。


    氷塊が氷解すると氷海へ
    

2009年3月22日日曜日

ウスリースク便り(178)


 (イーナさんは、日本クラブ(書道)に2回参加したことがあります。)


 (ヴェロニカさんは、今回が2度目の経験。似顔をかいてくれました。)

                (中国語専攻3年生 2009年3月)

 〇 書道(写真

2009年3月21日土曜日

ウスリースク便り(177)

 〇 書道

 きのうも、昼間は気温が上昇して、3時には
10℃になりました。金曜日は、3コマ連続の
授業だったので、午後からの3年生の授業は
書道を行いました。

 5年生は、2月2日(月)の後期最初の授業
で、書初めを行ったのですが、3年生は週2回
の授業のため、きのうまで延ばしてきました。

 7名の出席者の中で、去年の『日本クラブ』
の書道の部に参加した学生がいて、其の二人は
二回目になります。

 初めて、筆を持った学生に、自由に漢字を書
かせると、絵を描くときの線のように一本の線
で書いてしまいます。そのため、初めての学生
には、書は禅の影響で、「精神の集中と解放が
重要である。』と教えています。

 最初は、漢数字の一から十まで練習しました。
この時に、「精神の集中の際は、力を入れて強
く、精神の解放の時は弱く」と言う感覚を掴ん
でもらうようにしています。

 その後、手本を下敷きにして3回練習した後
で完成したのが上の写真です。「漢数字の練習
と精神の集中・解放」を学ぶだけで、書く字は
変わって来ます。

2009年3月18日水曜日

ウスリースク便り(176)


             (閑散とした中央市場)

 〇 中央市場

 きょうも日中の気温は6度まで上昇し、一部の
道路には水溜りができていました。大学からの帰
路、バスセンターの近くでロシア人の若者が警官
に呼び止められて、パスポートの提示を求められ
ていました。

 私自身は、ウスリースクでは一度もパスポート
の提示を求められたことは無いのですが、たまに
パスポートを自宅に置いていってしまうので、要
注意です。

 ロシア人は14歳から、国内でもパスポートが
必携です。文字通り、国内の交通手形のようなも
ので、国外へ行く時のパスポートとは異なります。

 買っておいた果物が、すべてなくなったので、
久しぶりに中央市場に買い物に行きました。この
中央市場は、一般庶民の買い物をする所で、午後
には多くの人で賑わっていました。

 ロシアの法改正で、市場の中の店には、ロシア
人の売り子が必要になったため、価格も上がり、
以前ほどの混雑はありませんでした。

 果物や、野菜は全て秤売りで、1キロ単位で、
売っています。りんご1kg、みかん1kg、
バナナ1kgを買って、180pでした。日本円
にすると600円くらいでした。去年の3月にくら
ベルト30%くらいの価格上昇です。

2009年3月17日火曜日

ウスリースク便り(175)


          (大学内の自販機、左からキセーニヤ、スベータ、パーシャ)

 〇 自動販売機

 きょうも、きのう程ではありませんでしたが、日中の
気温は8度くらいまで上昇しました。この後、2~3回
風の強い日があり、寒さがこたえる日がありますが、そ
の後で、春がやって来ます。

 2005年の10月にウスリースクに来た時は、自動販
売機はまだ珍しく、大学、ホテル、大型スーパー、中国
市場、中央市場などの人の多く集まるところにあるだけ
でした。

 最近、自動販売機を設置する店が増えてきました。近
所の商店(100mのところにある)でも、同じ時期に
2軒の店が、自販機を設置しました。

 以前からウスリースクにあったのは、VENSON社 製の
大きな自販機でした。最近設置されるようになったのは、
従来のものの半分の大きさのもので、Rhentivodorsと
Doguuという会社のものです。

 コーヒー、紅茶、ココアなどの暖かい飲み物が飲める
用になっていて、値段は10ルーブル~15ルーブルくら
いです。冬の寒い中を買い物に来た人が体を温めるのに
利用しています。

 ウスリースクでは屋外に設置された自販機を見たこと
がありません。厳冬期には外に設置した自販機は、故障
があったさい修理などが難しいこと、停電もあること、
防犯上の理由などが考えられます。

2009年3月16日月曜日

ウスリースク便り(174)

 〇 ロシアの常識 

(6) 商店・食料品店

 きょうから、4年生が6週間の教育実習を終えて
登校してきました。そのため時間割も大幅な変更
がり、1限からの登校になりました。

 1限開始時間が8:00からと他の大学より早
いのですが、家を出る7:30には、もうすっかり
明るくなっていました。

 朝から、0℃を上回る気温でしたが、昼からは
なんと最高16℃まで上昇し、まるで春がやって
来たようでした。

 歩道に積もっていた雪は、すべてとけてしまい、
とても歩きやすくなりました。先週は凍結してい
た家の前の池も半分氷がなくなってしまいました。

 家の近くに、食料や雑貨を売る店が三軒あり、
また200mほど行くと小さなマーケットがあり
ます。、魚、野菜、果物、乳製品、電気製品、雑貨、
パン・ケーキ、お菓子、新聞・雑誌などを売る店が
10軒以上入っています。

 ロシアのこういった商店には、商店とか食料
品店と書いた看板と、売っている商品名が書いて
ありますが、商店の名前を書いた所はほとんどあ
りません。

 市内に5軒ほどある、スーパーには名前が書い
てあるので、店名を聞けばどこにあるか分かりま
すが、商店の場合は、住所を聞かなければ、どこ
にあるのかわかりません。

 本屋も名前のついていないところがあり、旧市
街の中心地にある本屋には、ナホトカという店名
が書いてありますが、大学近くにある本屋には、
名前が書いてありません。

 おそらくソ連時代には商店名がついてなかった
のが、そのまま続いているのでしょう。

 ロシアの商店には、日本の商店のようにつり銭
を、開業前に用意しておくような習慣がありませ
ん。このため、少額のつり銭をくれない時があり
ます。どうしても欲しければ、次の客が細かい
お金を持ってくることを期待して待っていなけれ
ばなりません。

 良心的なレストランでは、紙に不足のつり銭の
額を書いてくれて、次回に使えるようにしてくれ
所も出てきましたが、まだこういう店は例外と言
えるでしょう。

 前回、写真を載せた、グム(旧国立百貨店)には
30近い店がはいています。売り場には、一人しか
店員がいない店も多く、昼食事には1時間の昼休み
をとるので、店が閉まっていることもあります。

 最近では、洋品店、靴店、スポーツ用品店、電化
製品店、ビデオ店などの店員も、商品をを見ている
と、声をかけてくることが多くなりました。

 4年前には、携帯電話を売る店の店員くらいしか
声をかけて来ませんでした。店同士の競争が激しく
なり、商品を売る努力をしないと経営が成り立たな
いことがやっとわかってきたようです。

 また、以前は、店員が店内で飲食したり、ゲーム
機で遊んでいたり、新聞や雑誌のパズルをしている
などの行為も数多く見られました。

 日本の店員のように笑顔で、客と応対するように
なるのは、まだだいぶ時間がかかりそうです。。

2009年3月14日土曜日

ウスリースク便り(173)


          (グム(旧国立百貨店)前 4ヶ月以上も工事中)

 〇 ロシアのスパゲティー

 きのうは、5年生のC.ターニヤさんの家で
スパゲティーをご馳走になりました。女性の
日に、日本の歴史(英語版付き)の本ををプレ
ゼントしたお礼の意味もあったようです。

 ターニヤさんの両親は、ウスリースクの郊
外に住んでいるため、大学から徒歩15分の
所にアパートを借りて妹と住んでいます。

 お父さんは税関の仕事をしていて、ロシア
と中国の国境での仕事もあるため、国境に近
いウスリースク郊外に住んでいるとのことで
した。

 ターニヤさんのアパートは9階建てで、珍
しくエレベーター(リフト)がついていました。
古いエレベーターで、3人乗りで、250kg
を越えると乗ってはいけないそうです。

 ターニヤさんの住んでいるアパートは、外
装は他のアパートと同じように古くて、入口
もあまりきれいじゃなかったのですが、中に
入って、その広さと豪華さに驚きました。

 20畳近くの居間と10畳暗いの寝室が2つ
あり、他に大きくて、清潔なダイニング・キッ
チン(8畳)と風呂場(6畳)があり、浴槽も
清潔で大きく、乾燥機つきの洗濯機がおいて
ありました。

 床には全て、気のフローリングがしてあり、
各部屋にはエアコンがついていました。居間
には大型テレビ(60kg)と大画面の液晶
テレビ(DVD用)が置いてありました。妹の
趣味が、日本のアニメ鑑賞ということで、日
本の新しいアニメがたくさんありました。

 学生の妹と二人で住んでいると言うことで
すが、日本でもこのような広くて豪華なアパ
ートに、暮らしている学生は、数少ないので
はないでしょうか。
 
 韓国語科のジェーにヤ先生が、スパゲティー
の用のミートソースとホタテを使ったホワイト
シチューを作り、韓国語科の5年生が、トマト、
きゅうり、レタス、コーン入りのサラダを作り
ました。

 ロシアのホテルやレストランでスパゲティー
を注文して食べたことが4~5回ありました。
どこの店でも、スパゲティーの麺が、細くて、
短くて、柔らかく、歯ごたえの無いものでした。

 ターニヤさんのところで、ご馳走になったス
パゲティーも、以前食べたものと同じように、
細くて、短くて、柔らかいものでした。

 イタリヤのスパゲティーは分かりませんが、
日本の歯ごたえのあるスパゲティーに慣れた
者にとっては、何か物足りませんでした。

 今日近くのスーパーに行って、スパゲティー
のコーナーに行ってみると、きのう食べたよう
なスパゲティーしか置いてありませんでした。

 

2009年3月12日木曜日

ウスリースク便り(172)


         (バスセンター前停留所・今朝は雪どけの水は凍結していました。)

 〇 福が逆さになっている理由

 中国科の朱先生に会って久しぶりに話をしました。
後期の授業が始まってから、授業へ行く途中で何回か
会ったのですが、いつも挨拶だけでおわっていました。

 きょうは、少し時間がとれたので、中国語科の入口
に貼ってある、絵文字のの字について質問しま
した。

 入口の左右に貼ってある絵文字が左側は福になって
いるのに、右側の福の字はさかさまに貼ってあるので
す。先週、ウラジオストクの海洋大学に行ったときにも
同じように福の絵文字がさかさまに貼ってありました。

 朱先生は、黒板に福の字が逆さになっているのは、
(トウ)で、中国語の同じ発音をあらわす字に
到(トウ)があること書いて示してくれました。

 ロシア語の説明はよく分からないところがありまし
たが、どうやら逆さまにれている
福も、やがては本当の福に達する
ようにという縁起かつぎのようです。

 漢字と言う媒介があったので、理解しやすかったので
すが、ロシア語だけの説明であったら分からなかったよう
な気がします。

2009年3月11日水曜日

ウスリースク便り(171)


                (凍結していた川も、一部流れ始めました)
  
  〇 ロシアの常識(5)
          
   (時間割と持ち時間)

 昨夜、教務主任のスベータさんから電話があり、きょうの
授業は1時限からに変更になったということでした。時間割
用の掲示板には、すでに発表してあったのですが、念をいれ
て確認の電話をくれたのでした。

 ウスリースク教育大学では、2~3日くらい前に、時間割
が発表されるのですが、前日に変更になることも、そう珍し
くありません。

 日本では、前期、後期の時間割が基本的に決まっていて、
変更がある場合は、少なくとも1週間前には変更が発表され
ます。

 持ち時間も、1年間一定していて、変わることがあっても、
前期・後期で変わるのが普通です。今年度の私の月別の持ち
時間は、下記の通りです。(1コマは90分授業)

 9月     1コマ (5年生教育実習)
 10月    0コマ (5年生教育実習)
 11月    5コマ (5年生授業開始)
 12月    5コマ
  2月   10コマ
  3月    8コマ
  4月    8コマ
  5月    4コマ (5年生・4月2週まで授業)
  6月    0コマ (3年生5月末まで授業・語学研修)

 3月からロシア人の日本語教員が産休に入ったためもあり
ますが、計画的でないものもあります。3月から2コマ減った
のはコンピュータ用の自習教材を作成するための時間減という
ことですが、時間減の2年生2コマは5年生が教えています。

 日本中、どこの大学を探しても、このような持ち時間の教員
はいないと思います。2年生は、担当者が3回も変わった上に
最後は、5年生に習うことになるとは。

 

2009年3月10日火曜日

ウスリースク便り(170)


            (家の前の池の上で、今だに全面凍結中)

 〇 冬から春へ

 きのうの、ブログで街で取ってきた写真を載せようと
したら、突然、「アドオンに問題が生じました」という
文字が出てつながらなくなりました。

 きのうまで、暖かい日が3日連続したのですが、夜半
マイナス10℃くらいまで冷え込んだせいか、雪どけの
水が凍結していました。

 家を出て5mくらいのところで転倒しました。幸い、
尻餅をついただけですみました。この冬、初めての転
倒でした。今朝は、ゆだんしていたためと。いつもの
ブーツではなく、日本で購入した靴を履いていった、
ためでもあります。

2009年3月9日月曜日

ウスリースク便り(169)

 〇 女性の日

 きのう3月8日(日)が女性の日(旧国際婦人デー)
で、日曜日と重なったために、月曜日も休日になり、
三連休になりました。

 金曜日に,20cm位積もった雪も、この3日間、8℃
近くまで気温が上昇したために、雪どけの水が道路に、
あふれでています。

 たまった洗濯物を洗濯し、久しぶりに外へ干しました。
外に干しても凍結しないのですが、乾くまでにはならず、
取り込んだ後は、室内のスチームの上においておくと、
すっかり乾き温かくなっています。

 午後からは、運動のため、大学のすぐ近くにあるカフェ
のコーヒー・ハウスまで散歩に行きました。ロウスリー
スクにあるカフェとしては珍しく、店名が英語で書いて
あります。(Coffee House)

 ジャスミン・ティー(160円)を注文して、置いて
ある雑誌と新聞に目を通し、ビデオ店でアメリカ映画を
1本購入(600円)したあと、市内を散歩して、写真
を取ってきました・

2009年3月6日金曜日

ウスリースク便り(168)


 〇 日本語能力試験

 昨年12月に行われた日本語能力試験合否結果
通知書が送られてきて、5年生のK.ターニヤさん
が本校の学生としては初めて3級に合格しました。

 本校の学生は、第2外国語として日本語を勉強
しているので、日本語学習の動機も日本語学習の
時間数も不足しています。

 1年、2年次が週1コマ、3年次から週4コマ
になりますが、3年生は専攻言語の語学研修で、
中国、韓国へ行くので5月に授業は終わります。

 4年生は、2月~3月に、6週間の教育実習が
あり、後期授業には、日本文学や日本語教育法等
も、あるために週3コマになってしまいます。

 5年生は、日本語能力試験の行われる直前の9
月~10月に8週間の教育実習があるので、大学
での日本語学習が0時間になってしまいます。

 夏休みを含めると、4ヶ月以上も日本語から遠
ざかってしまいます。そのため、一昨年は、5名
受験して卒業生が一人合格しただけでした。

 一昨年の反省から、去年は9月から、漢字と文
法の復習を行い、11月に入ってからは4級の問
題を含めて5回過去問を練習しました。

 また、『みんなの日本語』IIまでには、出てこ
ない文法事項の練習を行いました。特に、リスニ
ングの練習の効果は大きかったようです。

 K.ターニヤさんは、文字・語彙、聴解、読解・
文法の全ての分野で合格点(60%以上)を取り
合格しました。

 ただ一つ残念だったのは、一緒に試験準備に取り
組んでいたC.ターニヤさんが、韓国語弁論大会で
(全ロシア)2位になり、その副賞で韓国旅行に
招待されたために、受験できなかったことです。

 彼女も、2回の過去問練習では、75%近くの
正解率だったので、受験していれば当然合格して
いたと思われます。

 韓国への招待旅行と日本語試験が重なった時、
彼女に『残念だったね』と言ったときに、彼女は、
『でも日本語の勉強がたくさん出来て、よかった
です。』と言ってくれたことは忘れられません。

2009年3月5日木曜日

ウスリースク便り(167)

           (左からテレビ局イリーナ、通訳ヴァレンティーナ、カメラマン)

 〇 魚の日
 先週の木曜日(28日)は『魚の日』ということで
地元のテレビ局から、魚を使った、普通の日本人が食
べる、普通の日本料理を作るように依頼されました。

 魚は、焼いて食べるのが、一番好きなのですが、魚
焼き用の網も魚焼き器も持っていないので、フライパ
ンで炒められるものにしました。

 スーパーで切り身を売っている、鮭を使って、『鮭
のキノコ添え』を作りました。鮭をオリーブオイルで
焼き、同じフライパンで炒めた椎茸を添えました。

 椎茸は、バター、塩コショウ、しょうゆで炒め、鮭
の上にいりゴマを振りかけて、盛り付けました。他に
ニンニク(少量)を炒めたものと、ゆでたジャガイモ
をつけました。

 ご飯は、見た目がきれいなように、イクラ(あか)、
錦糸たまご(黄)とのり(黒)をご飯の上にのせて、
三色ご飯にしてみました。

 スープは、日本から持っていった、高野豆腐とわか
めで味噌汁を作り、他にとまと。きゅうり、グリーン
ピースサラダを作りました。

 『この孫、優しい』の8品目がメニューに入りました。
 こ ーー  こめ    の -- のり、わかめ
 ま --  まめ    ご -- ごま
 や --  やさい   さ -- さかな(さけ)
 し --  しいたけ  い -- いも(じゃがいも)

2009年3月4日水曜日

ウスリースク便り(166)


     (バス停5+の前 雪どけの水があふれています)

〇 ロシアの常識(5) バスとバス停

 ロシアのバス停は、冬の雪や強風を避けるための場
として、かなり大きいものです。大抵、地名や通りの
名前がついています。

 1)バス停には、時刻表がない。
 バスターミナルには、バスの時刻表が貼ってあるの
 ですが、他は、立派なバス停にであっても、時刻表
 はありません。

 2)バス停には、名前が書いていない。
 ウラジオストクでは、ゴーゴリ通りなどバス停に名
 前が書いてあるものもありますが、ウスリースクで
 は、殆どありません。

 3)車掌は、次の停留所名を言わない。
 ウスリースクでは、日中の特定の時間を除いて、車
 掌が乗っています。車掌が、乗客に次の停留所名を
 言うことは殆どありません。

 4)冬季はバスから外の景色が見えない。
 冬の寒い時期には、バスの窓が凍結してしまい、外
 の景色を見ることが出来なくなります。車掌が次の
 停留所名を言わないこともあり、初めての場所に
 バスで行くのは大変です。

 5)バスは20年以上使用する。
 現在では、公共の交通機関は、左ハンドルのものし
 か認められていないので、日本製のバスは余り見か
 けませんが、法律の通る前に輸入した右ハンドルの
 バスは現在でも使用されています。ウスリースクを
 走っている、秋田市のバスは20年以上の前に作ら
 れたものです。

 6)不正乗車は高額な罰金。
 現在バスの料金は市内5km以内で10ルーブルです。
 時々、中央バス停から検査官が乗車してきて、切符
 の提示を求められます。検査官が来る前に、お金を
 支払って切符を持っていないと、約30倍の罰金を
 払わされます。

 7)バス停以外でも、乗降が可能。
 バス停の無い所でも、早めに運転手に行っておけば、
 バスを止めて降ろしてくれます。バス停のないとこ
 ろでも、合図するとバスを止めてめてくれることが
 あります。バスに乗ろうと、バス停まで走っている
 と運転手がバスを止めて『お前はスポーツマンだな』
 と言って乗せてくれました。

 8)バス停を寄付できる。

 一昨年、自宅の近くに大型スーパーの『5+』が開
 業しました。スーパーの前に、5+と言う名前をつ
 けたバス停をつくりました。家の近くで名前のついた
 バス停は、ここだけです。

2009年3月2日月曜日

ウスリースク便り(165)


         藁人形 (モレーナ)中央公園広場

 〇 マースレニッツァ

 このところ暖かい日が続いていて、道路には雪
どけの水があふれています。道路の補修や、下水
道、側溝などのインフラが遅れていることもあり
ます。

 きのうは、マースレニッツァという日本の節分
に当たる行事が、中央公園で行われていました。
広場の中央には巨大な藁人形(モレーナ)がおか
れていました。

 ケーキ、菓子パン、ピザ、ホットドッグ、焼肉、
ソーセージ、ブリヌイなどを売る屋台と、ワイン、
ビール、ウオッカ、ジュースなどの飲み物を売る
店がたくさん出ていました。

 中央の円形のステージの上では、原色の派手な
コスチュームを見につけた大人の女性と子ども達
が踊っていました。ステージで踊った子供達は、
もらったブリヌイを食べながら踊っていました。

 藁人形に火をつける時になると、大勢の人が集
待まってきました。モレーナに火がつくと、人々
は、一斉に『悲しみよ去れ。喜びよ来たれ。』と
叫びます。

 日本で節分の時に、『鬼は外、福は内。』と叫
歩のに似ています。『悲しみ』は、寒さ、闇、冬
の象徴であり、『喜び』は暖かさ、明るさ、春の
象徴でもあります。

 この日にブリヌイを食べるのも、ブリヌイが光
ヤ明るさや暖かさをもたらす太陽の象徴と考える
からだそうです。

 ロシア正教が布教の過程で異教徒の祭りを取り
いれていったために盛んになっていったとという
ことで、復活祭の前の断食に供えて栄養をとる必
要があるとも言われています。