2008年5月2日金曜日

ウスリースク便り (38)

 1)イースタン囲碁クラブ


 会長のアレクセイ・ホバネッツさんはまだ20代の若さですが、人格的にも優れ、囲碁の普及に情熱を燃やしています。これまでの、囲碁普及の功績が認められ、今年外務省から日本に招待されました。
 
 この時、日本棋院を訪れ、小林光一{当時副理事長}、梅沢由香里{女流}、安部吉輝九段と懇談しました。安部九段には三子で対戦し、その棋譜が「週間碁」に掲載されました。
 
日本滞在中、東京大学囲碁部、広島市庁、因島などを訪問して、囲碁関係者に会い、囲碁対局をしてきました。

 海洋大学のクラブで、週三回(火・木・土)碁を指導するかたわら、この秋からは51番学校でも、週2回(木・金)指導を始めました。冬の寒い時期に小・中学生が海洋大学まで来るのは難しいことを考慮したものです。学校側の協力もあって、午前中の時間割の中に碁を組み込んでもらったそうです。

 また、夏休みには、子どものための囲碁キャンプでの指導やハバロフスクでの囲碁大会への引率、ウラジオストクでの囲碁大会の実施運営に当たっています。特筆すべきは、これらの活動をすべて無報酬で行っていることです。彼が碁を覚えるきっかけとなったのが、トレヴェニアンの「シブミ」だったそうです。

(2) シブミ

 シブミはトレヴェニアンの1979年の作品で、現在はハヤカワ文庫(菊池光訳)に収録されています。この作品は全編が、囲碁用語で構成されています。

 第一部 フセキ     (盤全体を考慮した開始段階の作戦)

 第二部 サバキ     (厄介な状態の迅速かつ弾力的な処置を試みること}

 第三部 セキ      (双方とも利が得られない中立的位置)

 第四部 ウッテガエ   (犠牲的措置、戦略)

 第五部 ツルノスゴモリ(敵の石を捕獲する優雅な戦略的展開)

 暗殺者ニコライ・ヘルは、上海で母イヴァノヴナと共に岸川将軍の庇護を受け、13歳の時に将軍から4子で初めて碁の指導を受ける。将軍は2子でプロと接戦するほどの棋力の持ち主であったが、予想以上に苦戦し、独学で碁を学んだニコライの才能を見出す。

母イヴァノヴナの死後二ヶ月がたち、岸川将軍は転勤命令を受けニコライを日本へ送る決心をする。大竹七段のもとで5年近くの内弟子生活を送る。碁を通じて自己を磨き、シブミ{日本的精神の思考の境地}を次第に体得していく。

30年近く前に発表されたこの冒険小説の中でこれほど正確に日本の文化、日本人の精神を描写していることに驚き、興味をもって読み終えたところです。

東京大空襲、原爆投下、極東軍事裁判に対するアメリカ人作家の痛烈な批判を、「原爆投下はいたしかたなかった」と発言した政治家に読んで聞かせてやりたいものです。この本は同時に、アメリカ人、アメリカ文化の物質至上主義に対する痛烈な批判ともなっていて、ロシアでもベストセラーになった一因となっているのでしょう。

ロシアからA級戦犯として日本へ移送された岸川将軍を拘置所に訪ねた、ニコライと岸川将軍の会話は囲碁用語を暗号として使っている。父親とも思う将軍を自らの手で絶ち、将軍を苦悩から解放し、名誉ある死を与えようとする。

将軍:この局はコリガタチになっている状態で、私は手が伸びない状態だ。

ニコライ:必ずしもそうではありません。私の見たところではサバキの可能性がありますが、当然
あな たはハマに加わることになります。

 将軍:それはお前にとっては危険ではないのか。実際はコウのような状態ではないのか。

 ニコライ:正確にはウッテガエというべきでしょうね。
 

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