2008年11月28日金曜日

ウスリースク便り(121)

 〇 余りにもロシア的な{授業内容の変更要求)

 11月12日{水)の英語科・日本語科の教員会議のあとで
5年生のカリキュラムが大学の設置基準と一致していないので、
改訂するように突然言われました。

 現在5年生は『みんなの日本語・初級II』{スリエーネット
ワーク)を使用していて5年生の終了時に50課まで終えるこ
とになっています。

 5年生の終了時に日本語能力試験3級に合格できることを
目標にしています。過去2年間は、これに従ってやって来て
何の問題も指摘されなかったのですが、、、、、。

 『みんなの日本語』の内容が、大学生の知的欲求に答
えられる物がないとの理由です。3年生と、4年生の教材
もロシア人日本語教師の自主教材によってテーマ別内容
(旅行・健康・料理など)に変更されてきました。

 テーマ別はいいのですが、文法事項や難易度などを全く
無視しているので(難易度の判断もできないのかもしれ
ませんが)、『みんなの日本語』の18課と36課が続
けて出てきたりします。

 ロシア人日本語教師の日本語運用能力が足りないために、
驚くほど間違えや、ミスプリントがあります。使用前に必
ず日本人教師のチェックを受けるように言っていても、
事前に教材を持ってくることは殆どありません。

 それでいて、その教材の内容に過度なほどの自信を持って
いるのも驚きです。こちらが誤りを指摘しても、「本に出て
います。」となかなか訂正に応じません。昨年度使用した教
材と試験もチェック箇所を訂正しないまま使用していること
があります。

 5年生は、日本文学を教材として扱うように指示されま
した。日本文学を読むにしても、基本的な語彙や文法を
習得していないと読むのに時間がかかりすぎるので、日本
文学2コマ、『みんなの日本語』2コマにわけ12月から
実施することになりました。

 突然の変更要求でAyako先生は睡眠時間を半分に削って
教材準備に取り組んでいます。年度の途中から突然カリキュ
ラムの変更要求があるとは、これまた、余りにもロシア的
と言えるでしょう。

2008年11月27日木曜日

ウスリースク便り(120)

 〇 余りにもロシア的な(インタヴュー)

 4年生のニーカさん{韓国語専攻)から、お母さんが
ウスリースクの新聞社の記者をしていて、先生の記事を
載せたいので、午後3時からインタヴューしたいという
話がありました。

 ニーカさんは第二外国語として英語を履修していて、
授業での接点はないのですが、去年の韓国語科の文化
祭で知り合いました。(英語がとても上手です。)

 彼女は、韓国語の寸劇、合唱、踊り、太鼓など4部門
で大活躍で、そのうち3部門で表彰を受けました。その
後も、私が韓国料理のコンテストの審査委員などをして
交流が深まりました。

 9月に再会した時に、韓国で行われた小学生のキャン
プにリーダーとして参加し、日本の子どもたちとの交流
がとても楽しかったということを聞きました。

 彼女は、学内の新聞の編集委員をしていて、才色兼備
の目立った存在です。去年イルクーツクで行われたシベ
リア地区の弁論大会では3位の成績を収めました。

 3時に日本語科にインタヴューに現れたのは、新聞
記者のお母さんではなくニーカさん本人でした。仕事
の都合で、お母さんから、20項目の質問を頼まれた
そうです。

 日本での経歴、家族、趣味、余暇の過ごし方、外国
旅行、ウスリースク市の印象、ロシアの大学生への
注文、ロシア人の子どもの印象やウスリースク市長に
非言いたいこと等をきかれました。

 新聞記者のお母さんにインタヴューを受けても答えた
内容は同じだったかも知れませんし、確かに取材を受け
てはいるのですが、、、、、。
 
 これぞまさにロシア的といえるかもしれません。

2008年11月26日水曜日

ウスリースク便り(119)

 〇 余りにもロシア的な(2)

 きょう、教務主任のスベータさんのところに行って
12月30日(火)の補講として、11月30日{日)
に、自宅で5年生に日本料理を教えたいと申し出まし
た。

 この日は私の誕生日で、誕生日パーティを自宅でや
ることになっており、ちらし寿司と巻き寿司を作るこ
とになっていました。料理の作り方や、食材を日本語
で勉強しようというものです。

 また、12月29日{月)の補講を、12月4日(木)
の4時限目に実施したいことを申しでました。木曜日は
5年生は論文執筆日になっていて、本来は登校しないの
ですが、日本語能力試験の直前に総まとめを行うのに都
合の良い日です。

 この申し出は、すぐに認められました。学生に連絡
すると年末に授業に出てこないですむのと、パーティー
が授業の振り替えになるのでとても喜んでいました。

 最近は、日本の大学で授業時間の確保が厳格になった
そうです。以前の日本の大学では授業が簡単に休講にな
り補講をすることはほとんどなかったのですが。
 教員の自宅で、英語のレシピでイギリス料理を作った
としても補講としては認めてもらえないのではないで
しょうか。

 いま、ウスリースクの映画館で、『オーチン・ルース
キー・ディテクティブ』というコメディーを上映してい
ます。余りにもロシア的な探偵
いうような意味でしょうか。明日は授業がない日なので、
見てこようと思っています。

2008年11月25日火曜日

ウスリースク便り(118)

 〇 余りにもロシア的な 

 きのう、日本語科主任のターニヤ先生と話す機会が
あり、今年の終業日がいつになるか聞いたところ、
『分からない。』と言う返事が返ってきました。

 きょう、学部長の所に行って同じことを質問すると
同じ答えが返ってきました。12月28日{日)まで
に帰りたいので、「航空券を購入したい」と言うと、
すぐに許可が下りました。

 昨年は、12月30日まで授業があったために帰国
が年が明けてからになりました。

 今年度は9月1週目の月曜日から始まったので、
12月26日{金)で授業が終わり、2月2日{月)
から新年度が始まるという返事をを期待していたの
ですが。

 12月11日(木)には、分かるのでその後に聞
きに来るように言われました。この時期になっても
終業の日が決まっていないのは、日本の学校では考
えられないことです。

 年間の大まかな予定は決まっていても、細部の日
程は決まっていないで3週間くらい前に翌月の日程
を決めているようです。教員や学生の間から苦情が
出るようなこともないようです。

 ロシアでは、大切なことが突然当日になって言われ
ルことがよくあります。12月の予定が3週間前にな
らないと決まらないというのは、まだいいほうなのか
も知れません。

 火曜日に祝日があると、土曜日に授業を行って、日・
月・火の3連休を作ることがあります。この場合でも
2日前に突然言われることがあります。「良く言えば
柔軟性に富む」、悪く言えば「いいかげん」というこ
とになります。


 終業日がいつであろうが、学部長の即断で終業日前
に帰国出来ることになりました。28日{日)の新潟
行きの航空券はすでに売り切れていたので、帰国は
さらに早まり、25日(木)になりました。

 補講さえ行えば、いつ休みをとってもいいのは、確
かに柔軟性に富んでいて歓迎するところではあります。

2008年11月24日月曜日

ウスリースク便り(117)

 〇 余暇(5) 囲碁 

 1ヶ月に二回、ウラジオストクにある海洋国立大学に
碁の指導に行っています。東洋学部の七階にあって、碁
会所という立派な日本語の看板もかかっています。

 会長のアレクセイさんはまだ20代の若さですが、碁
にかける情熱は熱いものがあり、ロシアの若者への碁の
普及に情熱を燃やしています。

 毎週、火、木,土の三日間の他、日曜日も月に2回
囲碁クラブを開いています。碁の指導のためいろいろ
職も変わったようですが、現在は海洋国立大学のコン
ピューターのエンジニアをやっています。

 日本なら5・6段で打てるだけの実力者で、対局や
指導をしていない時も、韓国のプロ棋士の対局を並べて
勉強しています。一昨年外務省の招待で日本棋院を訪れ
安部九段に3子で対局した時の碁が専門の新聞に掲載さ
れました。

 去年、アレクセイさんと結婚した副会長のエレーナさ
んも、仕事の忙しい時を除いて毎回顔を出します。彼女
は、日本のアニメの愛好者で『ヒカルの碁』を読んでか
ら碁に興味をもったそうで、日本なら初段で十分に打て
る実力です。

 二人は囲碁の普及にとても熱心で、海洋大学の囲碁ク
ラブの他、51番学校の小学生の指導も週に2回学校
へ行って教えています。このため、会員はほとんどが
10代の学生で、女の子の多いのも特徴です。

 先月から、8歳の小学生の男の子が二人通ってきて
います。ロシアでの指導法を見ていると、碁の基本的
なルール、
 ① 黒・白が相互に打つ。
 ② 呼吸点を囲むと相手の石を取ることが出来る。
 ③ 着手禁止点がある。
 ④ 劫(こう)という特別なルールがある。」
を教えると、あとは19路盤を使って実戦をいます。

 2~3ヶ月すると、碁が打てるようになっています。
石の生き死にや、欠け目も実戦を通して学んでいきま
す。

 現在、中・高校生で初段クラスが3名出てきている
のでこれからが楽しみです。ちなみに、囲碁の用語、
挨拶などはすべて日本語でやっています。

2008年11月21日金曜日

ウスリースク便り(116)

 〇 初雪

 今朝、7時に目を覚まして窓の外を見ると、サッカー
グラウンドが雪で真っ白になっていました。今年初めて
の雪ですが、例年と違って3~4cmの積雪でした。

 温度計を見ると、マイナス8℃をさしていました。以
前にも書いたことがありますが、ウスリースクでは雪の
降った日は寒くない日です。雪が降るのはマイナス5℃
前後ですから冬の日としては暖かいわけです。

 今日は、正午には5℃くらいまで気温が上昇したため、
沼と川の凍結した部分に積もった雪以外は全部とけてし
まいました。例年に比べて1ヶ月遅れの初雪でした。

 今日は、午後から、大学教職員のレントゲン検査があ
りました。レントゲン撮影は毎年教職員は義務づけられ
ていますが、学生も毎年受けているそうです。

 4年前に来た時の検査は、大学から遠く離れた病院に
行って受けましたが、機械が古く検査台に乗って首を
乗せると、乗っている台のほうが動いて高さを調節する
ので、怖かった記憶があります。病院と言っても、暗く
て汚かったので、自分が病気になってもとても通う気が
しませんでした。

 今日のレントゲン撮影の場所は、大学から徒歩1分の
ところにできた検査場で、レントゲン撮影の機械も最新
のもので、日本の大学病院と変わらないものでした。

 受付と撮影を1日の女性がやっていましたが、検査も
スムーズに行われました。ロシア社会では非効率的な人
員配置をよく目にしますが、今回はそれが全くありませ
んでした。

 ちなみにロシア語でもレントゲンですが、ドイツ人の
名前からきているのでしょう。


 

2008年11月20日木曜日

ウスリースク便り(115)

 〇 豆腐料理

 日本列島も寒波が襲っていて、特に日本海側は冬の
寒さだということです。ウスリースクでも、今週初め
から冷え込み、今朝8時の気温がマイナス15℃でし
た。快晴だというのに、午後2時の気温が0℃とあが
らず、午前中に干した洗濯物が凍っていました。

 すっかり真冬の天候になりましたが、凍結した雪が
今年は無いので、歩くのが楽なので助かります。しば
らくおとなしかったネズミがまた、餌を食べ始め、子
ねずみが2匹粘着シートにかかっていました。

 日曜日に中国市場に買い物に行き、食料品を中心に
買い物をしました。その時買った豆腐が、毎日のよう
に食べていてもたべきれないので、きょうはマーボド
ーフ豆腐もどきを作ってみました。

 豆腐は中国市場に行かなければ手に入らないので、
買い物に行った時は、いつも一丁かって帰ります。
売っているのは木綿豆腐で、日本の豆腐の5~6倍の
大きさがあります。値段は、160円くらいなので、
他の日本製の食料品と比べるとお買い得です。

 缶詰めの牛肉と、日本から持っていった四川豆
板醤で簡単にマーボードーフができあがりました。
味噌汁は、日本から持っていったマルコメ味噌と
カットわかめで豆腐の味噌汁、きゅうりとトマト
を切ってサラダに、20分で夕食ができあがりま
した。

 一人で生活していると、豆腐一丁を食べきるのも
大変です。毎日何かの料理に使っていたのですが、
食べきるのに5日間もかかりました。

2008年11月18日火曜日

ウスリースク便り(114)


        (5年生 韓国語専攻)

 O 求婚される

 いよいよ厳しい寒さがやって来ました。夕方6時から
7時まで、『英語クラブ』に参加して、バスを待ってい
る間、ずいぶん冷え込んで来ました。家に着いて寒暖計
を見るとマイナス12℃でした。これだけ気温が下がる
と雪は降りません。

 昨日の5年生{韓国語専攻)の授業で、ウーリヤさんか
ら、「先生、いつ結婚しますか?」ときかれました。

 私   「いつがいいですか?」
 ウーリヤ「私は、2月に韓国に行きますから、2月が
      いいです。」
 私   「2月でいいですよ。でも東京に妻がいます
      から、きいてみます。

 他の学生は過ちに気がつき、笑い出しました。日本語
で言った後で、ロシア語で同じことを言うとウーリヤさ
んも間違いに気がつき笑い出しました。結婚試験を取
り違えたのです。

 ウーリヤさんは韓国への留学試験に合格して奨学金を
もらい、1年間留学することになりました。韓国に行く
前に5年生の卒業試験を受けて、帰国後、国家試験を受
けるだけにしたかったようです。

 現在5人のクラスが、後期からは4人になってします。
2年生のクラスも11月から5人いた学生が2人退学し
て3人になってしまいました。

 人数の少ないのはいいのですが、1時限目の8;00
からの授業は1人になる恐れがでてきました。大きな教
室で一人だけの学生を相手にして行う授業もつらいもの
があります。

 今日の授業からウーリヤさんを、『マヤ ウーリヤ』
{私のウーリヤ)と呼んでいますが、学生に受けています。
 
 


 

2008年11月17日月曜日

ウスリースク便り(113)


        アパートの前の沼 {釣り人多し)

 O 初雪いまだ降らず

 天気予報では、15日(土)から16日{日)にかけて、
大雪になるということでしたが、16日の朝に雨が少し
降っただけで、気温も日中は5℃を越えました。

 過去3年間は、10月の18日~20日に初雪が降り、
その初雪がそのまま凍結し、一層寒さを厳しいものにし
ていました。今年は、1ヶ月も寒さが来るのが遅くなって
います。

 今日も午後2時の気温が、5℃で大学からアパートま
で歩いて帰ることができました。午後6時には0℃まで
下がっていました。雪は、湿度が高く地上の気温が、マ
イナス5℃前後の時に降りやすいようです。

 ウスリースクは、冬には気温がマイナス15~20℃
になることが多いので、降雪量は予想していたほど多く
ありません。一度降った雪は凍結して春になるまでとけ
ないので、一層厳しい寒さになります。

 アパートの前の沼が凍結し始めたので、冬はもうすぐ
そこまで来ていることが分かります。例年なら近所の子
どもたちが、スケートや雪上のソリで遊び始めているの
ですが、今年はまだサッカーをして遊んでいます。

 

2008年11月15日土曜日

ウスリースク便り(112)

 O お茶を飲む 

今日は、冷え込み早朝から大雪の降る
可能性もあるということでしたが、時々
小雨が降る程度で気温は午後3時で3℃
もありました。

 散歩がてら、先日の巻き寿司を作った
時の写真を頼みに、大学の近くの写真や
まで出かけました。

 写真が出来上がるまでの1時間を、市
の中心街のネクラソバ通りを歩いている
と40代後半か50代前半と思われるロ
シア人女性から声をかけられました。

 彼女は、この年代のロシア人女性と違
って細身の女性でした。日本から来たこ
とを告げると、思いがけず、片言の日本
語が返ってきました。

ウラジオストクでツーリストの仕事をし
ていた時に日本人の観光客から教えて
もらったとのことでした。

 彼女は英語も少しできるので、ロシア
語と日本語と英語の混ざった奇妙な会話
が続きました。この年代の女性で、英語
が話せる人は、大学以外ではまず会うこ
とはありません。

 しばらく話をしていたのですが、体も
冷えてきたので、近くのカフェーでお茶
を飲みながら話すことになりました。

 読書と音楽が趣味と言うことで、私が
知っている限りのロシアの文学者と作品、
音楽家の名前をあげました。

 ロシア語の発音と違うようで、理解す
るのに少し時間がかかるものもありまし
たが、それぞれの作品に短い感想を述べ
ていました。

 30分ほどでカフェーを出て分かれる
さいに、彼女の電話番号と名前を書いた
メモをもらいました。名前はガーリャさ
んといいます。

 

2008年11月13日木曜日

ウスリースク便り(111)

 O 巻き寿司を作る

 昨日は、3年生{中国語専攻)の学生7人と
レーナ先生が家まで遊びにいてくれました。
授業で、日本の料理を学んだところで、まだ、
寿司を食べたことのない学生に、食べてもらう
という趣旨です。

 ウスリースク市内には、нами という寿司
屋が一軒だけありますが、値段がとても高く、
学生ではとても行くことができません。

 モスクワの寿司店で、日本人の寿司職人の下
で3年間修行を積んだあとで、ウスリースクに
店を持ったとのことで、同じ名前の店がロシア
には数件あるとのことです。

 のり巻きは、学生に好きな具を選んで巻いて
もらいました。用意した具は、鮭、鶏肉、ハム、
たまご、イクラとキャビア{コピー食品)です。

 他に、野菜は、きゅうり、トマト、にんじん、
わらび(市販のもの)と漬物(きゅりうり)を
小さく切って用意しておきました。

 レーナ先生は以前に家に来たことがあり、そ
の時も巻き寿司を作ってもらいました。前の
経験が生きてうまく見本のまき寿司ができました。

 殆どの学生が、まき寿司を作るのは初めてでし
たが予想外に上手にできました。7人の学生の中
で、唯一韓国系ロシア人のヴィーカさんは、お母
さんが、作るということで特に上手にできました。

 自分の好きな具をを選び、自分で作り、食べる
というところが好評で、皆、楽しそうにまき寿司
を作っていました。五合炊いたご飯と、用意した
具は全てなくなりました。

 レーナ先生の持ってきたシャンペンとジュース
で乾杯。学生がおみやげに持ってきたケーキを食
べての2時間は、あっというまに過ぎてしまいま
した。(先生を含め学生7人は全て女性です。)



 

2008年11月11日火曜日

ウスリースク便り(110)

 O ネズミ・ホイホイ

 日本で家ネズミを見たのは30年近く前になる。
学校内に昭和16年に建てられた木造の古い住宅
に住んでいた時に、台所の物置において置いたゴ
キブリ・ホイホイに子ネズミが入っていた。

 日本では珍しくなった、家ネズミもロシアの古い
アパートでは珍しいことではない。去年は、7月の
帰国の際にしかけたゴキブリ・ホイホイに子ネズミ
が5匹もかかっていた。

 今年は、8月に来た時には、子ネズミは一匹も
かかっていなかった。ひょっとしたら、ネズミも
学習能力があるのかもしれない。

 9月の初めにおいて置いた殺鼠剤『デスモア』を
食べ始め、4~5日間食べ続けていた。今の殺鼠剤
は徐々にネズミの視覚を奪っていくようで、明るい
所へ出てきて死ぬようだ。

 台所に置いておいた、アース製薬のチューバイ
チューという強力粘着シートに子ネズミが5匹も
かかって死んでいた。

 しばらく殺鼠剤がなくならないでいたが、11月
の初めからまた食べ始めた。子ネズミの大きさから
判断すると、2ヶ月ごとに子どもを生んでいること
になる。

 食べた分だけ補充していたところ、5日間程食べ
続けたあとで、二枚の粘着シートに親ネズミ一匹と
子ネズミが四匹かかっていた(折りたたんで捨て
るだけでよいので、屍骸の処理も簡単で助かる)。

 その後えさがなくなっていないことから、殆ど駆
除できたようだ。親ネズミが一匹しかかかっていな
い所を見ると、他の場所に移動した可能性もある。

 ネズミに学習能力があるとすれば、来年は別の殺
鼠剤と粘着シートを用意しなければならないのだが、
当のネズミは死んでいるのだから、、、、、、。

 

2008年11月8日土曜日

ウスリースク便り(109)


(中央公園を通り大学まで30分の散歩コース)

 O  余暇(3) 散歩

 11月に入っても、暖かい日が続いていました。
日中は,15℃~18℃まで気温が上昇し、この
時期には珍しく、帽子やマフラーなしで過ごして
いました。

 風もなく、まさに散歩には絶好の日が続いてい
ました。10月の初めから、11月5日までは授
業がなく、家にいる時間が長くなっていました。

健康維持のために、毎日1時間は歩くようにして
います。散歩は、私にとって需要名余暇となって
います。

 毎日歩いていると、歩くのが当たり前になって、
歩かないでいることが苦痛になってきます。ジョ
ギングやマラソンを毎日、している人の気持ちが
分かるようになりました。

 昨日は、日本では立冬に当たるとのことですが
ウスリースクでも寒冷前線の発達とともに、急激
に気温が下がり、日中でも5℃を越えませんでし
た。冬が真近に迫ってきていることが分かります。

 寒さが厳しくなり、雪が降り凍結すると散歩を
するのが難しくなります。例年ならば、10月
20日前後に降る雪が20cm位積もり、そのまま
凍結して、歩くのが大変です。

 幸い、ウスリースク市は、ほとんどが平地なの
で、気をつけて歩けば転倒の危険はありません。

 2週間に一度碁の指導に行くウラジオストク市は
坂が多く、除雪もしていない場所が多いので、道路
を歩く場合は細心の注意が必要です。

 2年前の冬には、3回大転倒をしてしまい、その
うちの1回は尾てい骨を強打して、痛みが2ヶ月も
続きました。

 ロシアの50代、60代の婦人が極端に太ってい
るのも長い冬の間、運動不足と脂肪の摂取過多から
きていることを考えると、厳しい冬の間もできるだ
け歩くようにしたいものです。


 

 

2008年11月6日木曜日

ウスリースク便り(108)


        学内日本語コンテストの司会をする二人のターニヤ

 O 授業再開 

 11月4日(火)が祝日{和解の日・旧10月革命記念日)で
あったために、5日{水)から、5年生の授業が始まりました。

 10月は、2年生の唯一の授業が、5年生の教育実習にあてら
れたために、持ち時間0という異例の事態になり、少々暇を
もてあましていました。

 最初の授業のためもあってか、全員出席の他に、1年留年
したナターシャさんも、飛び入りで授業に参加して、全部で
6人になりました。

 授業は、『みんなの日本語』37課・38課の文法事項の復習、
漢字の読み方の復習と、昨年度の『日本語能力試験4級』の
問題練習を行いました。全員60%以上で合格しました。

 このクラスの C.ターニヤさんとK.ターニヤさんは、
この12月に3級の試験を受験することになっていて、現在
試験勉強中ということもあって、95%、93%という正
解率でした。

 C.ターニヤさんは、今年10月にウラジオストクで行われた
全ロシア韓国語弁論大会で2位になった学生で、日本語でも
5年生で一番優秀な学生です。

 英語も堪能で、一昨年私が英語で行った日本経済の授業で
は、同時通訳をしてくれました。私のほうは授業前日、1時間
くらいかけて準備したものです。

 一般に第二外国語で日本語を履修している学生は、英語が
苦手な学生が多いのですが、彼女は、中・高の学校の授業だ
けで、同時通訳が出来るレベルまで達したことがわかりまし
た。

 日本語の敬語法は、49課、50課に出てくるため、試験には
未習のまま受験することになるのですが、韓国語と似ている
ので、特に問題は無いといって言っています。




 

2008年11月2日日曜日

ウスリースク便り(107)

 O 小春日和

 過去3年間は、10月の中旬に初雪が20cmくらい
降り、それが凍結して厳しい寒さになっていました。
今年は暖冬で、午後2時の気温が18度まであがりまし
た。

 たまった衣類と寝具を洗濯し、久しぶりにメソジスト
教会に足を運びました。新しくソウルから来た牧師さん
がウスリースク教育大学でロシア語を勉強しています。

 ビザの件で国際部に来ていたときに知り合いになり
ました。英語が話せるので、国際部に英語の話せる職
員がいなかったための苦労話でもりあがりました。

 また、この教会には日本語履修者で卒業生のヴァレ
ンティーナさんがいるので、何回か行ったことがあり
ました。

 ヴァレンティーナさんは、ウスリースク市の奨学金
をもらい、11月3日から3ヶ月間ソウルのコンピュー
ターの学校でコンピューター・デザインを学ぶことに
なりました。

 ウスリースク市からは4名が選ばれたとのことで、
韓国とロシアの交流はとても盛んです。大学で行われ
る、韓国語専攻の学生による文化祭には、韓国系の
会社が資金を援助したり、表彰式にも深くかかわって
います。

 本大学の韓国語科はレベルが高いと聞いていました
が、昨年度はヴァレンティーナさんがシベリア地区の
弁論大会で優勝しました。

 今年は、5年生のターニヤさんが,全ロシアの弁論
大会で2位になり、関係者が大変喜んでいます。

 ターニヤさんは英語も堪能で、私の日本経済の授業
で、同時通訳をしてくれました。日本語も5年生の学
生の中で、飛びぬけて優秀です。

ロシア人の学生には珍しく、復習を毎日していて、前
に学習したことは、殆ど覚えています。書道にも興味
を持っていて、とても良い字を書きます。

2008年11月1日土曜日

ウスリースク便り(106)

 O ワーキングビザ取得

 きょう、大学の国際部でワーキングビザを
受け取ることができました。2009年8月
31日まで有効のビザです。領事館の方から
は、大学教員用のビザはなくなったと聞いて
心配していたのですが。

    виза

М-VI No.16////
обыкновенная
многократная
япония

хирота
синго
30.11.19-- муж
преподователв
угпи

となっていました。ウスリースク国立教育
大学の教員としてマルチビザが取れていま
した。

 今年は、ウラジオストクの日本語教師への
ビザ発給が厳しく、9月に来られた3人の先生
は、3ヶ月の学術交流のビザで来ています。

 10月末に二人の先生が来られましたが、
ビザがおりなかった人もいると聞いています。
一時帰国を決意して、航空券を購入しようと
決めていた前日に、ビザ発行の連絡を受けた
ことは幸運でした。ロシアでは、航空券の
キャンセルには相当のお金がかかるそうです。