2008年5月5日月曜日

ウスリースク便り(44)

5月5日(月)こどもの日。早朝大雨が降り、道路のいたるところが冠水しています。雨は午前中に上がったのですが、厚い雲が上空を覆っていて、午後2時現在の気温が12℃と5月のこの時期としてはとても寒い1日でした。

 1日(木)がメーデーで祝日。翌2日(金)を休校にして土曜日まで3連休にしたため、今週は日曜日(金曜日の振り替え)から授業が始まりました。

遠い国からの訪問者

 4月29日(火)の2時限目が終了した時に、私が一ヶ月に一回行っている韓国のメソディスト教会の牧師さんに連れられて、40代半ばの日本人が教室にやって来ました.

彼は3日前にウラジオストクについて、まだ在留届けを出していないとのことだったので、総領事館と連絡をとれるように手配しました。 (ロシアに到着後、72時間以内に在留手続きをとらないと高額の罰金をとられます。)

 総領事館から折り返し連絡をもらい、土曜,日曜は、72時間の中に含まれないことが確認できました。韓国人留学生の中で英語の話せる学生が、サポートして、市内のホテル・パラダイスに宿泊することになりました。その晩ホテルを訪れ、2時間ほど歓談しました。

 彼は、クリハラ ナオトさんと言って、アメリカのロスアンゼルスから、自転車でロシアを横断し、ポーランド、バルト3国を通ってポルトガルまで行こうとしていることがわかりました。

 ロスアンゼルスから成田へ飛び、東京駅から夜行バスで富山へ直行し、富山の伏木港から船でウラジオストクへ来たとのことで、まだ時差に悩んでいました。

 ウラジオストクでは、インターネットのカウチ・サーフィンで知り合ったロシア人の家に泊めてもらいました。月曜日にウラジオストクを出発し、在留届けを出していないので、この日はホテルに宿泊して、ホテルで在留手続きをしようというわけです。

 彼がウスリースクの手前30kmほどの小さな村で、疲労困憊して休んでいたときに、日本の50ccバイク(モトチクル)に乗った二人の少年に会い、彼らが牧師さんの住んでいる家まで連れて行ってくれたとのことです。その晩牧師さんの家で、夕食をご馳走になり、シャワーを浴びることも出来ました。

 自転車でロシア横断を計画し、サンフランシスコの旅行社(本社はモスクワ)にヴィザを申請した所、2週間でワーキングビザの招待状が来たそうです。この招待状をもとに、観光ビザを申請したところ、すぐに許可がおりたそうです。入国の際は観光ビザで入国できるか不安だったそうです。
 
ロスアンジェルス空港の近くで営んでいるコンピューター関係の仕事を6ヶ月間休業にして、出発したとのことで、その実行力には敬服しました。

 日本の自動車会社に勤務した後、米国に渡り、大学でコンピューターを学び、現在は、主に富士通関係の仕事をしていて、在米期間は25年くらいになります。これまで、長い休暇を取らなかったことと、年齢を考慮して、自転車によるロシア横断の最後のチャンスとして決断したとのことです。ロスアンゼルスには、奥さんと二人のお子さんが、お父さんが無事の帰国を願っています

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